『ロシア革命とソ連』第1巻『世界戦争から革命へ』(岩波、2017)所収の鈴木義一論文「社会刷新の思想としての計画化」への疑問
- 2017年 8月 26日
- スタディルーム
- 岩田昌征
池田嘉郎が責任編集した『ロシア革命とソ連 1 世界戦争から革命へ』を入手し一読した。池田は、本巻の「総説 ロシア革命とは何だったのか」で歴史家の常識、すなわち「結局のところ、歴史家にとっての現在の関心から過去を再発見するという、歴史研究の本質」(p.2)に肯定的に言及している。しかしながら、過去のある部分の「再発見」が過去の別の部分の忘却に直通してもよい事にはならないだろう、と私=岩田は思った。
一例として、本巻所収の鈴木義一論文「社会刷新の思想としての計画化――ロシアにおけるその形成過程と思想的源流」の「三 ソヴィエト・ロシアにける計画化論の形成」を挙げておく。
鈴木は、この論文において計画化論を第一次大戦中・臨時政府期、そしてボリシェヴィキ革命・社会主義国家出現以降にわけて、市場志向の計画化論と反市場の集権的計画化論の代表的論者の意見を紹介する。
臨時政府期における市場志向の分権的計画化論者としてミハイル・ボゴレポフが、そして反市場の計画化論者としてウラジーミル・グローマンが代表的人物として挙げられている。
私の手元に『ソ連邦国民経済 文献・書籍解題索引 1917-1920年』(露語、ナウカ出版、モスクワ、1967年)がある。ソ連科学アカデミーの編集による。全618ページ、9311点の書物・論文等が提示されている。経済史が中心であって、政治経済学、統計学、経済地理、そして外国経済論は除外されている(p.3)。また、「ブルジョア的」立場の諸文献も「相当に選択的であるが、収録されている。但し、多くは然るべき注を付けてある。」(pp.4-5)
ミハイル・ボゴレポフを『解題索引 1917-1920年』で調べて見ると、7938、7939、7940の項が出てくる。7939の項の注で「運輸建設について」とあるだけで、鈴木論文におけるように「市場志向」かどうかはメンションされていない。もしかしたら、同姓同名の異人物かも知れない。
それに対して、ウラジーミル・グローマンは、1070、1758、3651、4940、4941、8869の諸文献の筆者であり、1070に「ブルジョア的観点の擁護」、1758に「BCHXの構造と活動へのブルジョア的批判」、8869に「ソヴィエト税法批判」と注釈が付けられている。上記の資料は臨時政府期ではないが、これらによると、グローマンは、「反市場の計画論」から短期間で離れたのであろうか。
鈴木は、1921年2月に創設されたゴスプランを要に計画化問題を論述する時に、「バザーロフとコンドラーチェフの二人に焦点を当てて、計画化の基本理念を検討しよう。」と意図的に選択する。鈴木が本巻の本論文でコンドラーチェフとバザーロフについて論述している内容自体について異論を提起するつもりは、私=岩田にあるわけではない。そうではなくて、本巻を第1巻とするシリーズ全5巻を貫通する大テーマ「ロシア革命とソ連の世紀」とコンドラーチェフとバザーロフによる市場経済を前提にする計画化論への視点集中とが矛盾するのではないか、と言う疑問が禁じ得ない。
1991年末に崩壊するまで、ソ連経済を良くも悪しくも回転させて来た経済システムは、あくまで集権制計画経済であった。「ソ連の世紀」の経済システムの形成、展開、そして崩壊を分析・解明するに際して、コンドラーチェフ、バザーロフ、そしてボリス・ブルツクス(1922年に亡命)は、あくまで補助線であって、本線ではない。
例えば、エス・ゲー・ストルミリンの名前が全く登場していない。ストルミリンは、1877年に生まれ、1974年に死んでいる。まさしく、1920年代は働き盛りであり、ソ連計画経済の形成と諸論敵との論争とに全力を傾けた人物である。私の手元にストルミリン著『計画戦線にて 1920-30年』(露語、政治文献国家出版、1958年、モスクワ)がある。大学3年の終わり頃、1962年2月1日に東京神保町のナウカ書店で540円で買った専門書だ。全623ページある。全18章である。大学4年の時、露日辞典を引き引き、第1章「食糧徴発から食糧税へ」、第3章「〈鋏状価格差〉の諸問題」、第18章「資本支出の効率性の諸問題」を読んで、400字詰めで50枚にみたない、つたないレポートをどうにか作成して、卒業論文として提出できて、ほっとした想い出がある。それはともかく、今パラパラとページをめくっても、ストルミリンは、鈴木が論文の中で登場させたすべての論者達と論争している事がわかる。
更にもう一冊、『ソ連経済の諸問題 アカデミー会員エス・ゲー・ストルミリンの85歳記念によせて』(露語、ソ連科学アカデミー出版、モスクワ、1962年)がある。同じく、アカデミー会員のネムチノフが編集し、第1章「ストルミリンの諸数値モデル」を書き、ストルミリンによる①集計的数値モデル、②生労働効率性数値モデル ③国民教育効率性の数値モデル、④新技術投資効率モデル、⑤差額地代形成モデル、⑥人口動態モデル、を分析している。
かかるストルミリンは、『計画戦線にて』の第13章に1927年の大論文「ソ連工業化とナロードニキ主義のエピゴーネン達」(pp.308-366)を収録して、1958年(?)時点で一言コメントしている。「私がこの論文を書いた1927年には、ソ連社会でコンドラーチェフ学派は、非常なる重みと権威を享受していた。」(p.366)
以上のように見て来ると、ソ連崩壊後4半世紀の今日、社会刷新の思想としての計画化を議論するにあたって、1930年代初に粛清され、歴史舞台から退場した論者達だけを取り上げ、1990年代に信用を失った論者達を全く無視するのは、いかなる学問的根拠があるのだろうか。
池田が新書『ロシア革命』で説いた「ロシア革命で滅びたものについても考えてみるべきではないのだろうか。」が強力に効きすぎたのか。もじって言えば、1991年ソ連崩壊で滅びたものについても考えてみるべきではないだろうか。
平成29年8月24日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study883:170826〕
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