読売新聞「社説」への根底的批判 (上) =「100ミリSv以下無害説」 は被曝防護の歴史を無視した暴論=
- 2017年 8月 17日
- 評論・紹介・意見
- 藏田計成
はじめに
「科学的には、100ミリシーベルト以下は被曝(ひばく)による健康への影響はないとされる。」この一文は、読売新聞「社説」(2017年2月9日)からの引用である。表題は「放射線審議会 民主党政権時の基準を見直せ」となっている。(なお、読売新聞は同じ趣旨の「社説」を同年6月26日にも掲載)。だが、この「社説」の主張は誤りであり、事実ではない。この100ミリSv(ミリシーベルト)が短期的被曝線量であれ、長期的累積線量であれ、100ミリ㏜以下の低線量被曝による健康への悪影響を否定することはできない。むしろ、事実は「社説」の主張とはまったく逆である。国内外の研究は年間100ミリ㏜どころか、数ミリ㏜の医療用X線でも被曝発ガンが生じることを科学的に認定している。
実際、日本原子力安全委員会は福島原発事故が発生した年に、「・・・『年間100ミリシーベルト以下では健康への影響はない』という記述は正しくありません」と明言した(注1)。実は、この日本原子力安全委員会(当時)は、福島事故発生直後には「年間100ミリ㏜以下無害説」に加担していた。しかし、その誤りを改め、同じ年に先のように訂正した。その限りで、彼らは公的機関としての最低限の社会的責任を果たしたといえる。読売新聞「社説」も、日本原子力安全委員会を見習って、誤りをただちに撤回するべきである。
国内外の多くの研究者が数ミリSv~数10ミリSvの低線量による被曝発ガンを論証している(津田敏秀、注2)。それだけではない。ある研究者は読売新聞「社説」のいう内容が「日本国内でしか通用しない世界の非常識である」と批判している(今中哲二、注3)。その裏付けとして次のように指摘している。「生物実験データや細胞レベルでの知見を合わせて検討するなら、100mSv以下の被曝に対してLNTモデル(後述:引用者注)を適用するのが適切であると、ICRPは明確に述べている。 BEIR 委員会や UNSCEAR(引用者注:米国アカデミーや国連科学委員会)も基本的に同じ見解である」という(注4)
その「世界の非常識」という不名誉な評価については、「社説」の筆者自身も薄々自覚しているらしい。「社説」は冒頭引用のすぐ後に続けて、次のように結んでいる。「放射線審議会で、国際的な考え方を改めて検討し、政府は法令に基づく明確な基準を打ち出すべきだ」。つまり、この「社説」の主張は世界の定説をあからさまに疑問視してこれを見直し、人体が浴びる線量限度を大幅に緩めるよう政府の放射線審議会に要求しているのである。
だが、この「社説」の罪は重い。「(年間)100ミリ㏜以下無害説」はもともと根拠のない流説である。それをあえて持ち出すことは、これまで人類が営々と積み重ねてきた放射線防護の研究の成果を抹殺することによって、被曝防護の正当な認識が欠けていた時代にのみ通用した過酷な線量限度への逆戻りを意味する。それだけではない。この主張は、被曝地住民の正当な警戒心を解除し、今後必至となる被曝被害の存在の実感を遠ざけるように仕向け、避難住民の汚染地帯への帰還を強要する策略をあおることにほかならない。このような被曝の過小評価や歪んだ情報は無責任である。それはたんに危険情報の先送りであり、危険の累積という取り返しがつかない誤りを犯すことになる。読売新聞「社説」の害毒は明らかである。
いうまでもないが、低線量被曝の危険性を強調することは、決して被曝結果を誇大視することにはならない。また、不安や恐怖をかきたてることとも無縁である。事実はあくまでも事実であり、その事実自体が過酷であり、恐怖である。事実や仮説を過大に評価することは許されないが、過小評価も許されない。このような愚行は歴史に対する無責任な向き合い方である。
いまにして思い知る歴史がある。読売新聞がこんな流説を麗々しく「社説」に掲げるのは理由がある。それは、読売新聞社(正力松太郎)がこれまで伝統的に掲げてきた原発推進の論調の踏襲にちがいない。1960年代にあの「原子力の平和利用」と喧伝されて始まった原発推進の旗振り役を最も熱心に演じたメディアは読売新聞(正力松太郎)であった。だが、いまや原発依存策は完全に破綻した。その歴史上の愚行をなんら反省することなく、いまにして再演しようとさえしている。これは「社会的公器」としての新聞の役割をみずから放棄したに等しい。このような無謀は厳しく糾弾されなければいけない。
なお、読売新聞「社説」は誤植と見紛うほどおかしな数字を平然と並べている。これらの意図的と思える間違いについては「公開質問状」による批判と抗議が行われている。是非参照にしていただきたい。(注5)
本稿の目的は、多岐にわたる「社説」の誤りを全面的に批判し、欺瞞性を徹底的に暴き、論証することである。そのために、論考を本稿(上)と別稿(下)に分けることにした。そのうちの本稿(上)では批判の論拠を<人類が放射線とともに歩んだできた歴史>に求める。遠い過去の放射能の発見にはじまり現在に至るまでの約120年間、また、放射線からの被曝防護と被曝線量限度を模索し続けた90年間にわたる人類史上の営為そのものが、歪んだ「社説」の虚妄を暴いてくれる。
