ポピュリズムとイデオロギー的同調性に依拠する安倍政権(下)
- 2017年 6月 19日
- スタディルーム
- アベノミクスポピュリズム安倍盛田常夫
憲法改正に隠された魂胆
すべての民族に自衛権があることは議論の余地がない。憲法9条があろうがなかろうが、すべての民族が保有する固有の権利としての自衛権が存在することに変わりはない。
日本が他国への戦争に加担することを禁じた憲法9条は、アメリカの事実上の軍事占領にあった日本が、アメリカが惹き起こす戦争へ直接参加するのを防いだ。第二次世界大戦後の冷戦時代に、日本がアメリカの侵略戦争に加担しなかったことは誇るべきことだ。
アメリカ軍に国を守ってもらっている韓国は不正義のヴェトナム戦争に参加し、アメリカ軍にも勝るとも劣らない殺戮行為を行い、多くのヴェトナム人を殺害した。アメリカ軍も韓国軍も、村から都市へ逃げて、売春婦になるしかなかったヴェトナム婦人を慰安所に集めた。日本がこのような恥ずべき戦争行為に加担するのを免れたのは、憲法9条の存在があったからである。アメリカが主導する軍事的侵略に加担しなかったことに後ろめたさを感じる必要がないどころか、誇るべきことだ。
今、安倍政権は、沖縄の美しい海に、占領軍基地を新設するという愚かな行為を強行している。真の民族主義者なら、このような反民族行為を容認するはずがない。アメリカへの軍事的従属に頭の天辺から浸かってしまっているアメリカのポチだからこそ、厚顔無恥に強行できるのだ。
アメリカの軍事的従属下での憲法9条の骨抜きは、アメリカの侵略行為に軍事的に加担することを意味している。安倍晋三の憲法改正の狙いは、アメリカが惹き起こした戦争へ、日本の自衛隊を派遣することだ。憲法9条で自衛隊を認知するという名目でやろうとしているのはこういうことだ。アメリカへの従属を前提にした民族主義は、偽の民族主義=日和見民族主義であり、「属国民族主義」である。
自衛隊認知を「出し」にして憲法改正を行う意図は、とにかく改正を実現させることを最優先したいからだろう。そこには崇高な憲法理念への矜持が見られないだけでなく、これまで自民党内で議論されてきた憲法草案の内容がまったく反映されていない。「とにかく改正」という日和見右翼の面目躍如である。
ところが、安倍独裁の様相を呈している自民党内は、自らがまとめた憲法草案からほど遠い提案に異論を唱える者がほとんどいない。小泉進次郎すら、深く考えもせず、「賛成」という始末である。出る杭は打たれる、潰されるという恐怖心からだろう。ここで頑張る力がなくて、政治家としての将来があろうはずもない。
他方、自民党の憲法草案のもう一つの重要な柱であったはずの「天皇を国家元首に」という項目にはまったく触れられていない。復古主義者平沼赳夫がいくら頑張っても、今さら、君主制国家に戻れるはずもない。今次の天皇退位特例法の議論の中で、自民党の議員の中には、「天皇は祈っていればよい」と放言した者がいたように、象徴天皇の形骸化を公然と唱える者もいる。「天皇陛下万歳」と叫んでおきながら、他方で「飾りで十分」であることを公言するのは矛盾しているが、君主制への郷愁と現実とのギャップの中で、混乱しているだけなのだろう。
もっとも、長い歴史のなかで、王室は世俗権力が利用する儀礼的装飾でしかなかった。天皇が総帥権をもって侵略戦争を行ったのは、明治維新以後から第二次世界大戦終了までの80年ほどの時間にすぎない。日本の復古主義者自身、天皇制の復権にいったい何を求めているのかを明確に語ることなどできないだろう。だから、天皇制を抱く日本精神論だけが語られる。日和見右派の天皇制復権は、たんなる郷愁なのだ。
菅野完氏によれば、保守の知識人の裏切り行為を見て、籠池学園新理事長の籠池町浪氏が、「愛国ってなんですかね?保守ってなんですかね?もうほんと、わからなくなりますね」と言っているという。愛国や民族主義を唱えながら、属国状態にズブズブに浸っている日和見右翼が、権力やそれに同調するイデオロギーに寄生して、自己保身の利益だけを求めているとしたら、「然(さ)もありなん」である。
経済政策イデオロギーに寄生する人々
