最後に笑うやつは誰だ? バルセロナの「テロ政治」(その3)
- 2017年 9月 8日
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バルセロナの童子丸開です。
8月17日にカタルーニャで起こったテロ攻撃に関する記事の第3回をお送りしますが、今回がとりあえずの最終回、総まとめになると思います。ちょっと長い複雑な文章になってしまいましたが、お時間の取れますときにごゆっくりとお読み下さい。
次回に何かお知らせのある場合には、きっとカタルーニャ独立運動の顛末についてのことになると思われます。
よろしくお願いします。
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http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-3/Barcelona-Terror_and_politics-3.html
最後に笑うやつは誰だ?
バルセロナの「テロ政治」(その3)
奇妙に思われるかもしれないが、いまスペインはバルセロナのテロ攻撃を「もう済んだこと」として忘れ去っているように思える。カタルーニャ独立の内政問題にあらゆるメディアと政治的な機関・集団が集中して、「イスラム聖戦テロ」というれっきとした「外敵の攻撃」は意識の外に放り出された感がある。もうこの国は独立国家としての機能を失っているのだろう。そんなことすら思えるほどだ。
バルセロナで見え隠れする「テロの政治利用」に関する記事は今回でひとまず終了したいが、この8月17日と18日で亡くなった人々の遺族と重軽傷を負った130人を超える人々の苦しみは、決して消えることがないだろう。無念の思いを、ここにしたためておきたい。
2017年9月6日 バルセロナにて 童子丸開
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《「CIAからの警告」の怪》
《州政府はテロを予測していた?》
《見え隠れするアメリカとEUの姿》
《テロの背後のあまりにも深い闇》
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《「CIAからの警告」の怪》
2017年8月17日、バルセロナでのテロが起きて何時間もたたないうちに、日刊紙エル・ペリオディコ・デ・カタルーニャ(電子版)が次のような驚くべき見出しの記事を公表した。「CIAは2か月前にバルセロナでのテロ攻撃の危険性を州警察に警告した」である。同記事では特にランブラス通りが狙われる危険性が指摘されたと書いているが、この段階ではまだその情報についての詳しい言及はない。エル・ペリオディコ紙は、紙版、電子版とも、カタルーニャで最も読まれている新聞の一つであり、自分の首を絞めるような危険なガゼネタを不注意に流すとは考えにくい。しかしこのニュースはいくつかの小さな情報誌を除いて他の大手紙からほとんど無視された。
ところが、同紙は電子版(8月30日夜)と紙版(8月31日付)で次のような大見出しの記事を掲げた。「州警察は5月25日に、バルセロナでのテロ攻撃に関するCIAからの警告を受け取った」。そしてこの記事がスペイン中を上へ下への大騒動にしてしまったのである。
この記事の中で、エル・ペリオディコ紙は英文で書かれた次のような資料(機密文書とされている)を掲げた。
【写真:http://estaticos.elperiodico.com/resources/jpg/8/5/1504129055858.jpg】
同紙によると、これが「CIAから州警察に送られてきた」そうだ。確かに、“to the Mossos on 25 May 2017”と書かれており、「ISISがバルセロナの人通りの多い観光地、特にランブラス通りに対して、この夏の間に何らかのテロ攻撃を仕掛ける計画を立てており、…」と書かれている。だが差出人は分からない。カタルーニャ州政府は即座にこのような文書が送り届けられたことを強く否定し、CIAのような外国の国家機関から州警察に直接にこのような文書が送られるわけは無い、その文書は偽物だと、エル・ペリオディコ紙を激しく非難した。ただしその際に、カタルーニャ州内務委員長ジュアキム・フォルンは「そりゃあ、本当にCIAのような機関が我々に直接に連絡してくれたとしたら嬉しいことなんだがね。」と本音を漏らした。
