日本人は今こそ平和憲法を遵守しよう
- 2017年 5月 27日
- 評論・紹介・意見
- 岡本磐男
今年5月3日は、平和憲法施行70周年にあたる。それ故、その前後の日々には憲法問題についてメディアも取り上げたので、重大な関心をもって、新聞・テレビにかじりついた。
周知のように現在の安倍政権は憲法改正の意図を明白にしているからである。特に平和主義を説いた9条の改正が鍵をなす。というのも今日の安全保障の環境は、米朝戦争の発生が予想されるように危機が迫っているからである。だが新聞報道によれば、国民の世論調査では、割合に冷静で、憲法改正反対の比重が半ば近くを占め、とくに9条の改正については反対の意向が強いようである。それ故、私も護憲派なのでひとまずは安堵している。だが同時に日本は多難な道を歩むであろうと危惧している。
それは、日本は今日の状況下で、憲法9条の説くように絶対平和主義、軍事力放棄の立場を堅持していられるかという大問題である。軍事力をもたないで日本人は生存していけるかの問題である。私は国家の防衛という言葉は使わない。生存が保証されるかの問題である。実はこの点にこそ問題の核心がある。なぜなら現在の日本は60年以上前から日米安全保障条約を結んでおり、米国の核の傘の下にあるからである。日米安保が結ばれた当時、日本では日米安保に対する反対運動もおこり(60年安保、70年安保の闘争)、私も大学院を修了して私立大学に就職したばかりの若者であったが、運動に参加した記憶もある。反対運動で一般大衆が考えていたことは、この条約締結によって米国の戦争に巻き込まれる恐れがあるということであった。すなわちこの条約締結によって、日本の平和憲法はかなりの程度制約を受けてしまうということであった。それ故、平和憲法を堅持しながら安保条約には賛成するということは矛盾した事態であると思う。その点を日本の大衆はどの程度まで理解しているのであろうか。
5月3日の憲法記念日にはNHKのジャーナリストたちの討論会があったのであるが、こうした現憲法の核心部分に触れられることはなかった。また武力を行使しないで平和を維持できるかについて突き進んだ究明もなかった。30~40年程前には、日本がもし北朝鮮から侵略を受けたとしたら、どうするかという問題を提起した学者もいた。ある学者は、そのときには日本人は白旗を掲げて降参するか、逃避するかしておいて、一定期間おいた後に日本人が侵略者の食糧を提供するようになったときに、侵略者に対して貴方がたがここにいるのはいかなる法的根拠に基づくのかを問い詰めればよい。この問いに答えられない侵略者はやがては退散していくだろうといったことが真面目に議論されたのである。
現在の北朝鮮は、かつて米国のブッシュから悪の枢軸国の一国として名指しで非難され、体制の維持も危うくなると考えたので核とミサイルの開発に注力するようになった。他方で米国は北朝鮮から敵視されれば、自国に核ミサイルが飛んでくる日も近いとみて、米・韓合同軍事演習等を通じて北朝鮮に圧力をかけている。二者の対立は深まるばかりで、緊張関係が続いている。ところでここでまず指摘したいのは、北朝鮮が敵視しているのは単に米・韓のみでなく、日本も入っているのであり、それは日本には米軍基地があり、ここから米軍の爆撃機が飛び立ち、核爆弾を落とされることを恐れているためである。ここで私たちのかつての安保反対運動の意義が現実のものとなってきたのである。これに対して、安保を推進してきた人達・政治家はどのように見るのであろうか。仮に日本の米軍基地が北の攻撃を受けたとした場合、何らかの責任をとってくれるのであろうか。それとも米軍の核の傘にいっそうしがみつこうとするのであろうか。最近のテレビ番組でも、ある学者は米軍基地の近くに核シェルターを作ってでも防衛すべきだと述べていたが、その点には私も賛成する。平和ボケした日本では核シェルターの議論がなさすぎる。但し、この種のシェルターを建造するのは莫大な費用がかかり、日本の財政赤字を一層逼迫させるだろう。だがこの点は北朝鮮も(他の諸国も)現実に行っていることなのである。金正恩氏がかなり強気の姿勢を示しているのも、この国ではかなり高度な地下施設があるため、ここに逃げ込めば、核戦争においてすら安全と考えているためであろう。また北の大衆が指導者に追従し、軍国主義、国家主義を謳歌しているのも、精神力で戦争に勝てると確信しているし、それ以外に道はないと考えているためであろう。まさに第2次世界大戦中のさいの日本人と共通した心象風景がある。
