「習近平思想」ってなんだ? ―正念場の習近平 3
- 2017年 8月 14日
- 時代をみる
- 中国田畑光永習近平
新・管見中国(28)
この秋の中国共産党全国大会(第19全大会)で自身を毛沢東、鄧小平に直接連なる、つまり江沢民、胡錦涛というつなぎの指導者の3人目ではない、終身的な指導者に位置づけようとする習近平の動きを、これまでイメージ作戦と軍事演習閲兵にまつわる動きの2回に分けて見てきたが、今回はもう1つ「習近平思想」なるものが形成されそうなので、それを取り上げたい。
中国共産党は革命政党として発足し、政権奪取後も共産主義社会を建設するという明確なイデオロギー的目標を抱えている(あるいは「いた」?)から、思想的バックボーンなしというわけにはいかない。
現行の党規約(2007年改正)では第三条の「党員は次の義務を履行しなければならない」の後の(一)には次ぎのように書かれている。
「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論と『三つの代表』という重要な思想を真剣に学習し、科学的発展観を学習し、党の路線、方針、政策と決議を学習し、党の基本知識を学習し、科学、文化、法律および業務の知識を学習し、人民に奉仕する能力を高めること」
マルクス・レーニンは「主義」で、毛沢東は「思想」で、鄧小平は「理論」と、言葉が使い分けられているが、これはおそらくマルクス・レーニンの唯物史観は全世界に普遍的に当てはまるから「主義」、毛沢東は中国という一国の革命の「思想」、鄧小平はその中国の改革開放の「理論」というわけで、適用範囲の広さの順位で区別されているものと思われる。
次の「三つの代表」というのは江沢民が唱えたものだが、前三者と並べられてはいるものの格は落ちるということで名前抜き、次の「科学的発展観」は当時の現職の総書記、胡錦涛の考え方だが、前四者とは切り離して、単独でかつ名前抜き、かつ「学習」の前の「真剣に」という副詞を削って、重要さに違い(?)を付けていると思われる。
面倒な話にお付き合い願ったが、これを前提にしないと、今日のテーマはご理解いただけないと思われるので、ご勘弁願いたい。
つまり、今、中国のあちこち、つまり各レベルの指導者の発言や新聞雑誌の文章に「習近平思想」という言葉がちょくちょく出てくるのは、この秋の党大会で規約を改正して、前期の文章にそれを書き込もうというプロパガンダなのである。そしてその狙いは習近平という名前の後に「思想」の2文字を付けている点にある。
現行規約では江沢民、胡錦涛の2人は唱えた考え方は書き込まれたが、名前はない。「習近平思想」となれば前任2人とははっきり差がつく。おそらくこれを画策している人間たち(習自身を含めて)の意図は、差をつけるだけでなく、前任2者の「三つの代表」と「科学的発展観」はこの際、削除して、「マルクス・レーニン主義」「毛沢東思想」「鄧小平理論」「習近平思想」という並びにしようということなのである。
なんのためにそれが必要か。習近平は江沢民、胡錦涛と違って、2期10年間総書記を務めたあと、「はいお次と交代」となって引退するような指導者ではなく、まあ大げさに言えば、「終身最高指導者であるべき人間だ」ということを広く国民に浸透させるためだ。
確かに習近平は1953年6月の生まれだから、今年秋の第19回党大会の5年後、2022年の第20回党大会でもまだ69歳。前任の胡錦涛が引退した時の70歳、江沢民の76歳に比べれば若い。しかし、辞めたくない理由はそれだけではないはずだ。
習近平は周知のごとく、最高指導者に上り詰めてから、党内の腐敗不正の摘発を大規模に進めてきた。王岐山を中央紀律検査委員会の書記(トップ)に据えて、「トラもハエも」、つまり大物も小物も区別なしにやり玉に挙げた。一番の大虎として前期の中央政治局常務委員、つまりトップ9人の1人だった周永康に始まって、次いで政治局員(トップ25人)の1人だった薄熙来、また前総書記の側近中の側近だった令計画と続き、さらに軍のトップである中央軍事委員会副主席(主席は習近平)の徐才厚、郭伯雄の2人と、「刑不上大夫」(刑罰は高官に達せず)という中国の伝統を打ち破る綱紀粛清ぶりを見せた。
しかし、中国の党・政府官僚の腐敗ぶりは、俗に「不反腐亡党、反腐亡国」(腐敗を取り締まらなければ党が滅ぶ、取り締まれば国が亡ぶ)と言われるほどに蔓延している。槍玉にあげられた人々の腐敗は事実だろうが、ほかの人々がすべて潔白とはとても言えない。摘発が公正だったとは考えられない。摘発されたものと逃れたもの、そこには政治権力をめぐる争いが反映していたはずだ。
