命を知らざれば、君子たることなし
- 2017年 6月 4日
- スタディルーム
- 子安宣邦
「子の曰く、命を知らざれば、もって君子たることなし。礼を知らざれば、もって立つことなし。言を知らざれば、もって人を知ることなし。」
これは『論語』堯曰篇の最後の章の言葉である。すなわち『論語』の最終章である。これを私は次のように訳した。
[訳]孔子がこういわれた、天命を知ることがなければ、君子であることはない。礼を知ることがなければ、世に立つことはない。言葉を知ることがなければ、人を知り、真の友を見出すことはない。
私は仁斎の『論語古義』の最終章の訳をこのように記し、仁斎の註釈的論評の言をも訳した後に私の評釈の言を次のように記した。これは私の『仁斎論語』の最後のコメントである。
[評釈]「命を知らざれば、もって君子たることなし」とは、われわれに対する大きな問いかけである。「命を知ること」とは何か。「命を知ること」を根拠なり、理由としていわれる「君子たる」こととは何か。『論語』はその最終章に、孔子が終始問いかけてきた問題をあらためて記して二十篇からなる孔子とその学びの集団の記録を閉じるのである。だれが編集し、だれが設けた最終章であるかは知らない。われわれは『論語』の最終章にいたってこの大きな問いかけに接して、あらためて問い直し、考え直すことがわれわれに求められているように思うのである。おそらく仁斎はその問いかけに答えるようにして『論語』を終生読み直し、学び直してきたのであろう。仁斎は最終章の問いかけに、「天には必然の理あり。人には自取の道あり」という彼の天命観をもって答えている。私もまたこの最終章を孔子がわれわれに与えた重要な問いかけとして考えたい。この章の問いかけの意味を私は次のように考えた。
われわれはそれぞれに「天命を知る」とは何か、「礼を知る」とは何か、「言葉を知る」とは何かを問うことなくしてこの孔子の言葉の意味は明らかにはならないだろう。だがそれを問うに当たっての大事な手掛かりを孔子の言葉はわれわれに与えている。自分がかくあることが天からする必然性だと覚ることと、なぜ己れが君子たる品格をもつことの重大な条件であるかとみずから問うことである。そして「命を知る」ことと「君子(人格的自立者)たること」とが不可分であることを知ることである。また孔子は人が世に立ちうるためには、礼を知らなければならないという。人が成人として自立することとは何かが、社会規範との関係で問われているのである。ここで社会的存在としての人の自立が問われているのである。孔子はその自立のためには礼を知ることだというのである。では礼とは何か。礼は礼楽制度だといった解釈は答えにはならない。仁斎は礼とは人間の社会生活のための堤防だといった。これは『論語』の読み直しの先駆者としての仁斎が与えた素晴らしい答えである。孔子はまた人が信を置きうる人であるかどうかは、その言葉を知ることにあるといっているのである。言葉とはもともと人の実を表すものであった。信とはその人の言葉が信用できることである。人を知るとは、その言葉が実のものであるかを知ることである。人間世界にとってもっとも大事な言葉を孔子は『論語』の最後にわれわれに与えているのではないか。
『仁斎論語』の最終章の[評釈]としては過剰な言葉を私はここに記してきた。だが仁斎とともに『論語』を読むことが、私にこの過剰な[評釈]を書かせたのだし、『仁斎論語』なくしてこの過剰な[評釈]もない。
これを書いて私は『仁斎論語』の筆を擱いた。6月1日の正午前であった。2011年の4月以来、新宿の朝日カルチャーセンターで始めていた仁斎『論語古義』の講読を引き継ぐ形で、飯田橋の論語塾で「仁斎とともに『論語』を読む」講座を始めたのが2013年4月である。それ以来毎月第4土曜日の午後に『論語古義』を読んできた。今年になって『仁斎論語』の出版という子ともあって私の解読作業に拍車がかけられた。3月から『論語』漬けの毎日が続いた。そして5月中に完了の予定が一日6月にずれこんで1日の正午にやっと最終章を読み終えたのである。
私は早く解放されたいという思いから残る頁数をひたすら数えていた。そして到頭読み終えたとき、私を待っていたのは解放感であったか。解放感も達成感もなかった。脱力感というか、奇妙な、予想もしなかった感慨だ。仁斎先生のように終生続けるべき仕事であるのかもしれない。(6月2日)
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2017.06.02より許可を得て転載
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〔study853:170604〕
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