なお、別稿(下)では低線量被曝の影響と被曝の全体構造を定量的に解明し、「社説」の欺瞞をより詳細に論証する。その別稿(下)では、被曝リスク(被曝によって損害を受ける可能性)に関する2つの代表的な被曝モデルのリスク評価を比較検証する。ひとつはICRPモデルの「被曝リスク評価」であり、もうひとつはその対極にあるゴフマンモデルの「年齢別危険度評価」である。このふたつを対比することによって、低線量被曝構造の全体像が鮮明に浮かび上がる。最終的には、安心神話の虚構性を全面的に明らかにし、「100ミリ㏜以下無害説」は事実無根であり、<100ミリSv以下でも重い被曝被害が生じる>ことを論証することである。(なお、以下の数量計算や換算などは、すべて、単純計算(目安)である)
1 概説/被曝危険性の度合い
本稿の結論の一部でもあるが、まず、人工放射線による被曝危険性について、比いくつかの比較数字を概説する。すなわち、読売新聞「社説」が持ち出した「100ミリ㏜以下無害」という被曝線量限度の想定がいかに危険であるか、簡明な事例の比較によって明らかにする。詳細な裏付けは別稿(下)で論証するが、以下6点に要約できる。
① 福島事故前の国内平均自然空間線量率(単位時間あたりの量だから「率」となる)は、毎時0.035~0.04マイクロシーベルトであった。(年間に換算: 0.30~0.35ミリ㏜。簡便な年間換算法:0.035×8.76、(注6))。そのうえで、いくつかの数字を比較しよう。
まず、1985年、「ICRP」(国際放射線防護委員会)のパリ声明は、人がつくり出す人工放射線が人体にとって過剰に浴びることになる「過剰被曝線量限度」を設定した。その年間被曝線量限度は、一般公衆(住民全体)に関しては「年間1ミリ㏜」と勧告した。このICRPパリ声明の「公衆、年間1ミリ㏜」という線量率は、福島事故が起きる前の国内の年間自然空間線量率の「約2.8倍」(1÷0.35 )に過ぎない。また、チェルノブイリ事故翌年の1987年、「イギリス放射線防護庁」(NRPB) は線量率「年間0.5ミリ㏜」を勧告した。これは福島事故前の自然空間線量率の「1.4倍」(0.5÷0.35)である。さらに、その22年後の「欧州放射線リスク委員会」(ECRR)は線量限度「年間0.1ミリ㏜」を勧告した。このECRR勧告の年間線量率は自然放射線量率よりも低い「0.28倍」(0.1÷0.35)であり、人類史上の最小線量限度である。
このように、年間被曝線量限度を自然放射線の「2.8~0.28倍」へと低く抑えた背景には明確な理念があった。それは、自然放射線は有害であり、しかも不可避である限り、過剰な人工放射線被曝はできるだけゼロを目指すべきである、という被曝防護の根本原則があった。これは人類のゼロリスク志向へ努力の結果でもあった。これに対して読売新聞「社説」がいう「100ミリ㏜」は、ICRP線量限度の100倍(100÷1)、NRPB線量限度 の200倍(100÷0.5)、ECRR線量限度の1000倍(100÷0.1)、さらに、自然空間線量率の285倍(100÷0.35)という高い倍率を示している。このように「年間100ミリSv」という線量は、倍率においても法外に危険な線量である。「社説」はこの高倍率の線量を線量限界であると憶測し、「それ以下は無害である」と強弁して、これを新基準に設定せよと主張しているのである。
② 実は、ICRP(国際放射線防護委員会)が勧告した線量限度「年間1ミリ㏜」には大きな問題点があるが、この事実については、別稿(下)で全面展開することにする。ここでは、とりあえず原発推進派の定説になっているICRP公認線量率「公衆、年間1ミリ㏜」を基準にして、論を進めることにする
まず、「社説」のいう線量上限値「年間100ミリ㏜」がもたらす被曝ガン死の危険度を検討してみよう。ICRPモデルのリスク係数は「被曝1シーベルト=1000ミリ㏜で、死亡確率5%」(5×10-5)であるが、これを別ないい方で表せば「公衆1万人、被曝1ミリ㏜、生涯のガン・白血病死リスク0.5人、後述」ということになる。このICRPリスク係数で「社説」のいう被曝100ミリ㏜のリスクを計算すると、その結果は「公衆1万人、被曝100ミリ㏜、生涯被曝ガン死は50人(件)」(0.5人×100倍、被曝集団の0.5%)ということになる。これはICRPモデルにおける被曝リスクの100倍(50人÷0.5人)である。このように同じ人数の集団でも、誘発原因の被曝線量限度が100倍であれば、被曝結果のリスクも100倍になる。「社説」が主張する線量限度100ミリ㏜では、このような1万人で50人以下の被曝犠牲を、すべて「無害」とみなして切り捨てることになる。
③ ICRPモデルのリスク係数の対象はガンと白血病死に限定している。それ以外の「非ガン性疾患死」(心疾患・脳疾患・血管老化などの循環器系疾患や免疫不全などの疾患死)は対象外である。これを加算すると被曝リスクはほぼ倍増するとされている。この事実が初めて明らかにされたのは福島事故25年前に起きたチェルノブイリ事故の検証結果である。『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』(注7)で指摘されている。
この倍増説で被曝線量100ミリ㏜のリスクを計算すると、「公衆1万人集団、被曝100ミリ㏜、被曝疾患死者数100人」(上記②より50×2、被曝リスク0.5×2=1%、福島県民規模200万人の被曝集団では2万人)となる。被曝ガン死1%未満は原発事故と切り離され、1%以上から被曝ガン死がカウントされる。
