責任
- 2017年 2月 12日
- 交流の広場
- 山端伸英
日本国民はなぜ、安倍をトランプのいるアメリカに行かせたのだろうか。多くの言説が安倍にも、トランプにも否定的なのに、誰も反対の声を上げなかったのは明白な事実だ。
ラテンアメリカ的な「免責」を日本人は日本の政治家に対して行なっているのではないだろうか。
このような無為に、あまりに過剰な饒舌はかぶさっている。
何が日本国民をここまで無為にしてしまったのだろうか。
トランプのアメリカ独善主義は、今までのキッシンジャー以来のアメリカの独善世界支配を批判している。局地戦争は続くかも知れないが、それはアメリカ国内の局地戦争による軍需景気が国内の投票民をどこまで潤すかによって左右されるだろう。
しかし、日本人のケツの穴までの経済化は、金という価値枠の中で人種も辺境もゆがめてしまっている。人種差別を弾劾するならまず多様な人種を受け入れるべきだろう。日本はまだ、幸いなことに第一世界に分類されているのだから。
沖縄はこのたびも国内日本人の完全な無視の中にいるのではないか。完膚なきまでの国内植民地化を現在の沖縄県民は目の当たりにしているのではないか。
日本人としての責務が憲法前文にうたわれている。何が書かれているのか、いま確認していただきたい。
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