テント日誌5月4日…止めるべきは原発!
- 2017年 5月 7日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
止めるべきは原発!5月1日(月)
GW 3日目、第88回日比谷メーデーのデモ行進が通り過ぎていく。天気予報の「午後から天候の急変」を受けてノボリ6本は雨風に即対応できるように椅子に括り付けず地面に差す。風はあるが湿度がありセッティング中、今年初めて額の汗を何度も拭う。昨日に続き「夏日」になった。
デモ行進のシュプレヒコールは戦争法反対!許すな共謀罪!憲法改悪を許さない!が繰り返されていたが、座り込みのバナーやノボリに呼応し、福島を忘れない!再稼働反対!がアピールされる。Sさん、Mさんがデモを抜けて挨拶に来る。参加人数を聞くと7,000人と発表されたそうだ。
他の隊列にNさんも参加していて声をかけていく。
12時15分過ぎにデモの最終隊列が過ぎ、カメラで後を追っていた人は撤去後の座り込みを知らずしきりに感心する。
12時50分にポツリときた。遠雷も聞こえ出し、職員が鯉のぼりと国旗が降ろす。辺りが暗くなり急に気温が下がりだす。
レインコートを着てリュックカバーを付ける。雨も横殴りに降り閃光と落雷の轟音が一致した。ノボリを椅子の上に束ねて地下鉄口に逃げ込む。
柔らかな黒糖をくれた座り込み参加の女性がここで帰り、3人でしばらく様子を伺う。
地下鉄と言えば東京メトロや北陸新幹線が29日早朝、「北」のミサイル発射によるJアラート警報を受けて一時運転を見合わせた。過剰警戒か、社会実験か、アベ忖度か、国との「共謀」なのか。止めるべきは原発なのに!
1時40分に雨が上がりノボリを立て直すが2時に再び突風と豪雨が襲来した。これはもうダメと判断し撤収を決めた。
Oさんと女性のMさんも片付けに奮闘する。しばらくして風雨が収まりだした。2時過ぎにMさんもやってきてここまで5人が参加。
事務所に戻り雨にぬれた用具の後始末をして引継ぎのSさんに撤収を連絡する。しかし、窓の外が明るくなってきた。判断が早すぎたようだ。
「こんな日もあるのか」と自分に言い聞かせたが後の祭り、無人の座り込みに来られた方がいたらがっかりされたことだろう、ごめんなさい。(I・M)
連休の谷間だが、座り込みは続く 5月2日(火)
今日は連休の谷間、それでも正午に経産省前に行くと職員がぞろぞろと出てくる。午前中に国会傍聴に行った人の参加を得て5名が座り込む。安倍の「そもそも」誤解発言や共謀罪の話が発展して官僚の話になって、官庁警備の職員も「官僚」なのかと問題提起される。
久しぶりに「テント泊まり」時代のメンバーだったKさんがやってきて、これまた火曜には久方ぶりの警察官も2名でやってきた。彼らはKさんに向かって「今日は何時までですか」(何を今更!)などと質問するので、暑さで虫の居所の悪かったKさんは「そんなことお前らは良く知っているだろう、帰れ」と一喝、すると即座に退散。
帰途、日比谷図書文化館に立ち寄る。今年は憲法制定70年、そしてロシア革命100年、4階の特別研究室では4月18日から6月末まで「ロシア革命から百年~国際派官僚の書棚で触れる近代ロシア~」という企画展示が開催されていた。なお、官僚とは国家公務員である役人、官吏のこと。 通称「キャリア」と呼ばれる人間に限定されるが、日本やロシアの政権に限らず、どんな組織にも官僚的な人間はいる。(O・E)
今日は経産省前座り込み有明の憲法集会に分かれた 5月3日(祝)
今日は憲法記念日で、東京有明で様々な問題で集会とデモがある。そちらに参加する人、経産省前で座り込む人と当番も分かれた。私は当番を申し出て経産省前で座り込む。爽やかな5月の風の中、太陽が雲間から輝くと真夏のような暑さ。
官庁は休み。役人が居ないので通行人はチラホラ。ハトが19羽も加勢に来てくれた。ハトは焼き芋の皮は食べないということがわかった。がんばって下さい。応援しています。向こうからこっちに移ったのですね。等々今日1日の声掛けがあった。2時過ぎてから経産省の窓にアチコチ蛍光灯がついたのが見える。休日出勤ご苦労さまと言いたいところだが果たして!国民の為になる仕事をやっているのか?