④ 問題はそれにとどまらない。先にも触れたがICRPリスク係数は過小評価だと批判されている。その理由は、被曝感受性(年齢依存性、被曝反応)が高い幼少世代をふくむ未成人や若年成人(20~30歳前半世代)など、被曝リスクに敏感な世代をリスクの算定から、排除しているからである。別稿(下)で詳述するが、一例だけあげよう。
ゴフマンモデルはICRPモデルとは対象的で、厳密な年齢別リスク評価を行っている。そのリスク評価の特徴は、被曝感受性にみる年齢別の違いを考慮して、「混合年齢集団」という独自の考え方を導入して、「危険度係数」を求めていることにある。そのゴフマンモデルの危険度係数は、混合年齢集団「人口1万人集団、被曝1ミリ㏜、生涯ガン死 3.73人」(各年齢別リスクを求め、全年齢の合計から平均値を求めたもの)である。それに基づいて計算すると「混合年齢1万人集団、被曝100ミリ㏜、生涯被曝ガン死者数370人」(50人×7.4倍、7.4とは、②④より3.73÷0.5=7.4倍)に跳ね上がる。
⑤ 先の③でふれた、ガン死以外の被曝疾患死をこれに加算すると、死亡率はさらに2倍になる。ゴフマンモデルで計算すると「1万人集団、被曝100ミリSv、被曝疾患死数740人」(370×2)に達する。福福島県民規模の集団200万人では、生涯被曝疾患死14万8000人(リスク7.4%)となる。この事実を認めない「社説」の論理は、この推計を被曝統計から除外することになる。
⑥ この被曝疾患はたんに寿命損失(平均寿命の低下)にとどまらない。先のチェルノブイリ事故報告によれば、甲状腺ガン1件(人)の背後には1000件(人)以上の甲状腺異常があるという。
たとえば、福島県の被曝時の年齢18歳以下の集団は約36万人である。事故6年間ですでに甲状腺ガンは190人(被曝時年齢18歳以下)に達した。この甲状腺被曝疾患を単純に計算すると1000倍として19万人(190×1000倍、罹患率52.7%)となる。ただし、2つの事故の被曝線量や条件は不明確だから、一律に論じることはできない。
政府やご用達専門家はこの双方の被曝線量などの不明確さを前面に押し立てて、被曝傷害の検診・検証・統計をサボタージュし、最後には事故影響さえも否定している。だが、被曝による健康破壊が果てしなく広がっていることを否定することはできないし、黙殺するべきではない。
たとえば、飯館村では毎時30マイクロシーベルトを記録した。この線量率は年間260ミリ㏜(年間自然空間線量率の742倍)、被曝線量は月間では2.16ミリ㏜、半月間では1.08ミリ㏜(年間自然線量の3.0倍)に達したことになる。東日本全域における高い濃度の初期放射性ヨウ素の吸入被曝(鼻血は首都圏にまで及んだ)という事実と予測結果を軽視するべきではない。
以上の数字は、「健康影響なし」と称している<安心上限値100ミリ㏜>がもたらす被曝疾患死や被曝傷害の大まかな推計である。読売新聞「社説」は、これらの事実と数字を知ってか知らずか、臆面もなく無害と言い立てている。
2 欺瞞「年間100ミリSv以下無害」説の出所と根拠
「100ミリSv以下無害説」を流す背景には、低線量被曝の社会的不安を和らげ、混乱を避けて安全性を誇大に強調して混乱を避けようという意図がある。このたぐいの理屈は必ずしも唐突に出たものではない。これまでも同じような風説が流布されてきた。福島事故直後には、政府ご用達専門家山下俊一氏は福島現地でこの無害説をふれまわった。このときは「100ミリシーベルト以下は安全、90ミリシーベルトでは屋外遊びも可能である」とした。これに呼応するかのように産経新聞「原子力取材班」(2011年5月4日Web)は、国立がん研究センター研究員の「研究結果」(名記なし)と称して「100m㏜以下は、受動喫煙、野菜不足と同程度」という憶説を流した。日経新聞も足並みをそろえた。
その他、福島原発事故の年に民主党政権下で開催された「低線量被ばくのリスク管理に関する ワーキンググループ (WG報告書)」(2011 年12 月 22 日)は、原子力安全委員会とは異なった、次のような見解を表明した。
「国際的な合意に基づく科学的知見によれば、放射線による発がんリスクの 増加は、100 ミリSv以下の低線量被ばくでは、他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど小さく、放射線による発がんのリスクの 明らかな増加を証明することは難しい。」
「100ミリ㏜以下無害説」はここでも登場する。これら一連の「無害説」論拠の源流をたどっていくと、その先には、いわゆる「科学的知見」なるものの欺瞞の体系が浮き彫りになってくる。まず、その数字の出所は遠く広島・長崎への原爆投下にたどりつく。
たとえば、瞬間的殺傷効果以外には興味を持たないアメリカの軍事的立場と思われるが、次のような歴史的な事実がある。これは現放影研(日米共同研究機関「放射線響研究所」、旧ABCC・原爆傷害調査委員会)でも確認済みである。原爆投下直後に現地に乗り込んだアメリカ軍事調査団は、被爆の調査範囲について被曝線量予測値を設定した。その線引き範囲の目安は「爆心地から半径2㎞以内」、「原爆線量100ミリ㏜以上」(遮蔽なし、以下同じ)であり、これは主にアメリカの核実験データに基づく推定であった。
