小説:やっさいもっさい(4)
- 2017年 3月 28日
- カルチャー
- 三木由和小説
4「40代の高校生」
ある日、歩行訓練をしている若い男の子に話しかけられた。背の高い、体格のいい青年である。
「北島先生。先生この前の日曜日に、ダイエーで買い物しているところ、見かけましたよ!奥さん、凄く綺麗な人ですねぇ。お子さんはいくつですか?」
「2歳になったんですよ。見られていたんですねぇ。」
章は家族を褒められると嬉しかった。とりわけ、雅子は自慢であるが故に誇らしく思うのである。患者とはこんな会話をよく交わす。歩行訓練が終わるとマッサージを施す。その時に病院で用意した患者服に着替えてもらうことになっている。彼が着替える様子を、見るともなく見ていた章は彼の筋骨逞しく逆三角形の背中に驚いた。彼にマッサージを施しながら、指先に力が入る。
「強いですか?痛かったら、言ってくださいね。」
「いや、気持ちいいです。」
その後も彼は通って来たが、ある時からぱったりと来なくなった。三月ほどたったある日である。彼はやって来た。外来からの処方によれば、マッサージのみとカルテ書かれてある。
「久しぶりですねぇ。」
声を掛けながら、着替えの服を手渡すと
「はい」
と一言いい、慣れた様子で着替え始めた。その時だった、彼の背中に彫り物を見つけた。一瞬にして、周囲は凍り付いた。脊髄の一二番ほどの部位から尻にかけて、大きな真鯉が彫られている。頭を上に、尾は尻に頚椎を狙い滝昇る。その姿は、章の目にもはっきりと映った。緊張感の張り詰める中、章は何も無かった様に、見なかったと自分に言い聞かせ、マッサージを始めた。この数か月の間に、彼の身に何があったのか知る由もないが、この青年の将来を案ぜずにはいられなかった。するとしばらくして、
「あの、いつもの様にもっと強く押してください。」
「はい、分かりました。」
彼に注文を付けられて、自分の動揺が指先を通り彼に伝わっていたことを知ったのだった。が彼はそんなことに頓着する景色はみじんもない様に思えた。章は自分より齢の若いこの青年に、自分には持ち合わせのない力を感じた。その後、彼が病院に姿を見せることはなかった。
章は数人の不良に囲まれている。ボンタンにリーゼント姿で背も章より遥かに高い。
「おい、おじさん。どこ見てんだよ。」
無言の章に
「何か言って見ろよ!」
仲でも一番背の低い、山田と言う餓鬼が章の襟首を掴み上げ、視線を上下させながら
「どこ見てんだよ!気持ちわりーんだよ!」
と詰め寄った。その次の瞬間、章の右こぶしが山田の左顔面をとらえた。山田はその場に倒れ込んだ。その周りで様子を伺っていた数人が、章と山田を引き離しにかかる。山田は直ぐに立ち上がり、拳を振り上げ章に向かってくる。だが、3,4人に取り押さえられてしまった。
「誰か、先生お呼びに行ってこい!」
誰かが叫ぶと教師が二人やっていた。章と山田、その他数名は空き教室へ連れて行かれ、そこで事情聴取された。事の発端は学校内で不良な奴らが喫煙していた。そこを通りかかった章が注意したことから、この事件は起こった。
「どんな理由があるにせよ、先に手を出してしまったのは私です。年甲斐もなく、申し訳ありません。」
平謝りを繰り返す。章に
「いや、北島さんだけが悪いわけではないですよ!」
と慰める。教師
「ですが、何らかの処分は受けてくださいね。とりあえず、今日は帰宅してください。」そう言われて帰って来た。
子どもの頃から、どこ見てんだ、気持ち悪い、慣れていたはずの言葉だった。帰宅して、夜中一人で考えていた。子どもの頃、自分がいじめられると、それを見て悔しそうな父を思うと辛かった。同様に、今は親ではなく妻子である。章は殴ってしまった、右手で握りこぶしを作るとそれをじっと見つめて
「この中に、雅子と章一がいるんだ。」
