『「利己」と他者のはざまで』に触れて
- 2017年 8月 3日
- カルチャー
- 内野光子
長兄の命日でもあったので、実家に出かけた。店を休みにしていた義姉を囲み姪たち家族も集まっていて、久しぶりの思い出話や親戚の消息などにもおよぶ。やがては自分たちの健康や体調の話にもなってしまう。実家を出ると、小雨が降り出し、傘を貸してもらい、先を急いだ。
その日は、大学時代の恩師の松本三之介先生が卒寿にして出版された、新著『「利己」と他者のはざまで―近代日本の社会進化思想』(以文社 2017年6月)の合評会であった。集まるメンバーは先生のゼミ出身の研究者ばかりで、私などは参加資格がないのだけれど、メンバーの方に声をかけてもらい、末席に加わった。ただ、事前に、幹事役の五十嵐暁郎さんからは、新著へのコメントや質問を提出しなければならないという、重い宿題が課せられていた。先生はお元気で、ときには熱い講義となる場面もあり、学生時代を思い出すのだった。
新著は、副題にもあるように、ダーヴィンの進化論に端を発した社会進化論が、加藤弘之、内村鑑三、有賀長雄、中江兆民、徳富蘇峰、丘浅次郎、大山郁夫、穂積陳重らの思想形成にどんな影響を与えたのか、という日本における進化論の受容の系譜をたどるというものだった。素人の私には、ダーヴィンの進化論が、日本の近代思想史に、こんなにも影響を与えていたのかという驚きさえあった。
私の浅い理解で申し訳ないのだが、ダーヴィンの進化論は、社会進化論においても生存競争の成り行きのまま、「利己」のための集団、社会が形成され、それがやがて国家への奉仕という形で全体主義的な思想を肯定する根拠へとなってゆくのが、日本での受容の流れとなった。その流れのなかで、上記の思想家たちの受容の内実を綿密に検証されたのが新著の核だと思った。この日集まるメンバーには、兆民や蘇峰の専門家もいらっしゃるので、そこはほとんどスルーをして、私は、ともかく、これまで何らかの接点や関心があった人物への興味を糸口にするという幼稚な読み方となった。加藤弘之の天賦人権論からの明治国家近代化への転向、内村鑑三の義戦論から非戦論への転向という、真逆の「転向」にどう影響したのかを読み取ろうとした。社会進化論が、多くの場合は、リベラルな考え方や社会主義的な考え方の抑制機能果をたしているなか、穂積陳重が法社会学的な方向を目指していたということを知ったり、大山郁夫が人類的普遍性、倫理性との融合に苦慮しながら、未成年や女性などの社会的弱者への保護に向かっていたということも知ったりした次第。
松本先生は、社会進化論が、自らの生命をまもるという「利己」の考え方が、日本では自然権思想に結びつく可能性が失われてゆく近代化の過程のなかから、その可能性を、現代から問い直し、探ろうという道筋を示されたのだろうと思う。本当は『「利己」のすすめ』という書名を考えないではなかったけれど、今の世の中では、理解されそうにもないともおっしゃっていた。
席を変えての夕食会では、大田昌秀元知事の県民葬の準備で多忙だったという比屋根照夫さんと隣り合わせになった。若いとき、短歌も詠んでいたという話から、現代の沖縄歌壇の話にも及んだ。すでに大学のリタイア組が多いメンバーの話は、1960年代から70年代の学生生活や研究生活に及び松本先生の厳しい指導や何事にも真摯に向き合われているエピソードが語られたりした。
帰宅してみると、この辺りは、夕方にかなり降った跡が見えた。その日も、神奈川の各地で局地的豪雨による水害が報じられていた。久しぶりの出会いもあった一日、今夜はゆっくり眠れるだろうか。
初出:「内野光子のブログ」2017.08.03より許可を得て転載
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〔culture0516:170803〕
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