テント日誌4月7日…「自主避難は自己責任」という言葉が露呈させたこと
- 2017年 4月 10日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
経産省の玄関脇の桜も満開 4月5日(水)
暖かい日だ、外務省の桜は、早咲きの2本はすっかり散り、ソメイヨシノが満開。経産省の玄関脇にある2本は満開。この2本の花の色は普通より白っぽいというのがみんなの評価。
座り込みを始めてしばらくしたら、制服警官2人が近づいてきたが、途中で引き返していった。
規制委員会に傍聴に行った人が30分ほど座り込んでいった。経産省にも若い官僚が入局しただろうが、天下りの巣窟の文科省、原発問題を見据えられず、全室に鍵をかけているという経産省等々、官僚の腐敗、堕落知ってほしい。
4/4の今村復興大臣の発言には本当に怒りがわく。なにが道徳だ。何が丁寧に説明するだ。
遅番の人がいつも時間より早く来てくれるので、2時過ぎすら3時過ぎまではにぎやか。Sさんが当番の日ではないが病院に来たついでにと来てくれた。また、九電前と東電前の抗議行動の日なので、参加者も立ち寄ってくれた。
共謀罪の抗議集会に参加した方も加わって 4月6日(木)
今日は、春というよりも初夏のような暖かさ、経産省前に着くと先ずは汗を拭き、それから座り込みのセッティング、その途中でIさんが到着し二人でセット完了。すると突然強風が来襲してセットした椅子と台車に固定した「のぼり旗」と「横断幕」が傾く、やむなく2枚の横断幕のうち、1枚を取り外し横断幕の両サイドの椅子に座り込む。
14時過ぎには、議員会館前で「共謀罪」の抗議行動に参加された方や16時からの「被災者を切り捨てる今村復興相の暴言を許さない」首相官邸前緊急抗議行動に参加さる方で、セットした椅子7脚では足りず、立ち話の人も出る盛況でした。また本日は、日比谷野音での「話し合うことが罪になる共謀罪法案の廃案を求める4・6大集会」に参加するために、座り込みは若干早く撤収した。
日比谷ではTさんが、大急ぎで印刷した「共謀罪廃案」の替え歌で(おどるポンポコリン)(神田川)
(鳩ポッポ)(へんなおじさん)200枚があっという間にはけました。
またテントリーフとテント美術館のチラシのセットもあっという間に配布を完了しました。(Y・R)
ハトが、12時前後に座り込みの場所に集まってくる。少しパンの食べ残しをやる。ハト、スズメ、ヒヨドリが来る。ヒヨドリは桜の花(つぼみ)を食べているようだ。(T・I)
「自主避難は自己責任」という言葉が露呈させたこと 4月7日(金)
事務所に11時に到着。気温が高いのと湿度が高いためだろうか汗ばんでいる。相棒のTさんは先に到着していて、チラシの帳合をしていた。暫し2人で休憩。昨日の共謀罪の集会について語り合う。時間がきたので、荷物を台車にくくりつけ二人で出発。
経産省前に着いて幟旗をセットしていたらポツリポツリと雨が降りだした。何はともあれ、急いでカッパを着こむ。しかし、雨もたいした降りにならず降ったりやんだりを繰り返す。
お弁当を食べ終わった頃、背の高い外国人女性がカメラを構えて座り込みの様子を撮影し出した。そしてあちらの方から声を掛けてきた。どうもドイツからやって来たようである。ドイツ語も英語もからっきしだめな私では話にならない。Sさんが辛うじて英語ができるというので、Tさんと3人がかりで対応する。あいにく英語のパンフレットがなく往生したが、何とか意思疏通ができたようである。反原発の旅行者のようである。午後5時から経産省に対して抗議行動をやることを伝えたら、またその頃に来るとのことだった。
4月4日の復興省今村大臣の記者会見での発言に対しての怒りが渦巻いている。福島の各地から避難している人々は、好き好んで故郷を離れたのではない。高い放射線量のため安心して生活出来ないから、生まれ育った故郷をあとにしているのだ。それなのに3月31日をもって国が住宅支援の打ち切りをするなんて到底許せない。福島第一原発事故さえなければこのようなことになっていないはずである。国や東電が国策として始めた原子力発電での犠牲者に対して責任をもって支援をすべきであって、あろうことか「自主避難は自己責任だ」なんて発言はまともな人間の言うことではない。非人間的な今村大臣を辞任に追い込むまで追い詰めよう❗
座り込みをしていて、正面を見ると経産省の桜が綺麗に咲き誇っている。しかしそれも満開を過ぎ、風で散り始めている。あと何日もつだろうか。
後ろの財務省玄関前に立つ警備員の数が多く感じられる。おまけに、テレビ局のカメラが何台か構えている。財務省で何かあったのだろうか?森友学園がらみで破棄したはずの文書でも出てきたのだろうか?霞ヶ関のど真ん中で座り込みをしているといろんな情報が飛び込んでくる。確かなことは分からない。
今日の天気は猫の目のようにクルクル代わる。雨かと思うと知らないうちに青空となり、また、ポツポツ降って来るという具合で目まぐるしい。カッパを脱いだり着たり慌ただしい。