この記事が電子版に登場して数時間後、Wikileaksがツイッターで「この文書は極めて疑わしい」と述べ、代表者のジュリアン・アサンジ氏もツイッターで「これは大衆を誤誘導するものであり、エル・ペリオディコの編集長は辞任すべきだ」と非難した。そしてアサンジ氏はこの文章にある致命的な誤りを指摘した。たとえば、人の言葉などを引用する際に英語では「“ ”」の引用符を用いるが、この文書では「《 》」というスペイン語で使用される記号が使われている。また「notice」となるべきところが同じ意味の「nota」というスペイン語になっている。さらに、英語では必ず「Iraq」と綴るところを「Irak」というスペイン語での綴りになっている。要するに、この文書はスペイン人が英語をまねて作ったでっち上げの可能性が高い、ということである。
私は首をかしげた。確かにアサンジ氏が指摘するようにこの文書は信用のおけないものである。しかし、「機密文書」をでっち上げる者がここまで露骨な誰にでも見破られるような「スペイン語化」をするだろうか? まあ、しかし、これでこの文書が偽物であることがはっきりしたし、エル・ペリオディコ紙の信用が地に落ちて、それで一件落着・・・、と誰でもが思った後で、とんでもない展開が待っていたのである。
エル・ペリオディコ紙は8月31日中に立て続けに「米国、州警察に警告を発したことを明らかに」、「これが、米国が州警察にランブラスの襲撃を警告したことを明らかにする覚書だ」という大見出しの記事を電子版で(紙版では翌日)公表した。下に同紙が明らかにした「米合衆国の諜報機関からスペインCITCO(対テロ・組織犯罪中央情報局)に対して8月21日付で送られてきた覚書」の「オリジナル」を貼り付けておきたい。少々ボケているが、何とか読めそうだ。これはやはり機密文書に分類されている。
【写真:http://estaticos.elperiodico.com/resources/jpg/2/7/1504198845372.jpg】
差出人はこの文面には書かれておらず、宛先はスペインCITCO(対テロ・組織犯罪中央情報局)で、日付は8月21日、バルセロナでのテロの4日後だ。これには「2017年の5月25日に下記の連絡をカタルーニャ州警察(MOSSOS)に送った」とあり、その内容は先ほどの資料にあったものと同じだ。ただし活字の字体が異なっており、また引用符が正しくつかわれ、イラクはちゃんと「Iraq」となっている。ただ「notice」ではなく「nota」が2か所で使用されている。これについてエル・ペリオディコ紙は、たぶん見やすくするためだろうが、この「オリジナル」の文字を打ち直した際に誤りが発生したと説明した。
そしてこの情報が明らかにされた途端に、州政府知事カルラス・プッチダモンと内務委員長ジュアキム・フォルンは前言を翻し、確かにこの文書は受け取った、しかしその情報は信頼に足らないと判断した、と述べた。州警察署長のジュゼップ・リュイス・トラペロは、州警察は非公式の警告をいくらでも受け取っておりいちいち相手にできないと弁明した。それが本当に「非公式」ならその言い訳も通用するだろうが、残念ながらそうではなかったようだ。そして、8月31日から9月2日にかけて、スペイン中がこの話題でハチの巣をつついたような状態になってしまった。
全国紙エル・ムンドはCITCOからの情報を取り上げ、この「オリジナル」はCIAではなくNCTC(National Counterterrorism Center:国家テロ対策センター)からのものだとした。このNCTCはCIAに連なる米国の国家機関で、メンバー的にも機能の面でもCIAと重なっているので「CIAから」と言ってもあながち大間違いではあるまい。エル・ムンド紙の記事はCITCOの情報筋の話として、5月25日に同じ内容の文書がNCTCから国家警察、グアルディアシビル(国内治安隊)、CNI(スペイン中央情報局)とCITCOにも届いており、国家警察は州警察の情報係長マネル・カステイュビーに口頭でテロの危険性を伝えたことを語る。他のメディアも同様に報道し、この「オリジナル」が米国から「公式な機密情報」として送られてきた本物であることを誰も否定できなくなってしまった。
つまりこの米国諜報機関はバルセロナでのテロが起こった後で、「ほら見ろ!だから言ったじゃないか!我々は州政府の方にも事前にちゃんと警告してたんだぞ!」と連絡してきた、というわけだ。・・・さあ、えらいことになった!