この原爆投下前の推定線量100ミリ㏜は、投下後には測定値に置き換えられた。その検証結果は、原爆投下から20年後の1965年に、最初の暫定線量評価「T65D」として公表された。その後、1985年「DS85」の改訂を経て、2002年の「DS02」で最終的に原爆線量評価が公表され、広島・長崎の「地上距離別の原爆空中線量」(中性子線とガンマー線合計線量)の平均値が確定した。それによると遮蔽なしの原爆線量は、「1㎞地点、8345ミリSv」、「1.5㎞地点、823ミリ㏜」、「2㎞地点、110ミリSv」、「2.5㎞地点、18ミリSv」である(注8)。(なお、距離別即発性死亡率は(注8)に補記した。たとえば0.5㎞以内の即死90%)。
この3つの線量評価体系(「T65D」「DS86」「DS02」)を参考にして作成された統計資料が、生存者「寿命調査」(LSS:Life Span Study cohort)である。ただし、この「寿命調査」は、原爆投下1945から49年までの約5年間の実数や統計は除外されている。また、このLSS集団の対象者は50~53年の広島・長崎市内在住者で、人口統計も1950年に行われた国勢調査に基づいている。また、統計は次の3グループに分けて9万人(のちに約12万人)の被曝リスク評価を行った。
A群: 爆心地から半径2.5km以内で被曝した「近距離被爆者」のうち、1950~52年に広島市内に居住していた生存者の一部。
B群: 半径2.5~10㎞未満地点で被曝した「遠距離被爆者」のうち、1950~52年に広島市内に居住していた生存者の一部。
C群: 1950~52年の時点で、10㎞以遠に居住していた住民を「非被曝居住者」とみなし、残留放射線などによる2次被爆の可否は不問。
◇問題点は以下の3点である。
① B群を「遠距離被曝集団」として、これを100ミリ㏜以下の「低線量被曝集団」としている点。しかも、そのB群に対しては先に引用した「WG報告」がいうように「100 ミリSv以下の低線量被ばくでは、他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど小さい」という結論を引き出している。これを唯一の論拠として、「100ミリ㏜以下の被曝集団では統計的に有意なガン死増加は確認できない」としている点である(注9)。だが、その評価は、低線量被曝による線量―反応関係の否定であり、例外にも等しいリスク評価である。とくに、世界の科学的知見が引き出した結論ともいえるLNT仮説(しきい値なし直線仮説、後述)の全否定である。これは被曝認定に直結しており、原爆資料の科学的信頼性にかかわる重大な問題点をふくんでいる。
② C群に関しては、B群に隣接した10㎞以遠グループであるが、これを「非被爆集団」とみなしている点である。2次被曝(内部被曝や入市被曝)を不問にし、このグループをLSS集団の対照群にすることは、疫学の常識を超えている。決して「科学的知見」とはいえない。Ç群は県外集団に求めるべきである。
③ 56万人の記録をもとにしたNHK スペシャル「原爆死 ヒロシマ72年後の真実(2017年8月6日)では、B群(2.5~10㎞未満)においても高い原爆死没者を出している。これは文字通り72年後の真実かもしれない。
以上みたような論拠のいい加減さが、あの政府(WG)報告書のいうところの「科学的知見」の中身である。同時に「100ミリ㏜以下無害説」の底の浅さを示している。それはともかく、話をもとにもどそう。
3 100ミリSv以下無害説は、早い時期から疑問視
被曝防護の長い歴史軸でみても、「100ミリ㏜以下無害説」の欺瞞性については、原爆投下前後の早い時期から明らかにされていた。実際に、イギリス原爆研究者達は、自然放射線の空間線量率が「年間1ミリSv」(国連科学委2008年、日本平均約2.1ミリ㏜、統一されていない、検証が必要)という事実をすでに把握していた。また、1950年に再建されたばかりのICRP委員会内の議論では、被曝線量限度として「公衆、年間5ミリ㏜」を確認していたが、アメリカ委員の強い反対で勧告から外された。さらに、その2年後の1952年のICRP会議でも非公式案ながら、公衆の被曝線量率「30年間、100ミリ㏜」(年間約3.3ミリ㏜)が内定していたが公表しなかった。読売新聞「社説」のいう「100ミリ㏜」は、この年間3.3ミリ㏜の線量限度の30年間分に等しい。
また、1956年イギリスの医学研究者アリス・スチュアートは、妊婦のレントゲン撮影に警告を発した。1943~65年までの12年間に産まれた乳幼児を対象にして最終調査結果を発表した。それによると、医療用X線「2.5ミリ㏜」被曝した胎児のガン・白血病の発症リスクは自然発ガンの2倍に達するとした。現在、この事実は医学の常識として国際的に定着している。こうした被曝に対する危険認識が広がる中で、自然放射線量の285倍も高い線量上限値「100ミリ㏜説」が、被曝防護の領域から立ち消えになったのは、歴史の流れとしては当然の成り行きであった。
4 放射線の発見にはじまった被曝防護線の歴史
人類と放射線の歴史はわずか120年間足らずである。その始端は1895年にはじまる放射能の相次ぐ発見であった。レントゲンがX線を、ベクレルが放射能を、マリー・キュリーがラジウムを発見した。それに続いてX線医療への汎用がはじまった。また、あるときは「ランドール」という高級健康ドリンク剤が発売され、お金持ちの間でナゾの奇病が広がった時期もある。このように放射線が広く普及するにつれて放射線被曝の実態や危険性が明らかになった。