3時過ぎには、いろはネットの方々がいなくなり、入れ替わりに、OさんやHさんやSさんやYさんなど常連が顔を出す。私は4時を回ったので、文科省抗議行動に場所を移動した。(S・S)
今村復興相と復興庁職員は総ての被害者に向きあえ 4月7日(金)
「今村復興大臣の発言に抗議する共同記者会見」(参議院議員会館)で福島から全国に避難している人たちの話しを聞いた。年間50mSv(ミリシーベルト)のところも避難解除されている、土壌の放射能汚染がひどいので「土を測れ」、帰りたくても帰れない困惑と困窮。安全・安心だから避難しないで住んでいるのではない、あきらめて住んでいるのだ、総ての被害者・避難者を切り捨てるなと武藤類子さん。
急いで、経産省本館前に到着。シュプレヒコールと「ここへ座込め」で抗議行動を開始、経産省批判とともに復興庁批判のアピールが続いた。暖かくなってきて帰途につく人たちも積極的にチラシを受け取ってくれた。うれしいことに経産省の嘘の象徴である立て看板がやっと消えていた。続いて復興庁前に行こうとの声で終了、多くの参加者が財務省の裏の復興庁に向う。
復興庁前は、沢山の抗議者と沢山のメディア・カメラ。今村は辞めろという声を復興庁に届けた。テントひろばから多数参加するとともに、むしろ旗を掲げるなどで抗議集会を支援。多くの被害者・避難者の声を今村復興相や復興庁職員は聴いたか? 自己責任・訴えればいい等の発言を猛省し被害者に向きあえ。
経産省本館前座り込みに戻るとここもにぎわっている。いつもの暖かい飲物を飲んでしばし座り込んだあと、懐かしのMさんに手伝ってもらってのぼり旗や椅子を片付けた。
福島の棄民政策、再稼働推進ばかりでなく、森友学園問題と加計学園問題、共謀罪などなど、これから国会周辺・霞ヶ関に集まる機会が多くなる。経産省前テントひろば座込みも頑張るぞ。(K.M)
「共謀罪」に対する闘いの意味するもの 4月7日(金)
村上春樹の『騎士団長殺し』には1930年代の暗い事件が登場する。この小説にとってこの事件の登場が何を意味するかを論じるのは難しいのだが、とても印象深いところだ。一つはドイツ(ヒトラー)によるオーストリア併合に絡んだナチ高官殺害事件である。これには「騎士団長殺し」という絵の作者である雨田具彦が若い日のオーストリア留学時に関係する、彼はオーストリア人の恋人と共にこの事件連座し、ドイツの秘密警察に逮捕され、強制送還される。もう一つ弟の雨田継彦が1937年の南京虐殺事件に参加し、後に自殺する件である。1930年代の暗い二つの事件を何故に村上春樹はこの作品に登場させたのか。この作品を読みながら思いめぐらしたが、昨今の状況があの不安な1930年代に似ていることへの危機感とそれに対する村上のメッセージのように思えた。
「戦争のできる國」へと国家が舵を切ったことは、今や多くのひとが感受するところだが、それは国家権力による自由や民主主義(国民の自由や発言や行動)の制限や抑圧と関係している。これは最終的には憲法の改正(権力を縛る憲法の改定)になるのだろうが、実質的にそれをあらわす法案が出てくる。憲法解釈の変更や安保法案(戦争法案)であり、特定秘密保護法案である。そして、今、「共謀罪」法案が国会に上程されている。1930年代を想起させる国家権力の動きがみられるのだ。戦争のみならず、国家権力の所業を経験した人たちが、危機感を持って当時のことを語る、それをよく目にする。戦中派(戦争経験のある人)の人々の書き遺しである。作詞家であるなかにし礼は『夜の歌』で満州国から引き揚げを含めた自己の生涯を込めた作品を書いている。これには一例だが、多くの人が歴史的証言としてそれを遺している。
「共謀罪」法案、これの法案の趣旨は明瞭ではない。その目的にとってつけたようにテロ防止を付け加えているのはそのことを示している。テロやその防止について政府は明確(国民に納得できる)な説明をしたことはこれまで一度もない。反テロ戦争に加担してアフガニスタンやイラクに自衛隊を派遣したが、その総括もない。反テロ戦争とは何だったのかの説明をしたこともない。テロといえば、誰もが反対できない。反対するのは難しいから黙っている。こういう状況があるから、テロ防止などを使っているが、テロがなにをさし、どのように起こるのかの説明はできていないのだ。オリンピックを掲げるが、それとテロとの関係など何一つ明らかにしえない。
政府筋にとってことは明確なのだ。戦争と国家権力の強化(自由や民主主義。あるいは国民主権の制限や抑圧)は両輪であるのだ。僕らは戦争と自由や民主主義の抑圧の歴史をフランス革命の時代から見ている。1930年代のファシズム(全体主義)はそれが極端にあわわれたが、連合国(ファシズムに対抗した国家連合)の側にも強度は違うが同じことが存在したことはいうまでもない。この国家権力の再編と強化が実質的に進められるのは官僚機構(法務省・軍・警察等の統治系の機構)においてであり、今、「共謀罪」法案を通そうとする政治家たちはそれが機能しはじめるころにはいないだろう。あれはなかったと後で悔やむ人が多いのかも知れない。