何が「えらいこと」かというと、まず、カタルーニャ州政府と州警察がNCTCからの情報を「信頼に足らず」と無視してランブラス通りの警備を怠ったことが疑われる点だ。昨年来の欧州各地のテロを考えれば、少なくともランブラス通りに暴走車が入れないように障害物を置くなどのことはできたはずである。何かの隠された意図があったのでないのなら単なる無能・無責任ということになる。
次に、NCTCが国家警察などの国家機構だけではなくスペインの一地方警察に対して直接に機密文書を送ったことがはっきりした点である。 日本で言うなら、たとえばNCTCが「名古屋市でテロの可能性が高い」という機密情報を、内閣調査室や警察庁だけでなく、愛知県警に対して直接に送ったとすればどうだろう? 普通なら国家機関だけに連絡し、そこから地方機関のほうに選択された必要な連絡がいく、という手順になるはずだ。だから国家警察はちゃんと州警察にテロ情報を伝えたのである。ところが実際には、この米国の国家機関がスペインの地方機関に直接に機密情報を流していた。しかもカタルーニャが独立運動で盛り上がって中央政府がピリピリしているときにである。まさしく「国家の面目丸つぶれ」ということだろう。
さらにもう一つ、こういった国家間の機密情報が、しかもそのオリジナルの文書が、いとも簡単にマスコミに流された点だ。誰が何の目的でエル・ペリオディコ紙に漏らしたのかははっきりしないし同紙も決して明らかにはしないだろう。しかしいずれにしても、政府としてはテロ対策についての国家間の信頼関係と協力体制に重大な影響が出ることに頭を痛めなければなるまい。
こうして、この話題に関しては中央政府も州政府もマスコミも、もはやこれ以上、誰がどのように取り扱っても必ず、自分自身が無傷では済まないことになってしまった。いまのところ、スペイン政府はこのNCTC文書の問題に対して態度をあいまいにしたままで、人々の忘却を待っている様子だ。それよりも、9月3日以降にカタルーニャ州議会で分離独立に関する州法が次々と成立する予定であり、独立へ向けて暴走するカタルーニャをどう叩き潰すのかというテーマこそが重要だという方向に、政府もマスコミも一斉に切り替わっている。
しかし、本当にそれで済むか? この5月25日の米国からの警告以降、独立に向けての動きを強めるカタルーニャ州政府が何をしたのかを振り返ってみることにしたい。
《州政府はテロを予測していた?》
先ほどのNCTCの「テロ警告」が州警察に送りつけられた5月25日からしばらくして、カタルーニャ州政府は内務委員会と州警察を含む州機関で大幅な人事の刷新を行った。まず7月14日に、事実上のナンバー2である州政府広報担当にジョルディ・トゥルイュ、内務委員長にジュアキム・フォルン、教育委員長クララ・ポンサティーを据えたが、どれもみなPDeCAT(カタルーニャ欧州民主党:元のカタルーニャ民主集中、民族主義右派)の党員、筋金入りの独立主義者であり知事プッチダモンに忠誠を誓う者たちである。続いて7月17日、内務委員会の州警察部長にこれまたゴリゴリの独立主義者ペラ・スレー・カンピンスが指名された。前任のアルベール・バッリャが独立に対して「州警察は中立を守る」という態度だったからである。カンピンスは州警察の現場を率いる署長として生粋の民族主義者ジュゼップ・リュイス・トラペロを就けた。州警察の職員や警官の中に独立に対する反発や疑問が渦巻いていたのを引き締めて州政府に忠誠を誓わせるためだ。
このいきなりの組織改編はカタルーニャ内だけではなくスペイン中を驚かせた。10月1日の「住民投票」を無理矢理に実行してカタルーニャ州政府が一方的に「独立」を宣言すれば、カタルーニャは事実上の「二重権力」の状態に放り込まれる。それ以前でもマドリードの中央政府が警察力を使って独立への動きを阻止する可能性がある。その際に州警察は州政府に忠誠を誓い、国家警察やグアルディアシビルに対抗して州政府を守ることが期待されている・・・、ということになるだろう。
