ファシズムは死語になったのか(6) ―それは何色の服を着てくるのか―
- 2017年 9月 1日
- 時代をみる
- ファシズム半澤健市歴史
関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式は、毎年9月1日に墨田区の都立横網町公園で行われる。小池百合子都知事は、今年からその式典への追悼文の送付をやめた(『東京新聞』、2017年8月24日)。
《歴史をゆがめるのはだれか》
石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池(昨年)の各氏も、してきたことをやめるのである。都側は、9月1日と3月10日(東京大空襲)の大法要に知事が出席しているから追悼文は不要だと答えている。今年3月の都議会で自民党議員が、朝鮮人「六千余名、虐殺」の根拠は不明として「知事が歴史をゆがめる行為に加担する行為になりかねず、追悼の辞の発信を再考すべき」と問うたのに対し、小池知事は「毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答えた。都側もこの質疑が方針見直しにつながったと認めている。追悼文送付停止が「適切」と知事は判断したのであろう。
当時朝鮮人留学生の調査結果を上海の「大韓民国臨時政府」の機関紙「独立新聞」が載せた。東京新聞は、そこにある「六千六百六十一人」が根拠とされたとみている。
私は図書館で、『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』(みすず書房・1963年)という646頁の大冊を手にとってみた。政府、警察、民間、滞日外国人らによる、膨大な資料が集積されている。数時間の拾い読みで「六千余名、虐殺」は明確だと私は断定できない。しかし印象は、実際は遠からぬ数字だろうというものである。
《吉野作造という民本主義者》
『現代史資料』で目にとまったのは吉野作造の論考である。
大正デモクラシーの旗手だった東京帝大法学部教授の吉野は、朝鮮人虐殺に関して三つの文章を書いた。「労働運動者及社会主義者圧迫事件」、「朝鮮人虐殺事件」、「朝鮮人虐殺事件に就いて」である。
最初の二つは、改造社の「大正大震災誌」寄稿用に、東大新人会出身の社会主義者で娘婿の赤松克麿に調べさせたものである。前者「労働運動者及社会主義者圧迫事件」は、震災の混乱時に、労働者や社会運動家が不法行為の容疑、あるいは理由もなく検束された際に、弁護士に取り調べの実態を語った記録である(■から■)。
拷問の様子が生々しい。
■「此の時、私は目もくらみ、人の顔は判らず、唯だ言葉だけを記憶しております。正気づいた時には、井戸のポンプの音が先ず耳に入り、気がつくと、水をかけられて居りました」(藤沼栄四郎・鋳物工・43才)
「私が労働組合に加盟して居て、メーデや失業者防止運動や過激法案反対運動に参加したことを述べ、(略)樫の棒で、肩頸の辺を所嫌わず撲りつけました。蜂巣賀(特高)はビンタを張り靴で蹴るなどしました。私は目はくらみ、耳は遠くなり苦痛に堪え難くして遂に昏倒しました」(南厳・旋盤工・22才)■
《大正デモクラットの強さ》
二番目の「朝鮮人虐殺事件」は、メディア報道、官憲の通牒、帝国議会の質疑などの吉野自身による紹介である。なかで特記すべきは「朝鮮罹災同胞慰問班」という組織から得た資料の内容である。東京近郊、関東・長野の各地での虐殺犠牲者の数が克明に記録されている。震災後二ヶ月の10月末までで、その数は2613人に達している。上記二つの文章は吉野にも「公開」は不可能であった。ファシズムの時代の入り口にいたからである。表現の自由が息絶えようとしていたからである。
しかし、最後の一つだけが「朝鮮人虐殺事件に就いて」と題して、『中央公論』(1923年11月号)に掲載された。吉野は「親交ある一朝鮮人より聞いた」という話法で、震災時の流言飛語の発生、それを信じた自警団による朝鮮人虐殺、説明なしに検挙され何日も拘留された朝鮮人、について述べている。さすがに「特高」(特別高等警察)の拷問については書けなかった。しかし朝鮮人への謝罪と反省の必要を語っている。この文章から一節を掲げる(■から■、「/」は中略を示す)。「根本問題に就いて考えさせられる」を私は植民地支配への批判と読んだ。
■我々は平素朝鮮人を弟分だといふ。お互に相助けて東洋文化開発の為めに尽さうではないかといふ。然るに一朝の流言に惑ふて無害の弟分に浴せる暴虐なる民族的憎悪を以てするは、言語道断の一大恥辱ではないか。併し乍ら顧ればこれ皆在来の教育の罪だ。
/もう一つ考へて置きたい事は、仮令下級官憲の裏書があったとは云へ、何故にかく国民が流言を盲信し且つ昂奮したかといふ点である。/鮮人暴行の流言が伝つて、国民が直にこれを信じたに就いては、朝鮮統治の失敗、之に伴ふ鮮人の不満と云ふやうなことが一種の潜在的確信となって、国民心裡の何所かに地歩を占めて居つたのではなかろうか。果して然らば、今度の事件に刺戟されて、我々はまた朝鮮統治といふ根本問題に就いて考へさせられる事になる。■
《尺取り虫のように歩いてくる》
話は戻って小池百合子知事である。彼女が顧問をつとめる「都民ファーストの会」都議は、メディアの個別取材を受け付けず、全員宛のメディア・アンケートには同文の回答が出てくるという。敏捷な機会主義者に率いられ、個人の意見が封殺された政治家集団が都議会の真ん中に座っている。しかも緑色の好きな女性は、「国民ファーストの会」を、つまり総理大臣になるのを、ゴールにしているらしい。人々にとっての警戒警報の段階は過ぎているのだ。
兵庫県の進学校では、「従軍慰安婦」記載の多い中学校教科書―勿論文科省検定済み―を採用して批判を浴びている。権力は尺取り虫のように出口を塞いでくる。これがファシズムだと判ったときはもう遅い。(2017/08/25)
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