昨日は日比谷公園で「共謀罪」に反対する集会に多くの人が集まった。この動きは今後、より大きな声となっていくだろう。「共謀罪」法案は多くの人が指摘するように「治安維持法案」を想起させる。「治安維持法案」ができたのは大正15年(1925年)である。1920年代はもちろん、1930年代、とりわけ15年戦争と呼ばれている中国大陸での戦争が激化しはじめてのころにこの法案は強く機能した。これを制定した時代の内閣は拡大適用に警戒的であったと語られるが、こんなことはちっとも作用しなかった。今、政府の説明も同じである。少しでも通りのいい言葉で飾るだけである。何故だろうか。
ここには近代の日本で法(憲法)がどのようなものとしてあったのか歴史がある。法(とりわけ憲法)は国家権力の権力行使を制限するものであり、それを抑制するものであると語られる。これは国民主権の意味であり、これが普通の憲法の常識である。日本ではこれは憲法の条文の中には存在しても、現実には存在しなかったことである。日本は明治維新を経て憲政国家になったというが、日本では憲法が国家の根本法になったのではない。広辞苑にはそう規定されているが、そうではない。国民の意識(意志)が権力の専制的恣意的行為(暴走)を制限し、縛るものとしては、という意味においてだ。憲法は国家支配権力の統治のための道具であった。アジア法治思想(法家の思想)に基づく法思想(法についての考え)が支配的であり、憲法もそのように扱われてきたのだ。
かつて三島由紀夫は「治安維持法」は不敬罪にあたると批判した。彼は天皇制の擁護者であり、体制擁護派と目されていたのに「治安維持法」をこのように批判した。これは「治安維持法」が「大日本帝国憲法」に違反していたというように読める。でも、「治安維持法」が「大日本帝国憲法」と矛盾するものであるという指摘はなされなかった。これは「大日本帝国憲法」が普通の意味の憲法の条件(存在の意味)満たしてはいなかったことであり、憲法という言葉の書かれた法の体系(憲法法律)はあつたにしても、憲法(憲法を憲法にする精神としての憲法、あるいは思想としての憲法)は存在しなかったことを意味した。
戦後憲法は「治安維持法」の存続を否定したが、憲法を憲法足らしめた結果であったかといえば、そこには疑問が残る。憲法についての認識が戦前の憲法の反省に立って一変したかというと疑問があるからだ。日本帝国憲法の改正としての日本国憲法の成立には憲法についての認識の革命(国民主権への憲法観の転換)が起きたとは考えられないからだ。確かに、戦後憲法の前文には国民主権のことは書かれているにしても、支配層も含めて憲法観の転換が起きたとは思えないのだ。国民主権は憲法の前文という条文のなかに存在するだけだ。
僕らは政府や官僚層の憲法観(国家権力の統治の道具としての憲法)に危惧し、不安を抱いてきた。そいう伝統(法観の支配的伝統)があることに不安をもってきた。それは国家権力(政府や官僚)の暴走を歯止めするものがないことを意味した。戦前にはそこに上乗りするように「治安維持法」があったのだが、そこに憲法違反ともいうべき治安維持法に匹敵する「共謀罪」法案が出てきている。だから、問題は二重なのだ。憲法に違反するような法案がでてきていること、それにもう一つ権力の超権力的所業(専制的・抑圧的振舞いを歯止めする憲法がない事である。ここに共謀罪提出に対する本当の不安と危惧ある。
人々の自由を侵犯する共謀罪を法として認めないのは当然だが、これへの異議申し立ての中で、僕らは日本の憲法観を変えていくこと、それが同時に必要なことを自覚しなければならない。立憲主義の擁護というのはそれをあらわす言葉である。「治安維持」(テロ防止)になお借りた抑圧法としての共謀罪法案に反対する。同時にこの闘いが憲法を創り出す、自由と民主主義を存在させる革命的な運動でもあることを自覚しなければならない。自由と民主主義など日本にはない。憲法がないように。それらは僕らの意識や現存感覚にあるだけで、それは現在から未来に向かって創りだされていくものなのだ。
憲法違反の共謀罪を葬ると同時に、真の憲法を創り出していく事を意識していなければならない。憲法にまつわる運動や闘いが抱える複雑な日本事情だが、ここを自覚していなければならない。共謀罪法案対する闘いは二重の意味で憲法をめぐる闘いである。一般的な意味での自由や民主主義の抑圧法である共謀罪法案はその法案を葬ることで憲法を守るたたかいだが、その過程で憲法を創り出すことであるという意味での憲法のための闘いである。自由と民主主義を生み出して行く、つまりは憲法を生み出して行く闘いでもあるのだ。これは「共謀伻」法案に反対する運動に内包される希望だが、この希望は自覚されてあることではじめて生きるものだ。(三上治)
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4月14日(金)5時~6時経産省前抗議行動 テントひろば主催
官邸前抗議行動(首都圏反原連) 6時
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