そして8月17日のテロ事件では、『バルセロナの「テロ政治」(第1回)』中の『《躍り出たヒーロー:モッスス・ダスクアルダ(カタルーニャ州警察)》』でも述べたように、州警察はあたかも独立した国の国家警察ででもあるかのように捜査を取り仕切った。事件後の8月22日に州内務委員長のジュアキム・フォルンはラジオ局Rac1のインタビューの中で、「モッスス(州警察)が世界中のどの国の警察とも比較できる第一級の警察であることが明らかにされた」と語ったのである。この州警察の動きには、国家警察やグアルディアシビルの担当者からだけではなくスペイン軍の上層部からも批判が出ており、州警察ではなくグアルディアシビルに捜査を任せるべきだという意見が幹部から出た。
また数年前から独立派の中で「カタルーニャ軍」を創設するという動きが出ていたが、以前は州警察は「トイザラスで軍艦でも買うのかい?」とその計画を嘲笑っていた。しかし今回のテロの後、州警察署長トラペロの隣に立った州知事プッチダモンは、テロのような世界的な脅威と戦うために(独立後の)カタルーニャ共和国は軍を配備すると言っている。もはや州警察の中でそれを嘲笑うことは許されまい。州政府は今回のテロを利用して、独自の警察機構と軍という独立国の安全保障のための最も重要な装置を誕生させようとしているようだ。
以前の記事『バルセロナ・テロ:湧き上がる疑問の数々』でも触れたことだが、テロ前日の8月16日以降の3~4日の間に起こったことは疑問だらけだ。まるでこのテロによる政治的空白を予測していたかのように住民投票法案の州議会提出が突然延期された。その夜アルカナーの空き家で爆発が起こった。次の日にランブラス通りでの暴走テロ、その夜中にカンブリルスの暴走が起こった。その後3日のうちにほとんど全てが「解明」された。そして『《「政府・王室吊るし上げデモ」と化した反テロ大デモ》』へとつながる。あのテロの話がマスコミからほとんど聞こえなくなった9月は、一転してカタルーニャとスペインの「政治対決」に全てが集中するだろう。『バルセロナの「テロ政治」(その2)』で書いたように数多くの不可解な点を残したままで・・・。
全てがあまりにもスムーズに進んでいる。特にテロ犯人たちの特定と事件の筋書きの決定の素早さと完璧さは、まるで最初から計画されていたかのようだ。私はこの国の警察が、国家警察でも地方警察でも、いかに荒っぽい割にいい加減なのか知っている。ここまで迅速で見事な捜査を見たのは初めてである。カタルーニャ州警察と州政府は5月に米国諜報部からの警告が届いた後、秘密裏にいくつかの怪しげな集団に目を付けて、事細かに内偵でもしていたのだろうか? それならどうして未然に防がなかったのか?
どうにも割り切れないことばかりだ。まあ、あまり想像を凝らすことはやめにしておくが、このテロ事件の背後には「カタルーニャ独立」の問題に関係する複雑な動きが隠されているような気がする。また、この事件については最初の「CIAの警告」も含めてスペイン1国で済む話ではない。もし州政府と州警察が事前にテロ計画を知っていて意図的に未然に防がなかったか、あるいはもっとなんらかの演出があったとしても、彼らだけでそんな芸当ができるとも思えない。次に事件を巡る動きの国際的な広がりを見てみることにしたい。
《見え隠れするアメリカとEUの姿》
最初に述べたNCTCからの警告文書は、米国国家の諜報機関がカタルーニャ州警察という一地方機関を、あたかも国家機関に準ずるものであるかのように、直接の接触対象としたことを明らかにする。そればかりではない。8月23日付の米国ウォールストリートジャーナル紙は、州警察によるこのテロ事件の捜査について、それが「カタルーニャ州政府にとってマドリードから独立して統治できることを示す機会となった」と論評した。このニュースはスペインではカタルーニャのラ・バンガルディア紙やTV3ニュースなどカタルーニャのメディアは大きく取り上げたが、カタルーニャ以外ではほとんど無視された。