いつものように機動隊が一人離れたところから見ていたがその姿が見えなくなったらいつもの濃紺の警察の車が横付けされ、中年の警官が「片付けて下さい」と言う。こっちが「折角持って来たのだからもうしばらく」などと言ったら帰って行った。
風が吹いて横断幕と幟を結びつけた机が道路側に倒れてしまった。Oさんが通行人に当たらなくて良かったと言う。そう言われるとずっと今までは道路側に倒れて駐車の車に謝ったりしていたが、通行人に何かあったら大変なので気をつけなくては。
3時過ぎ経産省のチェーンに下げてあった「立ち入り禁止」の札が風で飛んだ。道路に飛んだので経産省の敷地内に移した。その後の巡回で女性の巡回員が気がついて持ち帰った。この様子だと監視カメラで常時見ているわけでも無さそうだ。まさか、風で飛んだのを私たちのせいにする事はあるまい。(玉中)
GWの真ん中、さすがに人通りは少ない 5月4日(木)
ゴールデンウィークのど真ん中、さすがに霞が関界隈の人通りは少ない。
テントが強制撤去された後、私の当番日には来ていなかった、丸の内警察署のワンボックスカーが座り込んでいる真後ろに停車、数分間いたが誰も降りて来ず去っていった。(私がスゲ笠を被っていたので、様子でも見に来たのかも)
今日も風が強く横断幕やのぼり旗を括り付けた、イスに座っていないと倒れてしまう。通行人の少ない中、中年の女性二人が座り込みに連帯の意思表示か右手を振り上げて通り過ぎる。
また省庁巡りをしていると言った、若い男性3人が寄って下さりIさんから、テントニュース等を受け取っていました。
連休中にもかかわらず、延べ7名が座り込む。(Y・R)
戦中派の面々よ、怒りを込めて生き延びよ 5月4日(木)
連休ももう終わりに近づいて何か寂しい気もするが、連休の真ん中に憲法記念日がある。経産省前テントひろばの面々は記念日の集会に参加した。僕も毎年、参加しているが、今年は事情があって参加できなかった。が、翌日の新聞(5月4日)の安倍首相の改正についての意見(メツセージ)が出ていて驚いた。驚いたというよりはやっぱりそうかという怒りを含んだ感想を持ったのだが、それを記しておきたい。長くなるが、容赦願いたい。
憲法記念日にはいつも思うのだが、奇妙な感じを持たされる。それは憲法記念日を政府や国家権力が厄介物扱いにしていることである。彼等からは憲法を忌み嫌う気持ちを濃厚に持った扱いや振舞いを見せつけられるのである。政府や国家権力の担当者は憲法に則った存在であるはずであるのに、邪険に扱う。
その理由を政府や国家権力の担当者は現行の憲法(日本国憲法)がアメリカ占領軍に押し付けられたものだからという。本当はこれが方便であり、憲法改正の要請(9条改正の要請)がアメリカからのものである点を無視していることでも嘘を明瞭にしている。
彼等の憲法を厄介者している理由は二つの事柄にある。一つは現行憲法の9条(非戦条項)が国家主権を制限するからだと思われる。憲法9条は非戦条項であり、国家主権を制限している。国家意志としての戦争を制限し、制約している。これは憲法の前文の政府の独善的・専制的行為(勝手な行為)としての戦争を否定しているところとも深く関係している。これは国家行為としての戦争に対する人類史的な、その意味では先進的考えであり、その表現である。戦争を否定し常備軍を持たない国家という理念(思想)は現在では世界的な孤立を強いられてあるが、世界的な未来を示すものだ。世界の未来を示す、先進的なものである。
