本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(165)
- 2017年 8月 19日
- 評論・紹介・意見
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ニュートンの閃き
「万有引力の法則」を発見した「アイザック・ニュートン」は、「リンゴが木から落ちる様子を見たことが、発見のきっかけだった」と伝えられているが、この点については、より詳しい解説が必要なようである。具体的には、「時代的な背景」と「ニュートンの思考方法」のことだが、実際には、「熟慮にふけっていたニュートンが、ある日、リンゴが木から落ちるのを見た時に、重力の概念に気が付いた」という点に、より詳しい解説が付け加えられているのである。
具体的には、「なぜ、リンゴは、垂直に地面に落ちるのだろうか?」、あるいは、「なぜ、上や横に落ちずに、常に、地球の中心に向かって落ちるのだろうか?」という「率直な疑問」を持ち続けていた時に、「瞬間的な閃き」が訪れ、結果として、「万有引力の法則」を発見した可能性のことである。また、「時代的な背景」としては、当時が、「自然科学の黎明期」であり、実際には、それまでに、「コペルニクスの地動説」や「ケプラーの法則」などが発見されていた状況だったのである。
つまり、「宇宙のメカニズム」や「天体の軌道サイクル」などが、徐々に、理解され始めた段階において、「偉大な発見」がなされ、その後の世界的な「技術発展の基礎」を築いたとも言われている。このように、「大自然の仕組み」を解明する学問である「自然科学」においては、すでに、「純粋な疑問」を持ち、「素直な目」で大自然の姿を観察することが、「学問」に向かう「当然の態度」に変化したようだが、問題は、「人間の行動」を解明する「社会科学」において、いまだに、かつての「天動説」や「地球平面説」のような「古典的理論」、あるいは、「誤った理論」を信奉する人が、数多く存在することだと考えている。
具体的には、「お金の謎」がいまだに解明されず、また、「時間のサイクル」が無視されるとともに、「心の謎」については、全く考えようともしない態度のことだが、興味深い点は、やはり、「時代的な背景」であり、実際には、「マルクスの資本論」や「ケインズの貨幣論」、あるいは、「村山節氏の文明法則史学」などのように、「新たな理論」が産み出される準備が整った段階のようにも感じられるのである。
つまり、現在が、「社会科学の黎明期」であり、今後は、「飛躍的な発展期」が訪れる可能性のことだが、この時に重要な態度は、「ニュートン」と同様に、「日常におきることを観察し、そこから理論の着想を得ること」でもあるようだ。別の言葉では、既存の「誤った理論」に固執せず、純粋に、「天地自然の理」を考えることである。(2017.7.24)
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一日生涯、永遠の生命
先日、「インド独立の父」と呼ばれる「マハトマ・ガンジー」の言葉に、大きな感銘を受けたが、具体的には、「明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい」というものだった。つまり、「肉体」と「魂(精神)」に対して、「我々が、どのように考え、また、対処すべきか?」を、きわめて適切に説明しているようにも感じられたのである。別の言葉では、今まで、私が漠然と理解していた「一日生涯、永遠の生命」について、より易しく説明されているようにも思われたが、実際には、「肉体は必ず滅びるものの、精神や魂は輪廻転生を繰り返して、永遠に生き続け、また、成長し続ける」という「真理」を表しているようにも思われたのである。
先日、「インド独立の父」と呼ばれる「マハトマ・ガンジー」の言葉に、大きな感銘を受けたが、具体的には、「明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい」というものだった。つまり、「肉体」と「魂(精神)」に対して、「我々が、どのように考え、また、対処すべきか?」を、きわめて適切に説明しているようにも感じられたのである。別の言葉では、今まで、私が漠然と理解していた「一日生涯、永遠の生命」について、より易しく説明されているようにも思われたが、実際には、「肉体は必ず滅びるものの、精神や魂は輪廻転生を繰り返して、永遠に生き続け、また、成長し続ける」という「真理」を表しているようにも思われたのである。
別の言葉では、すでに「目に見えない、単なる数字」に変化した「現代の通貨」に惑わされ、本来の「使命」、あるいは、「人生の目的」とも言える「精神的な成長」については、ほとんど無視された状況のことである。しかし、前述の「ガンジーの言葉」のように、「肉体は、必ず滅ぶが、精神は永遠に生き続ける」という真理が理解できると、人々の「意識」や「行動」が、大きく変化する可能性も予想されるようである。
具体的には、「一所懸命」という言葉のとおりに「日々の仕事に、全身全霊を打ち込む態度」であり、また、「自分に与えられた仕事は、お金を稼ぐためのものだけではなく、本来は、自分の精神を成長させるためのものである」という「認識」への変化である。また、「他の人に喜んでもらえる仕事をすれば、更に、仕事が増える」という「世間の常識」を理解することでもあるが、歴史を振り返ると、「明治以降の日本人」、あるいは、「戦後の日本人」には、当たり前の考え方でもあったようである。
しかし、問題は、現在の教育であり、実際には、「学校の成績さえ良ければ、人生は安泰である」という「誤った認識」、あるいは、「知識偏重主義」のことだが、実際のところ、本当に人生に役立つことは、「経験」から発生する「智慧」とも考えられるのである。
(2017.7.24)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6876:170819〕
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