アフガニスタン 2001年以来最悪の危機(中) ―BBCが復活したタリバン支配地を初取材
- 2017年 6月 22日
- 評論・紹介・意見
- アフガニスタン坂井定雄
前稿で、米国の情勢評価では、昨年末現在、アフガン政府の支配地域は国土の57%に減少し、それ以外の地域の大部分は反政府武装勢力タリバンが支配していると書いた。
そのタリバンの支配地域を、英公共放送BBCの取材チームが4日間取材し、6月8日の国際放送と電子版で報道した。人々で賑わう市場、小学校での女子生徒クラス、病院、子供たちが群がる民家の窓、タリバンの特別攻撃部隊など約3分間のTV放送。11枚の写真とタリバンの最高指導者アクンザダ首長以下の副首長、21人のシューラ(指導評議会)の説明図などを含めた電子版は15ページで、BBCの意気込みが満ちている。
世界のメディアが、急速に復活するタリバン支配地域をこれほどしっかりと現地取材し報道したことは、初めてだと思う。住民はどんな生活をしているのか、一般住民とタリバンとの関係は?女性の服装、権利や地位の低さなどがかつてのタリバン政権時代(1996~2001)となにが同じ、何が違うのか、カブールの現政権や他の政治勢力と協調して挙国政権に参加する可能性があるのか、などの疑問を記者はかなりぶつけている。
BBCによると、タリバン側との交渉に何カ月もかかり、タリバンが受け入れ、BBCのオウリア・アトラフィ記者に4日間の現地取材への公式の招待状を出し、同記者がタリバン支配地域に入ったのは五月半ばだった。行き先は、タリバンが85%を支配しているといわれるアフガニスタン南西部ヘルマンド州の北部の町ムサ・カラとサンギン。首都カブールから南東部の都市カンダハルを経由して西部の都市ヘラートを結ぶ、ハイウエイのほぼ中間地点を少し北に入った山間部だ。ムサ・カラはタリバンの“首都”ともいわれている。おそらくヘラートから乗用車に乗った記者は、途中の政府軍基地のすぐそばからバイクに乗った迎えの若者に導かれ、まずサンギンに入った。
そこではまず、タリバンの強力な特別攻撃部隊のムラ―・タキ司令官、タリバンのメディア担当責任者アサド・アフガン部長が出迎え、この二人がアトラフィ記者への主な説明役になった。
まずアトラフィ記者は、世界のアヘンの90%を生産するといわれるアフガンスタンでも、生産地とされる当地について質問。アサド・アフガン部長は両手を記者の肩のおいて答えたー「アヘンは経済的に必要だ。だが私たちも、あなたたちと同様にアヘンを憎んでいる」。彼らは、武器を買い、戦いの資金を得るためにアヘンが必要なのだ。
サンギンは10年間以上、タリバンと政府軍、米軍、英軍が戦い続けた激戦地。双方の兵士多数が戦死している。今年3月、最終的にタリバンが勝利、支配下に置いて以来、戦闘はなくなった。歴史ある大きなバザール(市場)も壊滅的に破壊されたが、たちまち復活して野菜や肉をはじめ様々な商品(周辺諸国からの商品も多い)が集まり、人でごったがえしていた。記者が入ったとき、大声で争いが起こった「俺は字が読めないんだ。どうしてビスケットが期限切れだとわかるんだ」とビスケットを売っていた商店主が叫んだ。相手はタリバン支配下のサンギン市長ヌール・モハンマド。食品と燃料の不良商品を取り締まっていた。大声で争った末、結局、市長は商店主に3日間の投獄と罰金を命じた。タリバンの行政は以前同様に厳しい。
ムサ・カラは古くから、この地方の商業の中心地で、アヘン取引地としても有名だった。パキスタンからの輸入商品の主要ルートでもあり、両国から商売人が集まってくる。バザールでは、バイク、牛からアイスクリームまで、多様、大量の商品が売り買いされる。小銃の弾丸も大量に売っている。ロシア製自動小銃の弾丸価格はドル換算で1個40セントだったが、政府軍から多量に流出したため、今では15セントに値下がりした。
タリバン支配下になっても学校と病院は、教員と医師・看護師の給与を含め国家予算で運営されている。ムサ・カラを担当するカブール政府の責任者アブドル・ラヒムは「政府は最近、当地の学校を査察した。タリバンによる運営は何の問題もなかった。政府のシラバス(指導要領)は実施されている」と記者に語った。困難は教科書不足。どの授業でも、生徒全員に同じ教科書が行き渡ることはない。生徒の年齢は、日本の小、中学を一緒にした範囲。女生徒が学校に来るのは12歳まで。これは、タリバンが決めたわけではなく、アフガン内でも保守的なこの地方では以前からのこと。タリバンは女子生徒を学校に入れる努力はしていないが、男子生徒を増やすのに努力し、成功している。
12万人の住民が利用する地域病院は、医師、看護師らスタッフの給与をはじめ、政府の資金で運営されているが、幹部はタリバン。医師は男性ばかりで、女医はいない。医療設備は貧弱だ。胸部X線検査機器もない。タリバンは女性患者専用の食堂を、従来からある食堂の隣に別に作った。
ムサ・カラでは、携帯電話とインターネットの使用、映像撮影と楽器演奏が厳しく制限されている。治安と宗教上の理由だという。
アトラフィ記者は、この地域のタリバンの指導者ムサヴィル・サヒブと夕食をともにしながら、取材した。サヒブは背が低く、青い目、白いあごひげを長く伸ばしていた。彼はまず「我々の統治は聖典コーランに基づいている。それこそが、いかなる人間社会にとっても最良なのだ」といった。カブールの政権の支配下からタリバンの支配下になって、人々の生活が良くなったことを熱心に説明した。そして「アフガニスタン人は融通がきく人間だ。われわれがこの国を初めて支配したとき、国民はすぐわれわれと同じ服装をしはじめた。そしてアメリカ人が来ると、アメリカ人のような服を着だした。こんども、国民がわれわれのやり方に適応するのは確かだ」といった。
取材を終え政府支配地域にもどったとき、アトラフィ記者は、タリバンの幹部たちの主張、説明が以前より硬直してなく、多くの矛盾を含んでいたことに気づいた。同記者は書くー「タリバンは顕著に変わった。同時に彼らは過去にとらわれていて、現代世界に適応しなければならないと感じながらも、彼らの統治が最良だと考えている」。(続く)
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