フランス共和国最年少のマクロン大統領が誕生 - 極右ルペン候補も34%、1千万票以上を獲得 -
- 2017年 5月 9日
- 時代をみる
- フランス伊藤力司大統領選
政治的関心のあるフランス人を除けば、1年前は世界でほとんど無名だったエマニュエル・マクロン氏(前経済・産業・デジタル相)(39)が、欧州の大国フランスの大統領に就任する。19世紀半ば、当時のナポレオン3世(40)が最も若いフランス共和国の国家元首に就任した記録をマクロン氏が更新するのだ。
5月7日に行われたフランス大統領選挙決選投票で、中道無党派のマクロン候補が得票率74・62%を収め、極右「国民戦線」のマリーヌ・ルペン候補(同33・94%)に対して圧勝した。2週間前の4月23日に行われた第1回投票の結果、マクロン、ルペン両候補が決選投票に勝ち残ってから、大方の世論調査や観測筋は決選投票でのマクロン候補の勝利を予測していた。そういう意味ではサプライズなき選挙結果であった。
問題は、昨年6月の英国のEU(欧州共同体)離脱の是非を問う国民投票で離脱派が僅差ではあったが勝利、ポピュリズム(大衆迎合主義)の流れがエリート支配層への反乱を促す世界的潮流が進んだことである。昨年11月のアメリカ大統領選挙でも、事前の世論調査や識者の予測に反して「アメリカ・ファースト」を前面に打ち出したドナルド・トランプ氏がポピュリズムの流れを受けて当選した。
ドイツと並んでEUの中核を成しているランスでも「フランス・ファースト」を打ち出すルペン氏の「国民戦線」が、経済のグローバル化とともに貧困化しつつある中間層の支援を受けて力を増しつつある。今から15年前の2002年の大統領選挙で、マリーヌ氏の父親で国民戦線創始者のジャンマリ・ルペン氏がジャック・シラク氏との決選投票に当たり、わずか13%の得票率しか取れず惨敗したのに比べると、マリーヌ氏は投票者の3割以上、1000万人以上の有権者の支持を集めたことを無視することはできない。
◆問題はマクロン氏や彼を支持したフランス国民の多数派は、フランスの将来もフランス国民の未来もEU、つまり欧州の統合を進めることを抜きにしては語れないと考えていることだ。フランスにとって欧州統合の第1のパートナーであるドイツとの盟友関係を抜きにしては、フランスの生き残りは考えられない。フランスのEU離脱を主張したルペン候補が敗退して、EU統合の深化を訴えたマクロン候補の勝利を誰よりも喜んだメルケル・ドイツ首相は早速マクロン氏に電話、マクロン氏が選挙戦で欧州統合を推進する立場を明らかにしたことを高く評価し「一緒に働くことを楽しみにしている」と伝えた。
またガブリエル・ドイツ外相はマクロン当確の報を受けて声明を発表「マクロン氏はナショナリストやポピュリストといったヨーロッパ統合に反対する人たちに抵抗できることを示した」とマクロン氏の勝利を祝福。同外相はさらに「マクロン氏の勝利でドイツにも責任が生じる。マクロン大統領が成功しなければ、5年後にはルペン氏が大統領に選ばれることになりかねないからだ」と述べ、ドイツもマクロン氏の経済改革を支援する考えを示した。
英国のEU離脱決定でEUの欧州統合の方針は揺さぶられたが、英国はもともと自分たち「大英帝国」の後身であって、大陸ヨーロッパには「一目置かれる存在だ」という意識が濃厚だ。そうした意識が目に見えないながら英国のEU離脱決定の背後にあったことは否定できない。しかしフランスとドイツは19世紀以来、普仏戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦と、3度にわたる血で血を洗って殺し合った戦争を繰り返したことを反省して、2度と独仏が殺し合いをしないことを誓い合ったEUの盟友どうしである。
2017年代のヨーロッパは、過去の中東アフリカ圏・植民地支配の後遺症の一環であるイスラム過激派テロにおびえながら、それでもイスラム圏からの亡命者の入国を受け入れるべきだとの理性的判断を示している。しかしフランスの国民戦線ルペン氏だけでなく、オーストリア、オランダ、ドイツなどの極右政党がイスラム系移民を排除すべきだと運動を展開して党勢を徐々に高めていることも事実だ。こうした右翼的潮流を、ヨーロッパの大国であるフランスが取りあえず防ぎとめたことは、大いに評価すべきであろう。
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