私は、9条の立場を支持しているということは、相手国と紛争が生じた場合、外交交渉により問題を解決する以外にないと思っている。だがこれに反対の立場の人がいることはもちろんである。例えば本年5月5日の朝日新聞の朝刊では、京都大学教授の佐伯啓思氏は「憲法9条の矛盾」というテーマの下で「平和守るため戦わねば」という副題をつけ次のように論ずる。自分は決して憲法の平和主義を否認するのではないが、「もしもわれわれが他国によって侵略や攻撃の危機にさらされれば、これに対して断固として自衛の戦いをすることは、平和国家であることに矛盾するものでなかろう。いや平和を守るためにも、戦わなければならないであろう。」これは単に昔からある自衛のための戦争は肯定されねばならないという発想にすぎない。だがこの所説は、これからの戦争は、第2次大戦におけるような侵略戦争といったものではなく、軍事力の発展によって、戦争形態が全く異なるものとなるという発想が欠けている。例えば北朝鮮からミサイルまたは核ミサイルが飛んできて日本本土に落とされる、あるいは本土の上空を通過していく、という場合、これを侵略といえるか否か、人によって解釈は異なるだろうが、かつての侵略戦争時代の侵略とは意味が異なるだろう。それにミサイル発射に対抗して戦えといわれても、一般人、大衆が武器をももたずに戦えるわけはないであろう。すなわちそれは、単に自衛隊まかせになってしまう。また自衛隊にしてもこれを確実に撃ち落せるのか、その能力があるのか、又はそうすることによって敵を刺激し、却って戦争を激化させてしまわないか、等々判断に迷うことも起こりうる。またここでは単なるミサイルと核を搭載した核ミサイルを区別せずに論じたが、実際にはこの2者には破壊力において重大な相違があり、後者は前者に対して何千倍、何万倍もの破壊力をもつのではあるまいか。
現在、自民党のある部会では、北朝鮮がミサイルを発射する以前に、事前に発射基地を攻撃する案が検討されていると聞くが、こんなことをしても北朝鮮は決してひるまないであろう。それはミサイルの発射には固体燃料を使う方法が開発されているため、北の国のどこからでもミサイルを発射できるからである。自民党政府の意図は挫折させられるであろう。私の戦争体験からいえば、いったん戦争が起こってしまえば、何が生ずるか分らないということである。自国が戦争政策に没頭するなら、相手国も必死になって勝利のための対抗措置をとる。これによって科学技術は進んでしまうのである。北の国は小国だからといって決してあなどれるものではない。大勢の科学者を優遇しつつ計画経済体制をとっており、軍事力も強化している(並進路線)。このような国に対して対抗しうる国があるだろうか。
本稿では私は現代の戦争は核とミサイルの戦争になってしまうと強調したが、昔の大思想家ならこれをなんと評するであろうか。
往年の大思想家、経済学者であったマルクスは畢生の大著『資本論』の第1巻第1編第1章第4節において、商品の物神崇拝的性格という言葉を使っているが、これは人間が自ら作りながらこれによって支配されるものとして、商品、貨幣、資本を考えていたためである。社会主義者でもあった彼は、この3者が廃止される社会を考えていたのである。この方向でいえば、今日では一発の爆弾投下で数十万人の人間を殺戮しうるような核(および他の大量破壊兵器を含む)は、人間によって製造されながら人間を支配するという意味で物神崇拝的性格をもつといえるのではなかろうか。また今から2000年以上前に生まれた神の子イエス・キリストは新約聖書において「あなたの敵を愛しなさい」と説いていることは誰もが知っている。人間の創造主としての神が、このように残虐で非人道的な核の出現を容認することはありえないのではなかろうか。イエスが今、この世におられたなら、必ずや核兵器の保有に反対されるであろう。私は現代の諸国間の紛争は神様の見地からみなければならぬと提唱する。神様の見地からいえば、いかなる国であろうと核の生産、所有、攻撃は、悪の業である。国際的非難は免れないであろう。
