安倍内閣の支持率はなぜ高いのか(9) ― 「受け皿」論は序の口である ―
- 2017年 8月 12日
- 時代をみる
- 半澤健市安倍
《まだ「高い」と言っているのか》
「安倍内閣の支持率はなぜ高いのか」の続きはどうした。読者にそう言われた。
最近の調査で安倍晋三内閣の支持率は暴落しているではないか。
たしかに、2017年8月3日の内閣改造後、支持率は平均して一桁の回復を示したがそれでも不支持率が上回っているし、安倍首相が信用できないという意見は増加している。決定打は加計問題だ。首相の説明に納得できない人の比率は80%に達している。閉会中審査を恥とも思わず、稲田や加計や虚言官僚の出席さえ拒んでいる。
意地を張る気はないが、どう見ても安倍内閣の命運は「詰んで」いて、本来なら総辞職して当然である。それなのに、30~40%もの「高い支持率」を保っている。だから私は「安倍内閣の支持率はなぜ高いのか」の看板を下ろす積もりはない。
メディアは商売―視聴率や読者数―を考えて、安倍批判の言説をマブしているが、報道のベクトルは安倍政局の日程問題に横滑りして、真の対立軸や政治理念の問題に触れる様子はない。
《保守二大政党論と受け皿》
私は2009年に起こった民主党の政権奪取は、結局は二大保守独裁体制の開始だと考えてきた。それには敗北主義であり冷笑主義だという批判もあった。勿論、民主党リベラルが、いくらかの改革を実現したことを評価しないわけではない。
鳩山由紀夫内閣成立後、約100日間の新聞一面には、新政権への期待感が大きな活字で踊っている。暇のある読者は当時の縮刷版でも一覧されるがよい。しかし沖縄普天間基地の「最低でも県外へ」論すら、外務官僚に騙された鳩山首相が、対米交渉のテーブルに置くことはなかった。政治は結果がすべてである。だから私は鳩山政権の失態を弁護するつもりはないが、あの政権の一部・一時期に燃えていた「対米自立」や「社民的政策」の志にいたるまで、蔑視して盥から流すのは、公平でないと思っている。
民主党政権の首相だった野田佳彦も、「都民ファースト」の小池百合子も「保守政治家」を自称している。しかし野田・蓮舫は「受け皿」たり得ず、小池百合子は受け皿たりえた。「受け皿」とい言葉の意味を吟味して使わねばならない。
我々も馴らされているメディアのいう「受け皿」とは、自民党別働隊の謂いである。公明党・日本維新・民進党の大半が受け皿の現役および予備軍である。今後、自民が割れての政界再編まで見通すのが「受け皿」論議の本質である。
二大政党の対峙、二大政党による政策競争、二大政党間の政権交代。冷戦終結を機に、我々が自覚も乏しく信じてきた「二大政党」の実態は、日本においては「一党独裁プラス優しげな補完勢力」部隊であった。日本だけではない。米・英・仏という先進民主主義国でも、二大政党は崩壊し、混濁と流動と分断の世界が示現している。
《リアリズムの戦いが始まる》
戦後72年の今になってそんな迷いごとをいうのか。
そうである。仕方がないのだ。我々は課題への対決を延ばしに延ばしてきたのだから。
「大日本帝国憲法」の復活=対米隷従の国家主義。あるいは「日本国憲法」に拠る戦後民主主義の新生。我々は、今後数年のうちに、国際社会のリアリズムのなかに、このいずれかを、命の危険まで考えに入れて、選びとらねばならぬことになるだろう。無論、昔と同じ帝国でも戦後と同じ民主制でもない。
30年にわたるゼロ成長、国際比較での諸指標の地盤沈下、高齢者が半分になろうとする人口動態、各階層にわたる貧困者の急増。原発問題の行き詰まり。こういう環境が、選択の前提となるのである。幕末維新や大東亜戦争敗戦に匹敵する困難に我々は直面しているのである。(2017/08/07)
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