だから習近平は辞められないのだ。彼の腐敗摘発が前例のない広範なものであっただけに、つまり高位に上り詰めたもの同士の「互いにみて見ぬふりをする」という暗黙の了解を無視しただけに、自身が辞めた後の反動を考えれば、彼が終身、権力を手放したくないと考えるのは極めて自然だ。
昨年秋の党中央委員会総会(六中全会)で、自らを党中央の「核心」の地位に置くことを決議させたのもそのためであったはずだが、そんな中途半端な形では退任後の身の安全は保障されない。
そこで毛沢東、鄧小平という、したことは正反対ながら確固とした指導者像を民衆の中に残している2人を継承する人間として、現在の地位に留まるためのいわば勲章が「習近平思想」なのである。毛沢東が「思想」、鄧小平が「理論」とすれば、習近平「思想」は鄧小平より上位の毛沢東とならぶ地位を示すとさえ受け取れる。
それでは習近平の「思想」とはいかなるものか。毛沢東思想は「毛沢東選集」全5巻、文革中の「毛沢東最高指示」にまとめられており、『矛盾論』『実践論』『中国革命の戦略問題』など、それこそ思想の名にふさわしい質と量を備えている。
鄧小平の『理論』は「鄧小平文選」もあるが、毛沢東の死後、国全体が茫然自失に陥っていた時に、「金もうけは大いにやれ」「外資を恐れるな、国を思い切って開放しろ」「資本主義だ、社会主義だ、とうるさいことを言うな」などなど、あたかも天の啓示のごとくに民衆を奮い立たせた言葉として、人々の記憶のなかにある。
今、中国のマスメディア、特に新華社、人民日報、中央電視台といった党中央と一体となったメディアはほぼ毎日、トップ・ニュースは習近平の動静であったり、発言であったり、である。それは文革中の毛沢東の扱いを思わせる。
しかし、その内容は驚くほどに無内容である。もっとも習近平だけを批判するのは公正を欠くので、前任者の江沢民、胡錦涛のそれをまず一瞥しておこう。
まず江沢民の「3つの代表の重要思想」とはこういうものである。
「中国共産党は終始一貫、中国の先進生産力の発展が要求するもの、中国の先進文化が前進する方向、中国の最も広汎な人民の根本利益を代表し、それらはわが党の立党の本、執政の基、力の源である」
一読しただけでは何を言っているのか分からない。要するに中国のなんでも優れたもの、重要なものは共産党のものだ、というのである。具体例として当時言われたのは、成功して金持ちになった民営企業家は先進生産力の発展が要求するものとして、中国共産党への入党を認める、ということであった。優れた芸術作品も共産党があればこそ、国民が喜ぶことは全部共産党のおかげ、というわけだ。
次に胡錦涛の「科学的発展観」。
「人間が本(もと)、を堅持し、全面的、協調的、持続可能な発展観を樹立し、経済社会と人との全面的発展を促進する」。そして「都市と田舎、地域間の発展、経済社会の発展、人と自然の調和のとれた発展、国内の発展と対外開放の要求、これらを総合的に進める」
要するにバランスを考える、の一言である。胡錦涛の時代は21世紀のほぼ最初の10年、北京五輪や上海万博など発展の一方で格差、腐敗など矛盾も拡大した。そこでバランスを考えようというのだった。胡錦涛はまた「和諧社会」、調和のとれた社会、を提唱し、これは「和諧」号という特急列車の愛称として今も残っている。
さてそこでいよいよ「習近平思想」である。といっても、まだその内容を示すフレーズは明らかにされていない。ただ「四個全面の戦略配置」「五位一体」という2つのスローガンが中心となるだろうと言われている。
その「四個全面の戦略配置」とは「全面的に小康社会を完成させ、全面的に改革を深め、全面的に法による治国を推進し、全面的に厳しく党を治める」であり、「五位一体」とは「経済建設、政治建設、文化建設、社会建設、生態文明建設」である。
要するに「あれもこれも」というだけで、「思想」と呼べるほどのものではない。わずかに「四個」の最後に「厳しく党を治める」というのが、彼の独裁願望を映しだしている。
まあ、これから彼の側近の祐筆たちがこれに尾ひれをつけて「思想」に仕上げるのだろうが、元がこれではどんなものができるか。もっとも逆にこんな安っぽいスローガンからどんな「思想」が生み出されるか、その技量が見られるとすれば得難い機会ではある。
(17・8・8)
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