しかしこの記事の内容は、先ほど書いた州内務委員長のジュアキム・フォルンの言葉(8月22日)にほぼ対応する。ウォールストリートジャーナルのような新聞はしばしば、米国の支配階層からの何らかのメッセージを送る手段となっている。先のNCTCからの州警察への直接連絡と考え合わせれば、米国支配層の中にカタルーニャ独立を支持する部分があるのかもしれないし、あってもおかしくない。ニューヨークのロックフェラー・センターには彼らが「カタルーニャ大使館」と呼ぶ場所すらあり、前知事のアルトゥール・マスや前バルセロナ市長のシャビエル・トゥリアスなど独立派のリーダーたちが今までに足しげくニューヨークに出向いている。
ではEUとの関係でいえば何が言えるのだろうか。このテロ事件の2か月前の6月15日のこと、スペイン政府内務省はテロ対策の実力と歴史を誇るバスク州警察(エルツァィンツァ)をEU機関であるユーロポール(欧州刑事警察機構)加入させる、つまり国家警察などと同等に直接の情報連絡網の中に含めることを決定したが、カタルーニャ州警察にはそれを許さなかった。この決定がカタルーニャ州政府を激怒させたことは言うまでもない。そしてその1ヶ月後に先ほど述べた州内務委員会と州警察幹部の一新が行われ、その1ヶ月後にテロ事件が発生した。
事件後の8月21日に政府内相のフアン・イグナシオ・ゾイドは、カタルーニャ州警察に対して9月からはユーロポールからの情報を直接に手に入れることができるようにすると語った。しかしこれは正式な「加入」ということではなくユーロポールと情報交換ができる立場ではない。翌日、州政府はユーロポールへの加入を強く要求したが、EUの方は、この件に関してはスペイン政府にゆだねるとしており、いまのところスペイン政府はカタルーニャ州警察の加入を認めていない。ところが、また驚くべき事実が明らかになった。それは今回のテロ事件の首謀者とされるアブデルバキ・エス・サッティ(44歳、アルカナーの空き家の爆発で死亡)についてである。
このエス・サッティという男は『《不可解な点の多い「犯人像」》』にも書いたように、2014年まで麻薬密輸の罪で刑務所に入っていた。その後、彼が一時期ベルギーにいたことが事件後になって明らかにされた。8月20日付のエル・パイス紙は、ブリュッセルの近郊都市Vilvoorde(フラマン語やフランス語の発音に自信が無いので、以下、原文の綴りで書くことにする)の市長Hans Bonteの話を取り上げた。この小都市にはムスリムのコミュニティーがあるのだが、かつてその一部が聖戦主義者の巣窟になり、2011年から14年までの間に28人の若者が戦士としてシリアに向かったという。以後、ベルギー警察は厳重な監視を続け、またこのコミュニティー自身も聖戦主義の流入に神経質になっていた。
2016年の初めごろ、アブデルバキ・エス・サッティはVilvoordeで仕事を探していたという。彼はムスリム・コミュニティーの中でイマム(イスラムの聖職者)としての職を手に入れようとしたが、イマムは自称であり不審に思ったコミュニティーから犯罪歴を問われた後で結局逃げ出してしまったようだ。これを知ったベルギーの連邦警察当局はこのエス・サッティに聖戦主義集団とのつながりが無いかどうかをスペインの警察に問い合わせたという。ここまでは普通の話だ。問題はここからである。
ベルギー当局はエス・サッティについての情報をスペインのどの機関に問い合わせたのかを明らかにしていない。まあそれは機密事項に類することだからしょうがないだろう。そして8月23日、ゾイド内相は国家警察もグアルディアシビルもベルギーからそのような連絡を受けていないと断言した。また同じ日にカタルーニャ州警察もベルギーからの問い合わせを否定した。ところが翌24日、カタルーニャ州政府は州警察が2016年の3月8日にVilvoordeの警察署から「e-メールという非公式の形で」連絡を受けたことを明らかにした。スペインの通信社EFEが伝えるこのメールには、エス・サッティがバルセロナに向かうようだが彼に捜査すべき点があるかどうか教えてほしいと書かれていたようだ。州警察は返答として、この人物について過激派としてのデータは無いと書いて送ったという。
