過酷な現実を視聴者に突きつけることこそ放送メディアの使命
- 2011年 3月 24日
- 評論・紹介・意見
- NHK報道東日本大震災醍醐聡
このところ、NHKを始め多くのテレビは避難所で被災者が「励まし合い」、「明るく生きる姿」、子供たちが「けなげに」手伝いをする光景、奇跡的に救助された人の病室にまでカメラを入れて、感動の話題を提供するのに腐心しているように見える。私も、避難所となった体育館で、避難生活のままの服装で、必死に涙をこらえ、「この辛い体験を生かして・・・・」と切れぎれに答辞を述べる卒業生の姿を見ると、胸が熱くなる。しかし、テレビが「明るい話題」をこれでもかこれでもかと追い求め、その映像効果に注力する状況を見ていると、今回のような大震災の時に放送メディアに期待される使命をはき違えていると思えてならない。
ごく一握りの「明るい話題」の横で、人口7万人の福島県南相馬市で、放射能を恐れる人が次々と街を離れ、残るのは2万人には物資の輸送が滞り、各世帯の食料は尽きかけて、「このままでは餓死する人が出かねない」と伝えられている(asahi com 2011年3月23日20時1分)。宮城、岩手、福島の避難所では嘔吐する人が目立ち、医薬品が乏しく、暖房が不十分で風邪をひく人も多い、着替えが不足し、トイレの状態も劣悪で、先行きが見えない避難生活が原因でストレスが極限に来ている人が少なくないと伝えられている(毎日新聞、3月21日、9時42分配信)
しかし、テレビ、特にNHKは、このような過酷な避難生活の実態を伝えようとしないし、伝える場合でも原発問題か、被災地の明るい話題に長い時間を割いた後のごく短い時間である。わずかに岩手県陸前高田市にある老人保健施設で、入所していた高齢者15人が別の施設に避難したあと、震災によるストレスで食事の量が減るなどして、相次いで亡くなったことを報道したにとどまる(3月23日 13時32分 NHKオンライン)。
いったい、NHKは、ごくまれな「ほほえましい」話題にスポットを当てて、世の中を明るくする役回りを期待されているのだろうか? そのよう明るい話題のかげで、高齢の被災者が、災害時にではなく、避難所で亡くなるという現実、被災者の中から餓死者がでないとも限らない、ストレスが極点に達している実態を伝えないでよいのか?
避難所に救助物資が届いた時、手を合わせ、感謝の言葉を口にしながら、それを受け取る被災者の姿も何度、画面に登場したことか? しかし、そのような「明るい」話題が訪れるまでは、餓死に至るかも知れない境遇に追いつめられていた被災者の過酷な避難生活は画面には、ほとんど登場しないし、国民の生命を守るべき政府がそれにふさわしい、どのような救援活動を指示しているのかを伝えようともしない。
「暗い現実」を明るく描く、あるいは「暗い現実」に埋もれがちな明るい話題に灯をともすのが放送メディアの役割ではない。「暗い現実」をあるがままに視聴者に突きつけるのが放送メディアの役割である。メディアの役割は現実を生みだすことではない。現実を、現実の核心をえぐり出して視聴者に突きつけ、視聴者の思考を揺さぶり、暗い現実を打開するための思惟と行動の糧を提供するのが放送メディアの役割なのだ。
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0385:110324〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。