それはいわば<放射能の光と影>である。その影がもたらした被曝傷害に最初にさらされたのは、先のドリンク剤愛飲者は別にして、放射能の研究者達であった。その後、ウラン鉱山労働者や住民が犠牲になり、職業被曝や医療被曝があとに続いた。やがて核実験、原爆投下という人類史的犯罪を経て、「原子力平和利用」を詐称する無謀な原発開発(核開発の原子炉利用)がはじまった。その結末は、原発事故による大量被曝という放射線災害であった。いまでも廃棄物処理、廃炉にともなう汚染防止については、その糸口さえみつからない。
このような人間と放射線の長い歴史の中にあって、放射線被曝災害の最初の研究は1927年にまでさかのぼる。アメリカの遺伝学者H.J.マラーは、X線をショウジョウバエに照射すると突然変異が誘発されることを人類史上最初に発見した。これは医学・生物学史上初の画期的な研究成果であった。この発見をきっかけにして、民間専門家有志による被曝防護への取り組みがはじまった。以下『放射線被曝の歴史』(中川保雄著、注10)を参考にその足跡をたどってみよう。
最初の本格的試みは、1928年「国際X線およびラジウム防護委員会」(IXRPC)の創設であった。いまから約90年前である。そこで最初に手がけたことは、作業者の被曝線量限度を「耐容線量」と称して年間500ミリSv(「社説」がいう100ミリ㏜の5倍)を勧告することであった。創設6年後には1934年勧告を出したが線量の変更はなかった。被曝線量は1日当たり2ミリ㏜(0.2レントゲン)、1日7時間、週5日、年50週(250日)という設定であった。その翌年の1935年勧告ではこの線量限度を半減させ、年間線量限度250ミリSv(「社説」がいう100ミリ㏜の2.5倍)を勧告した。その後、活動は1940年のアメリカ・マンハッタン計画開始という軍事機密のベールに覆われた暗黒の時期に入った。いくつもの人体実験さえ記録に残っている。やがて、広島、長崎原爆の投下という惨劇を通過した。その5年後、1950年にIXRPCは新たに「国際放射線防護委員会」(ICRP)へと改称され、再建された。これを主導したのはアメリカ政府(原子力委員会)であった。
再建と同時に、ICRP1950年勧告を出した。作業者の「最大許容線量」は年間50ミリ㏜とされたが、その根拠はあいまいで「容認されるリスク」(同、P.144)、という程度の経験的知見に過ぎなかった。その際に被曝防護史上はじめて、被曝線量限度の対象を作業者から「一般公衆」に拡大・適用し、作業者の10分の1(年間5ミリ㏜)を勧告することになった。しかし、アメリカ委員の強い反対で一般公衆の線量限度設定は実現しなかった。
その後も一般公衆は核実験全盛期の下で、被曝の危険性にさらされた。被曝-反応メカニズムの解明が半世紀を過ぎたいまも道半ばにあることに示されているように、被曝防護の研究が厚い壁を突き抜けるにはさらに数年の歳月が必要であった。一般公衆に対する線量限度が被曝防護史上はじめて陽の目をみたのは、ICRP再建8年後の1958年勧告であった。史上初の「公衆、年間5ミリ㏜」勧告であった。読売新聞「社説」はこの20倍の上限線量を「無害」と主張していることになる。この点が「世界の非常識」と批判される理由でもある。
5 国際原子力ロビーの台頭
民間専門家組織「ICRP」は国内外の政治的影響を強く受けながらも、放射線が生体に及ぼす線量限度を模索した。ICRPはその線量限度設定においても中心的な役割を担い、一定の権威を得た。ただし、後述するようにその役割や業績は決して手放しで評価できるものではなかった。たとえば、その片鱗は被曝線量限度の呼び方の変化にも現れている。被曝防護に関する基準線量の呼称は以下のような変遷をたどった。
1.「耐容線量」(1934年ICRP勧告、いわば極限的忍耐線量)
2.「許容線量」(1950年ICRP勧告、いわば受忍させる線量)
3.「線量当量」(1974年ICRP勧告、濃度限度の大幅緩和)
4.「等価・実効線量当量」(1977年ICRP勧告、線量濃度の過小評価、過去との比較も不能に)
5.「線量限度」(1990年ICRP勧告)
このような変遷史(動揺史)のひとコマが放射線被害をめぐる政治的せめぎ合いの産物であり、ICRP組織内外からの政治的影響力が色濃く介在していたことを物語っている。その他、原発推進役の原子力ロビーは、国連を中心にして、いくつもの関連組織を新設し、原発推進の国際的ネットワークを形成した。
1.「国連・原子力放射線の影響に関する科学委員会」(1955年、UNSCEAR・通称アンスケアー)
2.「国際原子力機関」(1957年、以下IAEAという)
3. 「世界保健機構」(WHO)の外部組織「 国連ガン研究機関」(1965年、IARC)
彼らは、これまで被曝罹患の事実をひたすら隠蔽・糊塗して、安全神話をとりつくろった。虚妄な情報を発信して被曝リスクの解明や社会的批判を迷路に引き込もうとした。そのひとつの典型例がチェルノブイリ事故における死没者数の推計である。国連公式統計、各研究機関、各研究者達による、推定の最小値と最大値の間には、事故後30年が過ぎても、いまだに雲泥の差「約4000~150万人」(1対350)がある(注11)。これは事故の真相がいまも闇の中に封印されていることの典型例である。
