2017年ドイツ紀行(5)LeipzigとHalleへの旅
- 2017年 7月 20日
- カルチャー
- 合澤清
「ヘーゲル」が見つかった、と言っても実は去年から探していた「ヘーゲル」という名前のワインのことである。それがやっと見つかったのだ。
去年の夏、われわれがお世話になっている家の女主人のPetraさんが、どこから手に入れたか分からないまま、われわれと一緒に友人のホームパーティに招かれたときにお土産として持参していたのがこの「ヘーゲル」というワインである。
彼女がその名前を想い出したのは、帰宅後何日もたってからのことだった。しかも、どこで買ったのか、どこの産のワインだったのか、美味しいのかどうかなど、一切の情報を忘れたらしく、全くのお手あげ状態だった。ヘーゲリアーナ(Hegelianerヘーゲル信奉者)のはしくれを持って任じている私としては、なんともじれったい思いで、周辺のドイツ人の知り合いに誰かれ構わず、調べてほしいと頼み込んでいた。もちろんPetraにもだ。
ところが、今回の小旅行から帰って来た翌週の水曜日、ドイツ人の友人との定例の懇親会(いつも5人で3~4時間、ビールをたしなみながらの雑談会)を行きつけの居酒屋でやっている時、やはり親しい友人であるその居酒屋のマイスターが、『「ヘーゲル」が見つかったよ』と言いながらボトルを持参してきたのである。紛れもなく、ボトルのラベルには「ヘーゲル」と書かれている。赤ワインである。産地はWürttemberg(Baden- Württemberg州の一角)で、まさしくヘーゲルの出生地のStuttgartシュツットガルトをも含む地方である。「本物だ」と嬉しくなる。
「どこで売っていたのか、この近くのワイン専門店でか?」と矢継ぎ早に聞いたのだが、彼は笑いながら首を振るだけで、「君にプレゼントするよ」という。もちろん、有り難く頂いたのであるが、親切な彼はひょっとすると産地を調べて、直接注文して取り寄せたのではなかろうか、とふと思った。貴重なワインだ、有り難く御賞味させていただこう。
ヘーゲル自身、大変なワイン党であったと言われている。そしてWürttembergはドイツでは珍しい赤ワインの産地の一つである。ヘーゲル学者の滝口清栄先生によれば、ヘーゲルはベルリン大学教授の職にあった最晩年にも、エアフルトの馴染みのワイン屋さんを通して、ワインを購入していたという。また、死後の彼の財産目録には、ワイン購入代の付けがかなり残っていたとか。ビール、ワイン大好きのヘーゲリアーナとしては、この点に関してのみ大ヘーゲルと競えると、嬉しい限りである。
LeipzigとHalleへの旅
イエナには駅が3つある。どうしてこんな小さな町に3つも駅があるのか、いつも不思議に思う。多分ドイツの鉄道線路の複雑さ(日本のように細長い地形ではなく、ドイツは長方形型をしているため、いろんな方向にポイントを切り替えながら線路が枝分かれしている)によるのではないだろうか。
このところよく使うのはJena Paradiesという新しく出来た駅である。ここにはICEも止まる。この日は土曜日だったので、各駅停車ののんびりした旅のための格安の乗車券(各駅停車のみ使用可能な週末乗車券)が便利である。しかし、もう一つ、各州単位で出しているサービス乗車券がある。イエナはチューリンゲン州だから「チューリンゲン・チケット」と言われるものである。しかし、われわれの旅行の目的地は、ライプチヒ(ザクセン州)、またハレ(ザクセン・アンハルト州)である。3つの州をまたぐにはどれが安いのだろうか。こんな場合には駅員に相談するのが一番である。年配の女性駅員に窓口で相談した。
即座に「チューリンゲン・チケット」を進められた。この3つの州は、お互いに共同で相互乗り入れ協定をやっているため、それぞれの州のチケットですべて自由に乗車可能だというわけである。しかもそのチケットは、週末乗車券よりもはるかに安いのである。
それを買い、DBが一部民営化されたSEという列車に乗ってライプチヒで降りた。天候が怪しげだが、とりあえず街をぶらつくことにした。駅前からずっと大学の方へと続く大通りを、左手に「ニコライ教会」(ドイツ統一のきっかけとなった1989年の「月曜デモ」で有名)を眺めながら歩いていたら、突然シャワーの様な大雨が降ってきた。近くの喫茶店の軒先の幌に逃げ込んだが、一向にやむ気配なし。持参した小さな折り畳み傘を取りだして、急いで大学のメンザ(学生食堂)まで走る。
