「親しまれるより」より「畏れられたい」―正念場の習近平 1
- 2017年 8月 2日
- 時代をみる
- 中国田畑光永習近平
新・管見中国(26)
しばらく中国のことを書く気がしなかった。なぜなら最近の中国は、何を書いても、かねてから「反中国」を売り物にしている某紙の論調と似たようなことになるものだから、自分で自分がいやになってしまうのだ。しかし、今やそんなことも言っていられない状況になってきた。
先月、ドイツのハンブルクで開かれたG20の首脳会合では、2010年にノーベル平和賞を受賞しながら、獄につながれたままだった劉暁波氏が肝臓がんで死期が迫るまで、中国当局は氏を病院にも移さず、申しわけ程度に最後の最後に市中の病院には入れたものの、国外での治療を望んだ本人、家族の願いを聞き入れないまま、死なせてしまったことに、習近平と個別に会談した各国首脳は一言の苦言を呈することも避けた。
理由は分からないでもない。劉氏にノーベル平和賞を与えたノルウェーはその後、何年も中国による経済的な報復を受けたし、最近では米の超高高度ミサイル迎撃システムの配備を受け入れた韓国に対して、中国政府はそれこそ庶民までも動員して、反対キャンペーンを繰り広げた。おかげで韓国の自動車メーカーは軒並み中国での売り上げを大きく減らし、100店もの店舗を展開していた韓国の大手スーパーはいまだにその9割もが店を再開できないでいる。
国内では「市場の機能をより発揮させる」ことを改革項目に挙げながら、気に入らないことをした国に対してはそれこそ官民挙げて経済的仕返しに出るのだから、うかつなことは言わないほうが無難だと「国益」を背負っている首脳たちが判断するのもしかたのないことだろう。
中国が「改革・開放」政策を掲げて、流行り言葉で言えば「経済発展ファースト」の道を歩み始めてからも、「中国の特色を持った社会主義」を盾に「民主」、「人権」といった人類の「普遍的価値」を拒否し続けていることに、世界はそれなりの対応をしてきた。1989年6月のいわゆる天安門事件では多くの国が中国に「制裁」を課した。
中国政権も表向きはそうした外からの「干渉」を断固拒絶しながらも、行政末端の村では村長選挙を実施したり、政権にたてつく人間を法律によらずに辺縁の地に送る「労働改造」制度を廃止したりと、やがては普遍的価値を認める方向に進むことを期待させる措置をとった。
しかし、2010年にGDP総額で日本を越えて世界2位の経済大国となった頃から、「大国意識」の広がりとともに外部からの批判に対する開き直りが始まり、それは2012年に習近平がトップ・リーダーとなって、大中華を復興させるという「中国の夢」を唱え始めて以降いよいよ顕著となった。
一方、この間、世界では自由貿易体制を批判する声が高まり、それを唱えた米共和党のトランプ候補が2016年秋の大統領選で勝利したことで、1つの主張としての立場を獲得した。それに対して、習近平は16年9月の中国・杭州でのG20 、17年1月のダボス会議、17年7月のハンブルクG20 と機会あるごとに「自由貿易体制」擁護を唱えた。これによって、他国においてはいざ知らず、中国国内では習近平を「自由貿易」の守護神に祭り上げる風潮が定着し、奇妙なことにそれをもって「民主」、「人権」を受け入れないマイナスを相対的に矮小化する、開き直りの議論が大手を振ってまかり通るに至っている。
それにしても、中国は、いや習近平は、いったいなぜそれほどまでに「民主」、「人権」を忌避するのか。さまざまな理由が挙げられるが、要するに自分が、あるいは自分たちが、あの国を統治することに自信がないのだ。自由な選挙で統治者を選ぶとなったら、自分たちが負けることは自明であるし、自由にものを言わせ、書かせたら、国中に自分たちを糾弾する言葉があふれるのは間違いないからである。不正腐敗を摘発された「虎」(大物幹部)のリストがすべてを物語っている。
独裁政権に腐敗はつきものと言っても、毛沢東(第一代)、鄧小平(第二代)といった指導者は命を賭して革命を成功させた世代だから、おのずから身に威信を備えていた。それがあればこそ、毛沢東は文化大革命のような突拍子もないことを始められたのだが、そういう威信はその後の江沢民、胡錦涛、習近平にはない。それでも江沢民、胡錦涛には鄧小平の眼鏡にかなったというわずかな正統性がないわけではなかったが、習近平にはそれもない。
となると、習近平は無から威信を作り出さねばならない。しかし、時期もよくなかった。改革・開放政策に踏み切って以来続いてきた経済の高度成長も、2008年のリーマンショック以来の世界経済の低迷、中国国内の人件費の高騰による輸出競争力の低下などで、もはやかつてのような二けた成長は望むべくもない。
まずその状況を習近平は国民に「新常態」という造語で苦しい説明しなければならなかった。中国共産党結党100年にあたる2021年には1人当たりGDPを2010年の2倍に引き上げて「小康社会」を実現し、建国100年の2049年には世界の先進国の仲間入りする、という習近平の「中国の夢」は予想される多難への予防鎮痛薬であろう。
さてそこで威信をどのように築くか。習近平はまず中国共産党内部で強権をふるった。2012年まで政治局常務委員、つまりトップ7の1員として司法・警察を牛耳り、石油閥の頭目でもあった周永康を葬り、習のライバルと目されていた政治局員、薄熙来を追い落とし、軍の最高幹部(中央軍事委副主席)2人、徐才厚、郭伯雄を追放した。
そのうえで、昨2016年秋には「核心」という法律にも、党規約にもない新しい地位に自分を置くことを中央委で認めさせて、前任の江沢民、胡錦涛との差別化を実現した。そしていよいよ今年秋の第19回党大会では、毛沢東にならって「党主席」の地位にのぼり、任期のない最高指導者となろうとしている。
それが習の思惑通り実現するかどうかは、勿論、まだ何とも言えない。すべては今後の2,3か月にかかっている。しかし、最近、笑い話のようでいて、見過ごすことのできないニュースがあった。
習近平はその体型からディズニー・アニメの「くまのプーさん」に似ているとされ、中国のネット上では両者の体型を対比する投稿が相次いでいたが、それが当局の目にとまり、「プーさん」という言葉を使った投稿ができなくなったり、「プーさん」の画像が削除されたりしているというのだ(『毎日』7月18日夕刊)。
日本では1990年代の細川内閣で官房長官を務めた武村正義氏が「ムーミンパパ」に似ているといわれ、似たようなことがあったが、すくなくとも本人がそれを嫌ったとは聞いていない。よほど悪いキャラクターでない限り、そうした対比は国民に親しみを感じさせるから政治家なら普通は歓迎するところだろう。
それを取り締まるというのは、習近平が思い描く自らの指導者像は国民が親近感を持つようなタイプではない、ということだ。むしろ「主席ハ神聖ニシテ犯スヘカラズ」式の畏れ多い存在を考えているのだろう。それは彼の置かれた状況、彼の不安、緊張、焦燥を表しているのではないか。
これから党大会までどんな動きがあるのか、耳をすませていなければならないが、「自由貿易の守護神」の看板の下で、「民主」や「人権」がますますあの広い国から遠ざかって行きつつあるのは間違いない。(2017・8・1)
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