冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(6)
- 2017年 2月 26日
- カルチャー
- 内野光子
渡嘉敷を半日走り抜けて
灰谷健次郎(1934~2006)さんの住んでいた家、1991年移住されてきたそうで、別荘のようにも利用されていた由。現在のオーナーは、カフェレストランを開いているが、左手の門には「灰谷健次郎」の表札が残されているまま。私は、娘の教科書に載っていた「ろくべいまっていろよ」くらいしかなじみがないのだけれど、『週刊新潮』の神戸での事件の犯人、少年Aの写真掲載に抗議していた、気骨のある作家くらいの記憶しかない。代表作の『太陽の子』は、沖縄出身の両親が神戸で開いている沖縄料理店に出入りする沖縄出身者たちの中で成長してゆく少女の物語という。ぜひ読みたいと思っている。
渡嘉志久ビーチからビーチを阿波連ビーチへ
阿波連ビーチのあとさき
遅い昼食をすることになった阿波連ビーチに向かいながら、通り過ぎたのが、灰谷健次郎が別荘のように使用していた家であり、先にも紹介した特攻艇秘匿壕であり、戦跡碑であった。昼食後、初めて、今はだれもいない波打ち際に立った。晴れていれば、その海の色は格別だったのかもしれない。目の前の離島(ハナリ)にも米軍の砲弾がいまでも見つかるそうだ。米軍が繰り返し、繰り返し、兵を上陸させていた浜の一つである。
店の前の猫は、地域猫とでもいうのだろうか。近くで遊んでいる女の子に聞いてみると12ひきとのことであった。背中に大きな傷を持った猫が私について回って離れず困ってしまったのだが
阿波連ビーチ
出航の3時30分までということで、途中、立ち寄ったのが根元家跡であり新垣筑兵衛家跡であっ。渡嘉敷小中学校前では、卒業制作のさなかの中学生たちに出会った。
幼稚園児15人、小学生29人、中学生18人の学校で、中学校卒業時には、外の石塀に壁画を残すことになっているそうだ。小学生より中学生の方が少ないということは、本島の中学校にでも進学するのだろうか
出航の3時30分までということで、途中、立ち寄ったのが根元家跡であり新垣筑兵衛家跡であっ。渡嘉敷小中学校前では、卒業制作のさなかの中学生たちに出会った。
さようなら、渡嘉敷
初出:「内野光子のブログ」2017.02.24より許可を得て転載
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〔culture0418 :170226〕
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