例の「CIAからの警告」騒動の1週前のことだが、これでスペイン中が大騒ぎになった。もし今までの話がすべて正しいのなら、1年半前の時点ですでに、国家の警察・治安機関の頭越しで、スペインの地方警察と外国の警察機関の間で情報のやり取りが行われたことになる。いくらベルギーの地方警察とはいえ、テロリストかもしれない人物についてのデータを、双方の国家の警察機関あるいはユーロポールを通さずに求めようとするだろうか? しかも、バルセロナに向かうというだけで過去の経歴をカタルーニャ州警察に問い合わせるか? もしそうならこれもまた「国家の面目丸つぶれ」ということになる。
案外と欧州の中での警察同士の連絡体制はそれほどにずさんなのかもしれないが、それはそれでまた大問題だろう。テロ関係の情報は機密事項になっていることが多いためもうこれ以上の情報が出ることは期待しにくいが、EUとしては欧州の警察機構同士の連絡網を整備する必要に迫られるだろう。もちろん今回のバルセロナ・カンブリルス連続テロをきっかけに、今後はスペインとベルギーやフランスなどとのより緊密な情報網の構築が、EU全体にとっても重要になってくると思われる。
8月22日付のエル・ムンド紙によると、フランスのGérard Collomb内相は、18日未明にカンブリルスで暴走した黒塗りのアウディが、11日の深夜にパリ周辺を走っていたこと、それには複数の者が乗っていたが、運転していたのは17日にランブラス通りで暴走テロを起こしたとされるヨウネス・アボウヤアコウブだったと述べた。この車は制限速度をオーバーして走っており国道の監視カメラに映されていたというのである。フランス内相は、その時点ではフランス警察も彼らがテロを起こすだろうとは予測できなかったと語った。
通信社エウロパプレスが(ラ・バンガルディア紙記事中)スペイン内務省筋からの情報として8月23日に伝えるところでは、スペインのゾイド内相は直ちにフランス内相と会談し、フランス、ベルギー、スイス、モロッコにあると思われるテロ集団の捜査について話し合うことになった。ただしスペインでその捜査に当たるのはグアルディアシビルであって、カタルーニャ州警察は含まれない。これ以後も聖戦主義テロへの対策はEU全体の重要テーマになっていくはずだ。それは必然的に当サイト記事『スペインは「欧州連邦」創設の急先鋒!?』で書いた『移民をコントロールするための《国境用の一つの欧州警察》』の創設につながるだろう。その先には、あまり遠くない将来にだろうが、「欧州軍」の創設(当サイト『《スペインを取り巻く環境の変化》』参照)の実現があるのかもしれない。
《テロの背後のあまりにも深い闇》
奇妙なことにいま、スペインのマスコミからテロ関連のニュースがほぼ消えている。10月1日にカタルーニャ独立派が予定している「住民投票」への議論と、20日か21日ごろにカタルーニャ州議会で成立すると見込まれる「分離独立法」を巡る動きに、ほとんど全てが集中している。マスコミ報道だけではなく、政府機関や地方行政機関、中央と地方の議会、スペインの主要政党の動きや「政治評論家」たちの論調を見ても、8月17日のバルセロナでの出来事はもう「済んだこと」のように扱われている。しかしそんな中で冷静な視点を保っている人々もいる。
プブリコ紙は、以前は紙版でも売られていたが現在は電子版だけがある新聞で、どちらかと言うと左翼的だが、スペインでは最も独立心と問題意識、批判精神にあふれる新聞として定評がある。そのプブリコ紙が9月6日付で『政府は8月17日後の危機への対応にその特別な機関を動かさなかった』という見出しの記事を掲げた。この記事内容が、いま私がバルセロナ・カンブリルス連続テロに対して持っている疑問の重要な部分を共有しているように思えるので、少し紹介しておきたい。
スペイン政府は2013年に「非常事態特別委員会(El Comité Especializado de Situación)」を作った。 これは「危機的な状態に置かれる国家にある最良で統合されかつ柔軟な手段と人材の採用を促す」ための機関だ。これは危機的状況の際に国家安全保障会議(CSN:Consejo de Seguridad Nacional)を補佐するものであり、全省の代表者、中央情報局(CNI)、国家安全保障庁(Departamento de Seguridad Nacional)の代表者で構成され、その長は首相によって任命される。それはあらゆる有効な国家機関と地方機関を動員して危機への対応と危機管理を行うためのものだ。ところが8月17日のテロの後で、ラホイ政権は政府の緊急会議を開いたがこの非常事態特別委員会を招集することはなく、具体的な対応手段を検討することはなかった。