こうした混迷と錯誤の中で、原発事故に際して国連「IAEA」が果たした卑劣な役割を見逃がすわけにはいかない。IAEAの設立目的は、核保有大国が既成事実を棚上げし、核不拡散を口実にして軍事的政治的な核独占体制を維持するところにあったが、それ以外にも、IAEAは原発開発の領域でも暗躍した。
次の事実はその典型例である。1990年、国連IAEA調査団はチェルノブイリ事故においても現地実態調査を名目に、ソ連崩壊直後の現地に乗り込んだ。その一員である日本調査団は笹川財団基金35億円と、広島、長崎の知見と資料を持参した。その1年後に国連派遣チーム(調査団長、当時放射線影響影研究所理事長重松逸造)はIAEA調査報告をまとめ上げた。あろうことか、この報告書では事故影響の事実を全面的に否定したのである。「汚染による住民への影響は認められない。最も悪いのは放射能を怖がる精神的ストレスである」(注12)というものであった。
この「事故影響なし説」は事故10年後に全面的に撤回された。その誤った報告書作成において、あの原爆の惨劇を体験した日本調査団の存在と役割は、被曝住民にとっては怨嗟の的であった。その中でIAEAは原発推進の頂点に君臨し、いまや国際原子力ロビーの総本山として大規模な網目を世界に張り巡らせている。詳細は『國際原子力ロビーの犯罪』に詳しい。(注13)
このような政治的時代背景の中で、ICRPは本来の機能と役割を相対的に低下させ、政治的変質を遂げた。いまでは多くの各国ICRP委員会は実質的に自国政府の支配下におかれ、原発推進と政治的利権の巨大な国際機構の一翼を担っている。
6 被曝線量限度「年間1ミリ㏜」「0.1ミリ㏜」への道
ICRPはこのような紆余曲折を経ながらも、かろうじて放射線防護という本来の存在意義を示すことができた。事柄の本質は闇を突きぬけ、被曝線量限度の設定に関する限り、水が低い方に流れるかのように、ある種の到達点にたどり着いたのである。すでにみたように、ICRPがそれを推進し、「イギリス放射線防護庁」(NRPB) を経て、「欧州放射線リスク委員会」(ECRR)が、その後を引き受け、線量限度設定について最終的な決断を下した。
すでにみたように、ICRPは1985年(チェルノブイリ事故1年前)「パリ声明」において、放射線による被曝線量限度「公衆、年間1ミリSv」を勧告した。チェルノブイリ事故をはさんだその翌年の1987年、「イギリス放射線防護庁」(NRPB)は線量限度暫定指針「年間0.5ミリ㏜」を提起した。さらにその23年後、「欧州放射線防護委員会}(ECRR)2010年勧告において、人類史上最終的ともいえる被曝線量限度「公衆、年間0.1ミリSv」を世界に向けて発信したのである。
このように人類は放射線による災害・傷害を被りながらも、医学、病理学、疫学、統計学、調査、その他人体実験や動物実験をふくめた膨大な研究を重ねて放射線被曝の実態に迫り、被曝防護の核心=被曝線量限度の極小化に至った。その結果、人工放射線の被曝線量限度「年間1ミリ㏜」、さらに「年間0.5ミリ㏜」を経て、最後に「年間0.1ミリ㏜」という低レベルの線量限度を勧告することになった。以下は、人類がたどった被曝防護史の概括である。
7 被曝防護の概歴
被曝線量限度の設定をめぐる変遷の歴史は、あらためてその虚実が織りなす歴史経過を映し出す。その歴史の歩みと到達点が、「100ミリ㏜以下無害説」の虚構をあぶり出してくれる。
1. 1928年:「国際X線およびラジウム防護委員会」(IXRPC)創設。【線量制限の一般原則(以下原則)→制限労働時間以内】
2. IXRPC1934年勧告:作業者「耐容線量」1日当たり2ミリSv、1日7時間、週5日労働、フル稼働で年間50週、年間約500ミリSv。これが出発点。【原則→耐用線量より低く】
3. IXRPC1935年勧告:1年後、1日当たり1ミリSv、年間約250ミリSv。
4. 1950年:15年後、IXRPCは「国際放射線防護委員会」(ICRP)へ改称(再建)。作業者「最大許容線量」年間150ミリSv、「周辺人「、年間5ミリSv。【原則→可能な最低レベルまで】(as the lowest possible level)
5. 1952年:ICRP会議における非公式合意事項、一般公衆「最大許容線量」30年間100ミリSv(年間3.3ミリSv)。その年ICRPイギリス代表は自然放射線量と同じ年間被曝線量限度を提案(30年間30ミリSv、年間1ミリSv)、だが、ICRP不採用。
6. ICRP1958年勧告:作業者年間50ミリSv、「公衆の最大許容線量」は、年間5ミリSv(作業者の10分の1)。【原則→実行可能な限り低く】ALAP原則 (as low as practicable)。
7. ICRP1965年勧告:【原則→経済的・社会的な考慮を計算に入れて、すべての線量を、容易に達成しうる限り低く保つ】ALARA原則(as low as readily achievable)。
8. ICRP1973年勧告:原発時代本格化。【原則→経済・社会的要因を考慮して合理的に達成できる限り低く】ALARA原則(as low as reasonably achievable)。「コスト-ベネフィット論」(費用と便益論)の本格導入。生命の値段=10万~100万ドルを議論!
