ワルシャワ首相府前座り込みと東京経産省前座り込み
- 2017年 6月 21日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
6月6日夕暮れ時、ワルシャワのアレイェ・ウヤズドフスキエ大通り、ポーランド首相府前の「テント村」跡に立ち寄った。ワジェンカ公園と首相府とにはさまれた大通りの公園寄りの広い歩道に三つのテントが去年は立っていた。今年はもうない。東京は経産省前の反原発テント三つがもはやないのと同じだ。しかしながら、ワルシャワの場合はかわりにミニバスほどの車が歩道内の並木間に駐車しており、そこを拠点に抗議活動を持続していた。三人の女性が車の前の椅子に座っており、私が近付くと、あの日以来454日と銘示してある掲示の前で車内に用意してあったパンフレット類を手渡してくれた。
経産省前で小椅子に座り込む老男老女が千数百日の持続を意識し、通行人にビラを配るのと全く同じ光景である。但し、車を拠点に出来る分だけ、ワルシャワの活動の方が肉体的に楽であろう。
454日とは、2016年3月9日以来と言う意味である。その日、2015年秋に成立したPiS(法と公正)政権が憲法裁判所と正面衝突した。憲法裁判所の政治(家)からの独立が脅かされたと大規模な市民的抗議集会・デモが展開された。Komitet Obrony Demokracji(KOD、民主主義防衛委員会)が立ち上げられた。首相府前のテントも車もKODの運動拠点である。
KODのビラから彼等の基本スローガンを紹介しよう。KODは、
――権力の恣意から君を守る。民主制ルールを守る。法秩序を守る。正義を守る。言論文化を守る。尊厳を守る。理性を守る。ポーランドの歴史を守る。独立を守る。選挙の自由を守る。弱者を守る。改革を守る。自由を守る。
こう見ると、長期間持続を覚悟した市民運動という点では、経産省前反原発行動に似ている。しかし運動内容は、日本の憲法改正反対運動や共謀罪反対の方に相応している。但し、日本の場合、どちらにしても、「ポーランドの歴史を守る。」と「独立を守る。」に相応するスローガンが出て来ない。国家意識や民族意識が運動者達の間で薄いのである。
二つの元テント村を比較して、私なりに先の展望を考えてみた。
ワルシャワの運動は、その方向性がEUによって支持されていると思われるし、EU議長のドナルド・トゥスクの出身政党PO(市民プラットフォーム)がポーランドで政権を奪還する可能性を見込める。
東京の運動の場合は、仮に安倍政権が倒れたとしても仲々な実現が困難な目標を設定している。その理由は、目標がきわめて具体的だからだ。原子力から再生可能な諸エネルギー源に変更しても、日本の電力供給は十分に需要を満たせるかと言った次元に困難性が在るのではない。大都市の電力消費者にとっては、供給が十分であれば良い。しかしながら、原子力発電所が立地する諸地域の生活問題とそこで働く人々の雇用問題の重要性が見忘すられがちである。かつて、石炭から石油へのエネルギー転換が日本経済の至上命題となった時、資本側・会社側が炭鉱に見切りをつける事が出来たとしても、そこに働く労働者側は、1960年三井三池闘争に発現した如く、必死の抵抗を試みた。その当時、新左翼に限らず、社会的批判意識の強い人々は、炭鉱労働者の斗争に共感した。
今日、原子力発電を廃止して再生可能性エネルギー源への転換を要求する者達は――私もその一人であるが、――その転換によって職と仕事を失う人々、所得と雇用機会をおびやかされる地域住民を真剣に考慮していない。大義のために泣いて下さいと言っているようなものだ。かつて、会社が石炭から撤退すると決意しても、労働からしか賃金を得られない労働者は抵抗した。今日、会社は原子力から撤退しないと決めている。そんな場合に賃金労働者が原発を擁護するのは即自的自然だ。ここに東京の経産省前反原発座り込み運動の左右前後をつつむ粘着質の空気がある。社会主義寄りの民衆的産業政策・地域振興政策が必要条件だ。ワルシャワの空気はからっとしている。
さて、過ぐる月曜日、官憲によって理不尽に放火犯とされかかった後期高齢者M氏が座り込み当番の日だった。ワルシャワ銘菓のヴェルデル・チョコレートを手土産に経産省前へ挨拶に出かけた。市民活動家への常民のささやかな義理人情である。「共謀」に行ったのではない、念の為!。
平成29年6月20日(火)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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