安倍晋三が自ら信奉する保守的理念(憲法改正)を実現する手段として重要視してきたのが、「アベノミクス」という経済政策イデオロギーである。国民に経済的な安心感を与えて、悲願の憲法改正に向かうための重要な手段である。しかし、すでに「アベノミクス」の化けの皮が剥がれてしまった。何のことはない、「大幅な金融緩和で、高度成長をもう一度」という時代遅れの経済イデオロギーに過ぎなかったことが明々白々になりつつある。大幅な金融緩和で利益を得たのは、不動産や金融資産を持っている金持ちと、円安差益で濡れ手に粟の一部の輸出企業にすぎない。こうやって大儲けをした少数の人々がいるのにたいし、大幅金融緩和の後始末は、これからの世代が背負っていかなければならない重い負の遺産として残されている。アベノミクス・イデオロギーを推進してきた政治家やアベノヨイショの罪は重い。
アベノミクス・イデオロギーを一生懸命持ち上げてきた一群の人々(アベノヨイショ)がいる。官僚上がりの大学教授、政治家と親しくしてきた政治屋的な大学教授、在野のエコノミスト、ここで一発儲けようとした三文エコノミストなどがそれである。
一貫してアベノミクスを擁護し、年金資産の株式投資比率の引き上げを主導し、日銀総裁の地位を得ようとして失敗した伊藤隆敏(現、イェール大学教授)、物価目標の2年以内の絶対実現を叫んであわよくば日銀総裁のポストを得ようとして叶わなかったが、めでたく副総裁のポストを得た岩田規久男(当時、学習院大学教授)、財務省官僚から早稲田に天下りして、アベノミクス礼賛でめでたく日銀金融政策委員のポストを得た原田泰(当時、早稲田大学教授)などを筆頭として、アベノミクスで立身出世を図ろうとしたアベノヨイショの御仁たちをけっして忘れてはならない。
国の累積債務問題は「財務省のウソ」と公言して、財政赤字を増やしても成長政策を進めることを積極的に支持している御仁もいる。やはり財務省出身の大学教授、高橋洋一である。次から次へと本を出し、テレビにもたびたび顔を出して、「アベノミクス様様」の活躍ぶりだが、ほかのヨイショたちと違って政府の重要ポストを得ていない。それには理由がありそうだ。2009年に温泉施設で高額の腕時計を盗んで逮捕され、東洋大学を懲戒解雇された経歴をもつ。さらに、2016年に出版された『中国GDPの嘘』(講談社)に剽窃があると指摘され、高橋が所属する嘉悦大学が調査した事件がある。専門外の書物を多く出しているが、出版社の編集部が原稿を用意して、それなりに名前が売れている「高橋洋一」を使っているようだ。出版社が謝って一件落着となったようだが、これは出版社が謝って済まされる問題ではない。高橋洋一の研究者としての研究倫理や誠実性が不問に付されている。言論人の言動の信頼性にかかわる事柄であり、研究・言論の基本倫理を守れない人の言動など信頼できないと考えるのがふつうだろう。インパクトは弱いが、テレビに良く顔を出している森永卓郎も、「日本の財政は世界一健全」とヨイショする同じ系統である。
他に有象無象のアベノヨイショがいる。「日本の財政は破綻などしない」と触れ回って講演料を稼いでいる三橋某、アベノミクスの化けの皮が剥がれた段になってもなお大幅金融緩和策を援護して日銀金融政策委員のポストを得た片岡剛士(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)がいる。現在の金融政策委員会で大幅金融緩和政策に慎重姿勢をとっている2名の民間委員(木内登英、佐藤健裕)が7月に退任するのに伴い、2名のアベノヨイショが委員会に加わり、日銀金融政策委員会は大本営委員会に変わる。木内氏などは出身母体の野村證券の利益を代表することなく、大幅金融緩和策の弊害を訴え続けてきた。官邸が圧力をかける四面楚歌の状況で、長期的な視野から自分の意見を述べることができる委員は貴重な存在だった。金融政策委員会を一つのイデオロギーで染めてしまうのは、委員会の機能を殺すようなものだ。これも安倍支配の結末である。
このように、安倍内閣のイデオロギー支配は経済政策にまで及んでいる。アベノヨイショの御仁たちが、この先、アベノミクスの負の遺産をどう説明するかは、見ものである。そのためにも、誰が何を主張していたのかを忘れてはならない。籠池学園の経済政策イデオロギー版を見る日はそう遠くないだろう。
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