安倍政権は日本を戦争のできる普通の国にしようとして、安保法制などを国会に承認させ、日米関係を緊密化することに成功したが、却って北朝鮮からの敵視される度合いが強まり緊張も高める結果をもたらしたように感じられる。実際米国の航空母艦を日本の護衛艦が護衛するようになること等、好ましいか否かは大いに疑問であるように思う。これに加えて、経済戦略としてのアベノミクスが成功したとみるのは早計で、安陪総理が言っていたようなデフレ脱却が実現していない以上、失敗しているとみるのが穏当であろう。さらに貿易収支面では日本が黒字なのに対し米国は赤字なので、トランプ政権下において貿易摩擦が再燃し、日本は大いに米国から圧力を受けることになるであろう。このようにみると日本は少しもよい方向に向かっているとはいえないと思う。
米国大統領のトランプは、自ら大量の核兵器を擁しながら、同様の核兵器保有国とともに核を削減しようとする意向を示すことなく、単に北朝鮮に対しては核・ミサイルの廃止を迫るのみである。そして平和は力によってのみ維持されるのだと断言して反省の気配を見せない。これでは北朝鮮は決して核・ミサイルの開発をやめないであろう。また日本の安倍総理も全く米国追従の姿勢を示すのみであり、自らの主体性を示すことなく、他の核兵器保有国には一度も核保有をやめるようにいったことがないにも拘らず、北朝鮮だけには核保有をやめるように提言した。驚くべき程甘い姿勢である。こんなことで北朝鮮が核保有をやめるはずはないではないか。北の国が核・ミサイル開発を続けるのは、現在の国際関係に不満があるためであり、攻撃を受けることを恐れているためである。
この点は昨年度の国連による核兵器禁止政策の調査にもあらわれている。発展途上国等の123か国が賛成であったのに対し、米・英・ロシア等の大国が反対に回ったが、被爆国日本も反対に回ったのである。これに対して北朝鮮は賛成であった。このことは何を意味しているのであろうか。北朝鮮は自ら核・ミサイル開発するなどすること等はよいことであるとは思わず、自己矛盾に陥っていることは知りながら、体制維持のためにはやむをえない―米国は北の体制を保証するとはいっているが北はこれを信用していない―と考えているためであり、また日本政府は、広島、長崎の市長宣言にみられるような核廃絶への確固たる崇高な信念をもたず、ただ米国をはじめとする先進国の意向に唯々諾々と追従しているのみと評されても仕方のないありようである。
だが私達は希望を失うべきではない。日本でも憲法9条改正に反対の市民・大衆が過半を占めること、戦争への反対運動をする人たちが多いということは、今日の情報社会ではすぐに世界に伝わるから、これが却って戦争への抑止力となろう。こうしたことは北朝鮮の指導者にも伝達され、日本のような平和愛好国民の上にミサイルが撃ち込まれることは阻止されるであろう。また5月9日には韓国において革新的な文政権が成立したが、このことも朝鮮半島情勢の平和への追い風となるだろう。日本についての情報も北の国に伝達し易くなる。4月末までの米国と北朝鮮の間の険悪な対立も一時小康状態に入ったとみられる。偉大な韓国国民の政治行動には感謝してもしきれない感じがする。
5月14日には北朝鮮側において新型のミサイルが開発され、日本海に落下したという情報がもたらされたため、平和への小康状態は一時的なものかとの懸念がひろがったが、私は、韓国で新政権が誕生したことは、これからの国際関係に極めて大なる影響力を持つと考えている。何れにせよ、4月の米韓軍事演習当時の米・北の国間の緊張関係から第3次世界大戦が勃発するような事象は回避されねばならない。
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〔opinion6692:170527〕
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