良き法律家は、悪しき隣人
- 2017年 2月 10日
- 交流の広場
- 熊王信之
英語には、“A good lawyer makes a bad neighbour.”とか、“A good lawyer is a bad neighbour.”とかの諺があります。 日本語では、「良き法律家は、悪しき隣人」等と訳されます。
法律家は、法律用語の定義を操作することに依り、予想も出来ない言葉の新しい意義を見出して、一般人を煙にまき、法の適用を恣意的に左右することが実際にあるために、このような諺が存在するのでしょう。
例えば、A=Bであり、更にB=Cであり、従ってA=Cとされる場合において、Bの意味を限定するか、無制限にするかで、Cの意味範囲が変わるのですが、この意味の定義を恣意的に行えば、Cの意味する処は、無限定になることは誰しもが首肯される処でしょう。
稲田防衛大臣の答弁は、その典型であり、一用語の定義を恣意的に行う行為の危険性が窺えます。
残念ながら、この単純と云うよりも、幼児の如き言い抜け行為は、この国では、過去から様々な御仁が様々な歴史的環境に於いてされて来た行為と言える、日本的無責任の見本です。
太平洋戦争の冒頭における大本営発表がその悪しき見本で、何も敗戦間際に限らず開戦時から無責任体質を披歴していたと思える程でした。
曰く「大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋において米、英軍と戦闘状態に入れり。」?大本営陸海軍部発表(昭和16年12月8日午前6時)
言うに事欠いて「戦闘状態に入れり」とは何でしょうか。 冗談もいい加減にして欲しい、と思いませんか。 殺し合いをする戦争に、「入れり」とは何だろう、と考えるので常識のある人間でしょうが、その戦争に第三者的に「入る」のが日本軍らしいでしょうか。 不意討ち宜しく、宣戦布告無くして攻撃しておいて「戦闘状態に入れり」とは、無責任体質丸出しの文言でしょう。
それを云えば、太平洋戦争以前には、「事変」等と誤魔化してもいましたし、当時も今も、誰も疑問に思わないこの言葉の言い換えこそがこの国を物語る、と私には思えるのです。
そう思えば、防衛大臣の逃げ口上も大本営発表の前例に学ぶ児戯に等しいが、この国の常套手段である、と納得することが出来る訳ですが。さて、何時になれば、こうした児戯に終止符を打つことが出来るのでしょうか。
このようにこの国では、未だに言葉の定義を巡る児戯が繰り返されている処ですが、自衛隊が派遣されている南スーダンでは、実際に内戦状態にあると見るのが常識です。 拙稿では既に、何度か触れたので、下に挙げます。
「駆けつけ警護 緊迫の訓練を初公開」だって言うから見て観れば、お笑い
2016年 10月 28日
http://chikyuza.net/archives/67457
南スーダンの紛争地を祭壇に見立て自衛隊員を人身御供に、憲法改正を狙うアベ政権
2016年 11月 21日
http://chikyuza.net/archives/67994
いくら内戦状態に在る、と指摘しても、「内戦」は国際紛争の意義範疇では無く、従っていくら戦闘が実在しても国際紛争を解決するために為すものでは無いので憲法上の問題とはならない、と言い抜け出来る、と思っているのでしょうか。 それなら、イスラム国相手の戦争へ参加するためにシリアへの派兵も可能になるでしょう。
そもそも、憲法第九条の意義を逸脱し、自衛権を放棄していない処から自衛のためなら戦力を保有可能と憲法制定当初の公定解釈から踏み出した処から今日の改憲過程が始まったのであり、その開始を告げた行為は言葉の言い換えであったのでした。 そして憲法の意味する処は、制定当初の意義から変じ続け今日を迎えた訳です。
この国は、「良き法律家は」はともかくも、「悪しき隣人」が多数を占める時代になった、と言えましょう。
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