9. CRP1977年勧告:許容線量に代えて「実効線量当量」(臓器別総線量)導入、被曝線量評価の見直しに着手。「科学的」から「経済的、社会的」へと転換。公衆「年間5ミリSv」。新たに「しきい値なし直線仮説」を採用。LNT仮説:「被曝の影響には、これといったしきい値(閾値)がなく、リスクは被曝線量に比例して発生する」。
10. ICRP1985年:パリ声明(チェルノブイリ事故前年)、世界初の実効線量限度「年間1リSv」を勧告、現在に至る。
11. 1987年「イギリス放射線防護庁」(NRPB):線量限度暫定指針「年間0.5ミリ㏜」を勧告
12. ICRP1990年勧告:「被曝線量限度」公衆年間1ミリSv。作業者年間20ミリSv。
13. ICRP2007年勧告:「計画被曝状況」(平常時)、「現存被曝状況」(復旧時)、「緊急時被曝状況」(緊急時)などの参考レベルを追加。パリ声明(年間1ミリ㏜論)の骨抜き(後述)。
14. 2010年「欧州放射線リスク委員会」(ECRR)勧告:人工放射線による被曝線量限度「年間0.1ミリSv」人類史上初の快挙。
8 見落とせない問題点
上記(12)にあるが、ICRP「2007年勧告」では、明確な根拠も示さないで次のような4つの「参考レベル」(被曝線量限度区分)を勧告した。この追加条項は「年間1ミリ㏜論」瓦解の第一歩である。
1.「計画被ばく状況」公衆、年間1ミリSvの平常時参考レベル。
2.「現存被ばく状況」公衆年間1~20ミリSv(自然要因や事故などの影響による
3.「高線量の復興時参考レベル」。ICRPはこの線量を「高レベル」と規定)。「緊急時被ばく状況」公衆年間20~100ミリSv(緊急時の最大残存線量の参考レベル)。
4.「職業被ばく状況」年間20ミリSvの参考レベル。
この参考レベル設定は、1977年勧告に次ぐ大転換であった。ICRPは被曝線量限度としていったん「公衆、年間1m㏜」を勧告しておきながら、22年後になって、その勧告の骨抜きにするために、この「状況区分(希釈剤)を持ち出した。
早速、福島事故に直面した日本政府・自治体は避難指示基準として、この上記②の参考レベル「公衆、年間1~20ミリSv」の中の、最大値「20ミリ㏜」をそのまま適用することにした。その結果、線量限度の上限値は実質的に「年間20ミリ㏜」に引き上げられ、線量限度「年間1ミリ㏜論」は被曝現場においては、実質的に破棄さされることになった。
この被曝防護原則の変質は、中立機関を擬した過去の権威を逆手にして、行政のご都合主義的な政策遂行にお墨付きを与えることである。そのことによって、自らも行政組織の一翼と化した。その結果、住民に対する高線量被曝の強制となった。
9 被曝住民の線量限度は作業者並み、「管理区域」の4倍
ICRPが参考レベルとした、住民に対する「現存被ばく状況」の適用は、なんと作業者の線量限度「年間20m㏜」(毎時2.3マイクロシーベルト)と全く同じであるから驚くほかはない。これは公衆(住民)と原発作業者を同列に扱うという許し難い暴挙である。
さらに、この線量率「年間20ミリ㏜」は、日本の法律で定めている研究施設、医療施設に適用される「放射線管理区域」の線量限度「3ヶ月、1.3ミリ㏜」(年間約5ミリ㏜)の4倍相当である。この管理区域内には、18歳以下は立ち入り禁止、飲食禁止、区域外に出る際はシャワーが義務づけられ、使用器具も持ち出し禁止とされている。その4倍の線量率を住民に押し付けることを、ICRP勧告の名において正当化している。
このようなICRP2007年勧告の大きな変質の背景には、「コスト-ベネフィット論」(経済性を重視し、被曝被害軽視へと傾斜)がある。この本音を偽装するためにひねり出した理屈が「ALARA原則」(as low as reasonably allowable)である。これを要約すると、被曝線量限度設定は<合理的に実現可能な範囲で可能な限り低くすること>としている。その線量設定では「正当化」「最適化」の論理を本音で表現している。参考までにその傲慢な理屈を抜粋しよう。「正当化」の根拠は、被曝防護がもたらす「害」よりも運転「便益」優先を明記している。
(1)正当化:「線量を低減するためにとられる いかなる決定も,常に何らかの不利益を持ち、それが害よりも便益を多くもたらすべきである という意味において正当化されるべきである。」
(2)最適化:「経済的及び社会的要因を考慮し、‥‥線量の大きさのいずれをも合理的に達成できる限り低く抑えるための線源関連のプロセス(引用者注:被曝防護措置)である。」(日本アイソトープ協会訳、注14)。
この正当化、最適化論理の意図は明白である。要するに、利益増大につながらない安全支出は不合理だという便益主義である。この原発推進のALARA原則を原発事故災害に適用するとどうなるか。極論すれば、すでに起こってしまった事故の被害補償は損失しかもたらさないから、不合理なものと扱割れてしまう。
意訳すればこうなる。<住民の被曝線量限度を年1ミリSv程度に保つには膨大な経費がかかる。このような被曝防護策は、経済的にも社会的にも合理的とはいえない。それは原発から得られる経済的便益を上回り、原発を存立させる根拠を弱めることになる。だから、そのような無理な線量規制は不利益をもたらす。政府は、原発推進・維持可能な便益の範囲内で、住民に被曝を泣き寝入りさせ、受忍させてもよい>ということになる。
このICRP2007年勧告を厳しく批判しているのが、その勧告の3年後に出されたECRR2010年勧告である。原発産業優先のご都合主義や経済的合理主義は人道に反する。あくまでも被曝防護の基本原則は住民の健康を守ることであるという立場である。
以上のような歴史経緯をたどってみると、読売新聞「社説」「100m㏜以下無害説」は、どうみても有害無益といわざるを得ない。おまけに、同じ「社説」では「100ミリSvの呪縛論」などという悪質きわまる主張を展開して、原発推進メディアとしての本性を露わにした。これは既述したように、低線量被曝論を葬り去り、世界の不動の定説となっている「しきい値なし直線仮説」(被曝影響にはしきい値はなく、被曝線量に直線的に比例する。LNT仮説)をも真っ向から否定する悪質な暴論である。