もう一つは憲法の認識(理解)からくることである。政府や国家権力の担当者は憲法を<国民の国家に対する命令>であると認識することに否定的なのである。彼等は憲法とは国民の統治のための道具であるという憲法観(アジア的な法思想<法家の思想>)を無意識も含めて踏襲しており、現行憲法の立憲的要素が気に食わないのである。国家権力や政治権力の担い手は憲法の立憲的本質を忌み嫌うか、否定的な気持ちを持つものだろうが、アジア的な法思想に囚われてある時にはそれは強くあるのだ。政府や権力者は法治という言葉をしきりに使うが、法治にはアジア的な法治思想(法家の思想)もあり、日本の保守的政治家や官僚はこの立場をとっている。中国は近代的な憲法の成文憲法として持つが、憲法(憲法精神、あるいは憲法的な考え)が存在しない。中国には成分憲法は存在しても精神としての憲法(憲法精神)は存在しない。中国で支配的なのは法家的な法治概念である。これが憲法のかわりをなしている。日本の政治家は中国には法治概念がないというが、中国にはアジア的な法治概念がある。日本は伝統的なアジア的法概念を背後に持ち、表面は西欧的な法治概念を打ち出しているが、この二重性を憲法条文と憲法精神で使い分けており、憲法精神の意味では中国の法治思想を取っている。特に保守の政治家や官僚は徳川時代からの遺産としてこれを踏襲している。中国を鏡にするとよく見えることがある。
僕はいつも国家権力者や政治権力者の憲法嫌いや憲法認識が露骨に現れる憲法記念日を不思議な気分で見て来たが、今年は安倍首相が5月3日に憲法改正に踏み込んだ発言をしたので上で述べたように驚いた。「それは憲法9条に自衛隊の存在を明記すること」「2020年を新しい憲法が施行される年にした」というのが主たる見解である。「9条1項、2項を残しつつ自衛隊を明文で書き込む考え方は国民的な議論に値する」というのが、前の件であるが、この件は9条に対する加憲を主張してきた公明党の見解に近いところもあり、彼等への配慮があるという新聞の解説もある。僕はこの見解が9条改正に対する強い反対への対処にあることをみてとるが、9条を条文としてどう扱うかというよりは、安倍の9条についての考えとその改正への欲求という意味での憲法改正について触れておこう。彼の現実的な歩みを見ることでもある。
憲法9条は非戦条項といわれ、その条文をあらためて述べるまでもないものだ。僕はしばしばいうように憲法は前文と一緒にこの条項を理解して欲しいと思う。その上でこの条項の重要な点は戦争についての理念(考えかた)、別の言い方では戦争観が対象化されたものだということである。「あんな戦争はもう嫌だ、戦争は嫌だ」という国民の意識というか、戦争観であると言っていいと思う。この戦争観は第二次世界大戦に対する日本の国民の反省として出て来たものであり、歴史的な戦争観(国家観)の否定である。戦争は国家本質としてあるものだし、国家はその属性として戦争をやるというのが歴史的な国家の思想だが、その否定を含んでいるのである。
この戦争についての考えは憲法9条の精神であり、憲法9条の実体をなす憲法精神なのである。この戦争についての考え方(理念、あるいは戦争観)を戦後の日本の政治家たちは保守も含めてどう考えたらいいのか迷ってきたのであるが、安倍の祖父である岸信介はこれを否定した。彼が政治目標としても憲法の改正に意欲的であったのは国民の戦争観は国家を制限するものであり、国家主権の制限とみる考えがあったからだ。岸は国家主義者であり、その観点から戦争を否定する憲法(憲法精神)の存在を許せなかったのである。(保守の政治家も戦争についての国民の思想の否定には踏み込めないできた部分が多くいたが、岸はその否定<戦争の肯定>を主張した保守の政治家である)。
戦争についての考えをかつての歴史的なものへ戻す、戦争の肯定に戻すことが、岸信介の主張であったが、安倍はこれを継承している。安倍が憲法改正に意欲的なのは条文の改定というよりは、憲法精神となっている戦争観や戦争についての理念を変えることである。憲法の条文の改定は多分に政治的な要素も出てくるから、その背後にある憲法の精神(9条や前文の精神、戦争や国家の考えかた)を変えようとする欲求に本当のところがあるのをみていなければならない。「戦争のできる國」へ、人々の意識や考えを変えることが、安倍の9条改定の眼目であることを見ておこう。そこが大事な点である。自民党の憲法改正草案も含め条文上の議論はいろいろ出てくるが、憲法の改正という場合にはいつも条文と背後の理念(考え方)とを二重に見ていよう。