ここの大学には東洋系の学生が多いように思う。おそらく日本人もかなりいるのではないだろうか。メンザの廊下の椅子に座っていると、次々にそういう学生を見かける。そういえばかつてこの大学に小林敏明さんも務めていたことがあったが、今はどうしているのだろうか。今回は面倒だったので、彼の連絡場所を書いたものもすべて東京に置いてきたため連絡のとりようがない。
メンザでしばらく休み、雨もどうやら上がって来た様子だったので、外に出た。再び街をぶらつく。と言っても、宿泊はハレと決めているため、あまり多くの時間を割くわけにもいかない。
バッハが専属で演奏をしていた「トマス教会」には去年も一昨年も行っているので、今回はパスした。若いゲーテの像と、そのすぐ近くのパサージュ入り口近くに立つ、ゲーテの有名な『ファウスト』に縁のユーモラスな像(片側にファウスト博士とメフィストフェレスの像が立ち、もう一方の側には、酔っぱらいがそちら[ファウストたち]に向かって喧嘩を売ろうとしているような像)を見物に行く。実はこの像の立っている場所の地下が『ファウスト』第一部の中の舞台にもなった有名なレストラン(小説では居酒屋だったように思う)なのだが、残念ながらわれわれはまだ入ったことはない。入りかけて満席お断りだったことはあるが。
ライプチヒからハレまではSバーン(東京の中央線のようなもの)で約1時間かかる。乗車した直後に、ハレの宿の住所をメモしてくるのを忘れたことに気づく。普通はネットで予約して、それをコピーして持っていくシステムであるが、生憎ドイツにコピー機は持ってきていない。そのためメモとなるのだが、うっかり住所を書き写し忘れてしまったようだ。
多いに困惑しながら、まあ何とかなるだろう、と開き直ってハレに降りた。
ラッキーなことに、駅前にパトカーが止まっていた。早速ホテルの名前を告げて場所を教えて頂きたいと尋ねる。若いピアスをした婦警が、親切に携帯で調べてくれた。
泊まった宿は年配だが非常に元気のよい老婆が一人で仕切っていた。食堂に案内され、メモ用紙に名前と連絡先を書けと言われる。パスポートも必要かどうか聞いたら、そんなものは不要だという。宿泊代は前払いで払い、序でに彼女にわずかなチップを渡した。
「私にかね」とすごく喜んでくれ、とたんに「あんたはドイツ語が上手いね。字もきれいだ」などとお世辞を言われた。恥じ入りながら早々に退散。
夕方、街をぶらぶらしながら以前から知っているチェコ料理店「Bier Tunnel」(ハレ大学のすぐそば)に行き、チェコの銘酒「ブドヴァイザーBudweiser」ビールを飲む。
「ブドヴァイザー」には後日談がある。
ゲッティンゲンに帰りついて行きつけの居酒屋で女性経営者のシルヴィアと話をしていた時、彼女が突然、「ブドヴァイザーは美味しかったか?」と聞いてきた。「なんでそれを知ってるの?」と尋ね返したら、私はあんたが旅行に行ったことも知っているよ、との答えが返ってきた。すかさず、「ここにもブドヴァイザーを置いてくれればいいのにね」というと、「グッドアイディアだ。Gute Idee !」とたちまちのってきた。おそらく次回ドイツへ来るころにはブドヴァイザーが飲めるに違いない。大いに期待したい。
元に帰ると、実はこの店に行く前にふたつ小さな事件(?)があった。
一つは、ほんの少し日本語を解するドイツ人の写真家と道で出会ったことである。マティアスと名乗っていたが、このハレに住んでいて娘さんがハレ大学でヤパノロギー(日本語学)を学んでいるとのことだった。実際にわれわれが先の店でビールを飲んでいた7時ごろに彼とその娘さんから電話がかかってきたが、まだたどたどしい日本語(私のドイツ語と同じ程度)だった。
もう一つは、ハレがライプチヒに近いせいか(ライプチヒとドレスデンが東欧への出入り口になっている)、この街でハンガリー料理の店(「ブダペスト」という名前だった)を発見したことだ。次回には「トカイワイン」を飲みに、ぜひ行きたいと思う。
ハレの街を始めて少し時間をかけて散歩した。ドームの前を通り、お城まで行った。なかなかきれいな街だ。そういえば、宿の小母さん(先述した元気な老婆)が、「ここ(この宿)には日本人がよく泊まりに来るんだよ。時々は大学の先生が来ることもあるよ」といっていたが、確かに街を歩いていて多くの東洋人を見かけるのはライプチヒと同じである。
美しくて小さな住みやすい街というイメージがする。
ハレのお城
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