そうつぶやき精一杯の力で握りしめてから、今度はゆっくりと手を開いた。何故か気持ちが落ち着いたように感じた。
章は高校生になっていた。章一が生まれると彼は鍼灸師の資格が欲しくなった。鍼灸師の資格さえあれば、給料も今より良くなる。将来的には独立開業も夢ではない。そう考えたのである。だが、鍼灸師は高等学校を卒業していないと取れないことになっている。幸いにも、近所に木更津第二高等学校の定時制(夜間部)があることを知り入学したのである。
そして、この事件は入学して間もなくのことであった。翌日、学校から病院に電話がかかって来た。担任の高田先生からだった。
「あぁ、もしもし北島さん。処分が決まりました。三日間の謹慎と言うことなので、登校はしないでください。」
「分かりました。」
章は翌日、山田の家に菓子折りを持って詫び行った。本人は不在だったが両親に会い謝罪することができた。その翌々日、三日間の謹慎が解け、登校が許された。登校してみると、皆何も無かったかのように、彼を受け入れた。
「こんばんは!」
「あぁ、こんばんはー」
これが定時制の挨拶である。最初は違和感を感じたが、6時から始まる授業だ。こんばんはで始まるのは当然である。この挨拶になじむのにそう時間はかからなかった。むしろ、心地よく響くのだった。あの事件以後、彼にちょっかいを出す輩はいなくなった。
「今日はヨー。朝から親方に怒られてさー、そこから怒られっぱなしだった。」
大工の見習いをしている安倍が大きな声で漏らす。それを受け、自動車の修理工場で働く岩崎が
「俺だって、今日、お客さんにどなられてさぁー」
こんな仕事での苦労話が、あちらこちらで
飛び交う。いつもと変わらぬ授業前である。二時間目が終わると正心ホールに移動する。給食を食べるためである。この広い部屋には全校生徒がすっぽりと収まってしまう。言わば食堂を思い浮かべてもらえればいい。食事の前には必ず黙祷をした。給食が終わると三・四時間目の授業が行われ、下校と言う流れとなる。章が帰宅する頃は9時になる。
彼が帰宅ずる頃はいつも、章一は夢の中にいた。朝は章一が起きる前に出勤してしまう。章一と擦れ違う生活になってしまった。章一が5歳になった時
「パパはいつも家にいないから、つもんない!」
と言われてしまった。それは章の胸にずっしりと重くのしかかっている。たまに早く帰宅する時と言えば、中間テストや期末テスト期間である。章一は章の姿を見つけると、この時とばかりに、纏わりつき離れようとしない。そんな章一を見ると、一緒に遊んでやりたいと言う思いを押し殺し、試験勉強をする章だった。
章は勉強が苦手だった。なにしろ、中学校を卒業してから二十年以上も経っている。特に英語や数学は完全に忘れてしまっていた。そんな彼の家庭教師は妻の雅子である。雅子は夜中まで章の勉強に付き合った。そんな章も弱音をぽろっと、こぼすことがある。
「四十歳を過ぎって、高校を卒業したところで、それが何になるんだ。章一にも我慢させて、おまえにも負担かけてさぁ。」
つぶやく章の背後に寄り添い、右肩に手でさすりながら、
「もうすぐ、卒業じゃない。」
おっとりとした口調で慰めるのである。章は何度も何度も、このような言葉で奮い立つのだった。
そんな彼の努力は卒業と言う形で実を結んだ。四年間の学校生活を終え、入学時から一緒に卒業できたのはざっと見て四分の一になっていた。卒業式の日、四年間担任をしてくれた高田先生に言葉をかけられた。
「北島さん、よく頑張りましたね。」
「いろいろありましたが、お陰様で何とか・・・。」
「いろいろねぇ。ここの卒業生は皆がそれぞれ、いろいろあるんですよね。これからも頑張ってください。」
「ありがとうございました。」
握手を交わすと、瞼が熱くなるのを感じた。
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