別稿(下)では、実態構造の実態をさらに掘り下げ、高い線量限度基準の設定がもたらす〈危険の度合い〉を具体的な数字によって検証することにする。
補足1 予断を許さない被曝の現状
放射性セシウム134の半減期は2年であり、事故6年後のいまでは10分の1程度に減衰していることになる。だが、セシウム137の半減期は30年という長期間であり、現時点でも90%程度が残っていることになる。事故直後のこの2つの核種の線量割合はほぼ<1対1>で存在していたから、計算上の放射性セシウム総線量は半減したことになる。今後は半減期30年のセシウム137が主たる放射能源になり、緩慢に減衰する。楽観論は許されない。
補足2 累積被曝はいまも進行中
福島事故現場から250㎞の首都圏でも、例外的に高い線量濃度を測定している。たとえば、福島事故から6年過ぎた2017年5月11日公表された「汚染土壌の線量濃度」(横須賀市)の測定記録がある。これは神奈川県横須賀市内小中学校敷地内に仮埋設した高濃度汚染土壌の移管に際して、今回初めて市当局が測定した線源濃度(ベクレル)の記録である(注15)。それによると、小中学校43校中8校(19%)の平均線量濃度は7300Bq/㎏(ある1校は1万6000Bq/㎏)であり、そのうち放射性セシウム134(半減期2年)は、総線量の15%であった。計算上、放射性セシウム134の事故直後(6年前)の線量は、半減期2年の3回分にさかのぼるから8倍(2×2×2)の濃度をもっていたことになる。だが、今回公表された数字から類推すると、横須賀市内学校の汚染土壌の事故当時の線量濃度は、上位校では軒並み2万1900Bq/㎏(7300×3)である。また、2つの放射性セシウムは同等比であるから、総線量濃度は4万3800㏃/Kg(2倍)となる。これは国が管理責任をもつ「8000Bq/㎏の5.4倍に相当する。なお、米軍資料(注16)によると、横須賀市内で実測された福島事故直後(2011年4月10日時点)の放射性セシウム線量濃度は、2~3桁内にとどまっている。このことから、放射性セシウムを大量に浴びた時期は同年4月10日(事故2ヶ月)以後と思われる。横須賀市校内で検出された埋設土壌汚染は、首都圏の高濃度汚染(ホットスポット)の汚染土壌放置地域にも、そのまま当てはまる。このことは汚染地全域において、いまも累積被曝が進行していることを示唆している。広範囲の厳密な測定が必要である。
参考文献(注)
(1) 原子力安全委員会「事務局追記」2011/10/26。 (http//ww.nsr.go.jp/archive/nsc/info.bougokijun.pdf)
(2) 『科学』85巻 No.9、津田敏秀(2015)。
(3) 広島国際会議、今中哲二(2013年10月3日)。
(4) 引用:今中哲二「“100ミリシーべルト以下は影響ない”は原子力村の新たな神話か?」
『科学』2011年11月、81巻、 No.11)。
(5) 「放射線被ばくを学習する会」有志は読売新聞「社説」に対する公開質問状を2度にわたって提出したがいずれも未回答。
質問詳細: http://anti-hibaku.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-c8b4.html
賛同申込: anti-hibaku@ab.auone-net.jp
(6) 年間8760時間、1ミリ㏜の1000分の1が、1マイクロシーベルトである。このことから、年間ミリSvを毎時マイクロSvに換算するときは〈÷8.76〉、その逆は〈×8.76〉とすればよい。
(7) ヤブロコフ、ネステレンコ他編著、『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』、岩波書店、2013年。
(8) 小笹晃太朗放影研疫学部長「広島・長崎における原爆被爆者の疫学調査」表1、特集「放射線と健康」。なお。広島・長崎の被曝線量(遮蔽なし)は、最初の統計に比べて、最終的には中性子線量10分の1減、ガンマー線量2倍増。
補記:放射線や熱線による即死またはそれに近い状態の距離別死亡率は、同年11月調べで、0.5㎞以内は90%、0.5~1㎞以内は80%、1~1.5㎞以内50%)。出典:『原爆災害』広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会編第11章、p.263、岩波書店
(9)今中哲二論文、引用:前出、岩波『科学』、2011年11月号、1152
(10)中川保雄著、増補『放射線被曝の歴史』明石書店、2011年。
(11) 数字比較、蔵田計成「チェルノブイリ事故30年目の真実と福島事故」、月刊『情況』2016年4/5月号。
(12) 引用:『再刊 チェルノブイリを見つめなおす』今中哲二・原子力資料情報室、2011年9月
(13) コリン・コバヤシ著『国際原子力ロビーの犯罪』に詳しい、以文社、2013年。
(14)「ICRP2007年勧告」(日本アイソトープ協会編)正当化、5-7、防護の最適化5-8、 p.51。
(15) 横須賀市ホームページ、報道発表一覧、2018年5月11日、配布資料、
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/8140/nagekomi/documents/ichiran.pdf
(16) 米軍発表資料 http://pfx225.blog46.fc2.com/blog-category-12.html
2017年8月14日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion6870:170817〕
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