この国には同時に、テロ攻撃に対する専門的な委員会「テロ脅威評価委員会(La Comisión de Evaluación de la Amenaza Terrorista)」もあるるのだが、それが会議を招集したのは発生後40時間を過ぎてのことだった。2015年の11月にパリで、つまり外国で起こったテロ事件ですらその14時間後に緊急会議が召集されたというのに、である。カタルーニャ独立の問題は国内問題であり言ってみれば「国内の敵」の問題だが、「聖戦主義テロ」は明らかに「外敵」である。その外敵が、産業面、経済面も考えるなら国内第1といってもよい自国の大都市を攻撃したのだ。しかしどうやらラホイ政権にとってこれは「危機的な状況」ではなかったようだ。
もっと奇妙なことがある。カタルーニャの事件現場でほとんど州警察だけが捜査の前面に立つ状況に対して、国家警察、グアルディアシビル、CITCO(対テロ・組織犯罪中央情報局)は抗議の意思を示した。ところがマドリードからは、国家警察に対しても、グアルディアシビルに対しても、捜査活動の命令が出されなかったのである。内務大臣は「州警察に協力するように」という命令以外、何一つ口にしなかった。プブリコ紙は以上の点を指摘した後、同紙がマドリード政府の首相府に対してなぜ非常事態特別対応委員会を招集しなかったのかを質問したがいまだに返答が無いことを述べている。
あたかも、中央政府と州政府が協力して、国家の安全保障機構や警察機構を動かさないようにすらしてカタルーニャ州政府と州警察を前面に押し出し、ウォールストリートジャーナル紙が評した「カタルーニャ州政府にとってマドリードから独立して統治できることを示す機会」を意気投合して演出したようにすら見える。これはどうしたことか? そのラホイ中央政府が、いま現在「独立」に向けてしゃにむに突っ走るカタルーニャ州政府と対決し「独立」を断固阻止しようというのだから、どうしようもなく茶番に感じてしまう。
私が先ほど「EUの影」について少しだけ触れたが、当サイト記事『《ブリュッセル直属?新ラホイ政権》』でも述べたように、現在のラホイ政権はスペイン国家の伝統的な勢力ではなくEUから与えられた使命に沿って動いているのではないかと思えるふしがある。そのEUには、伝統的に米国と英国(+イスラエル)の諜報機関のネットワークが張られている。いま、スペインは8月17日を既に忘れ去ったかのように、あれはもう済んだことだとでもいうように、「カタルーニャ独立」問題で激震させられている。このいかにもわざとらしい動きはどこで作られどこでコントロールされているのか?
ランブラス通りでの惨殺は、その後ろに思いもよらぬ深い闇を抱えているのかもしれない。我々が自分の足で立って生きていると思っている舞台の下で、その舞台装置と動きを作り上げて登場させる様々な力がうごめいているのか・・・? 2017年8月17日の恐ろしい事件に関してはおそらくもうこれ以上の有益な情報はほとんど出てこないだろう。出るとすれば「EU内外のテロリストのネットワーク」に関する怪しげな捜査とその報道くらいだと考えられる。「安全地帯」に住むことを選べない我々は、今後も多くの危険や困難・困窮に曝されながら生きていくしかないのだろうが、どんな状況に置かれても冷静な批判精神だけは失いたくないと思っている。
『バルセロナの「テロ政治」』 了
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〔eye4190:170908〕
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