今回の安倍の提起で新しいのは≪20年を新しい憲法施行の年にしたい>というところだろう。憲法改正のプログラムが明らかにされたと人々は思うかもしれないが、何よりも彼が憲法改正を提言すること事態がおかしなことである。彼は憲法改正の発議権が国会にしかないことを指摘しているが、それは条文上での規定であり、憲法精神(憲法の存在)からみれば、これは由々しきことである。憲法の改正はその精神というか、存在自体から見れば、国民の発議(改正の欲求や声)があり、それで議会が発議する条件が出てくるというべきである。憲法が政府(国家)に対する命令であるということの意味を、つまりは立憲概念を正確に理解しておれば、首相がこのように憲法改正と新憲法の施行の年を提起することは許されざる行為なのだ。これは彼が憲法を統治のための道具と考えるアジア的な法観(憲法観)しかもっていないことを暴露したものである。誰も問題にしないかもしれないが、憲法に反する所業を彼がやっていることを指摘しておきたい。
憲法9条の改定とはそこに込められている戦争についての考え(理念や観)を否定し、変えることだが、憲法の条文をいじらないで憲法解釈や憲法に反する安保法案(戦争法案)の制定でそれを進めてきたのが安倍政権である。この戦争の項目(この項目が体現している精神)の改定を政治的に進めて来たのであり、これは集団的自衛権の発現である、アメリカ軍の防衛という形で進められている。東アジアでのアメリカ軍の行動に対してだけではなく、中東アジアでの戦争への対応でも同じことが進められるのが予想される。人々の懸念や危惧がこんな風に早くやってくるとは考えなかったが、ここはよく見ておかなければならない。要するに憲法の条文(成分憲法)をいじらないで、憲法の精神を改正してきたのだが、これは憲法違反の行為を重ねてきたことだ。
戦争の考えの否定や改定は、権力の国家主義化をすすめ、自由や民主制の制限を同時に招来させる。ファシズムは憲法停止という形態をとるが、そうでなくても戦争のできる体制は自由や民主制の制限として出てくる。これは両輪の輪のようだが、この動きは特定秘密保護法案から「共謀罪」法案になって出てきている。これは憲法に表現されてある自由や民主制の思想(権力は自己制限的にあれという国民の命令)に反して権力を自己肥大化していく道をとる。もともと、法が権力の統治の道具という考えを伝統的な思想として持つ日本の官僚の存在を併せて考えれば、この法案が何を結果するかは明瞭ではないか。「いやな感じ」という時代が僕らの予想を超えてきていることに怒りを持って対応すべきである。戦中派の面々の時代の動きに対する抵抗を見るが、もっともっと怒り、怒りに支えられて生き延びて欲しい。「我々の世代で憲法改正を」という安倍に世代的な対抗をしてほしいと願っている。(三上治)
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●「再稼働阻止全国ネットワーク」および「原発現地へ行く会」から
『5.7高浜原発うごかすな!現地集会・デモ』―高浜―及び 交通費補助のお知らせです。
多くの方々に現地行動への参加を呼びかけます。
「5.7高浜現地集会&デモ」
日時:5月7日(日)
主催:高浜原発うごかすな!実行委
呼びかけ:原子力発電に反対する福井県民会議
《行動予定》
集合地:5月7日(日)11時 音海地区予定
(小公園に変更の可能性あり。時間も含め検討中)
デモ:原発ゲート前までデモ、ゲート前で申し入れ行動後、デモ解散
屋内集会:高浜町文化会館(14時~15時30分)
町内デモ:16時頃から1時間程度
●5月8日(月)~5月12日(金)高浜原発動かすな!リレーデモ―高浜・おおい‣小浜・若狭・美浜‣敦賀・越前・福井―
5月10日(水)高浜原発再稼働やめろ 関電東京支社抗議
場所:富国生命ビル(地下鉄内幸町駅47番出口)17時30分~
5月10日(水)第44回東電本店合同抗議 東電前
時間:18時30分~
●5月12日(金)5時~6時経産省前抗議行動 官邸前抗議行動は6時からです。
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