『資本論の世界』を改めて読む(第2回)
- 2017年 11月 24日
- スタディルーム
- 野沢敏治
なぜ「人間」を問題にするか( その2 )
内田が『生誕』の前後からずっと考え続けてきたことがある。それは「人間にとって資本主義は何を意味するか」、それを考えるうえで経済学はどういう意味をもつかであった。それがこの『世界』で正面から取りあげられる。この問題を経済学史のなかで具体的にみると、本論冒頭の次の2行が示している。「『資本論』を読みながら、思想家マルクスの出している問題を考えてゆきたい」。
人間と言えば、哲学や文学、宗教が問題にすることで、経済学はもっと俗な物価や賃金、利子率や為替、GNPを扱うものというのが常識であろう。また当時の近代経済学では19世紀の自由資本主義と異なる20世紀現代の変化した経済構造を追い、他方マルクス主義では国家独占資本主義のもとでの階級対立を分析するものとみなしていた。今風の金融工学であれば人間の問題を人文学の領域に「排除」しようとするであろう。それでも経済学の方でも人間を問題にしだしていた。それは人間疎外の状況があったからである。当時、疎外論が流行する。その疎外を一応定義しておくと、人間の行為が自分を超え自分に対立する力となることである。具体的には以下の人間疎外が問題となり、それが『世界』にも入り込んでいる。
A
目の前にある社会主義の体制が骨化し、主人公であるはずの労働者はおろそかにされていて、その解決のために制度や機構の改革が始まっていた。1956、57年にハンガリーを始めとして東欧で共産党=国家の体制に対する反抗が起きる。ポーランドではクーロン=モゼレフスキが『ポーランド統一労働者党員および社会主義青年同盟ワルシャワ大学支部同盟員への公開状』を提出していた。エリートの官僚が経済法則を無視して計画経済を進めたので、それを正すためにコスト計算や市場的なものが導入されていったのである。それは国家や社会の問題であったが、同時に「人間」の問題としても意識された。哲学者や思想家、改革家は人間は自由な個人として自由に社会を作り、その個性を全面的に開花させていくものだと論じる。日本でも社会主義下での市民社会という問題が意識される。早くには戦後直後に大塚久雄が社会経済史の立場からであるが問題にしていた(参照、『近代化の人間的基礎』1948年の「序」における「追記」)。その後は社会主義者が「人間の顔をした社会主義」とか、現実にあった社会主義をと声をあげるようになった。平田清明もすでに『社会思想史概論』(1962年)でマルクスに内在し、将来の理想社会を労働者が時間の主人公となって個性を完成させるものと論じることになる。またレーニンの偉大さを認めつつも当時人気の悪かったベルンシュタインの修正主義を現実の社会主義運動に媒介的に生かそうとしている。
内田はどうか。彼は次のようであった。――社会主義には資本が労働を搾取する階級的疎外はないとしても、葛藤はある。剰余生産物を労働者の生活水準の上昇にまわすか、次年度の再生産に投資するか、あるいは、保険等に分割するか、その分配を決めることは現実にはかなり難しいこととなる。その剰余生産物の分割に生産者自身が自由に民主的に参加することができているか。……これは後でも取りあげるが、社会主義における民主主義の問題である。
B
物理学は1930年代に原子核の構造を研究し、ウランに中性子をあてて分裂させると膨大なエネルギーが解放されることを発見していた。その結果、その発見を軍事的に利用する開発競争が起ってアメリカで最初に原爆が作られ、それが1945年8月に日本の広島と長崎に投下される。その後は東西体制間で原水爆実験競争となり、南太平洋の実験場付近に住んでいた人々やそこにマグロ漁に出て行った日本の船員が被爆する。そして地球そのものを破壊するまでの大量の核保有となり、実に危いことになる。内田はそれを見て人間は自然法則を意のままにしたが、社会や政治の方がひとり歩きをしたために自然力もひとり歩きをすることになったと捉えた。他方、湯川秀樹や朝永振一郎等の物理学者はもっと深刻に考えていく。彼らも最初は内田と同じように考えていたが、後に自己批判していく。純粋な科学研究が即発明になる時代になり、基礎研究は研究者の責任だが、それを良くも悪くも応用するのは社会の側であると言い訳することはできなくなったからである。「科学者の社会的責任」の問題である。またマルクス主義の方でも体制の違いを超えて東西間の平和共存と「人類」全体の生存を考えざるをえなくなる。
C
日本を含めて先進資本主義国では大衆社会の状況が生まれた。生産力の改善は労働者に賃金の上昇と余暇をもたらしたが、せっかくの生活改善も自由時間の獲得も電気企業による3種の神器の広告・宣伝とレジャー産業に取り込まれてしまう。一般の労働者は他人志向の消費行動をとって人のもつ物を欲しがる。労働者の上層や中間層は自己顕示的な消費行動をとって人の持てそうもない物を求める。商品は人間個体の維持に必要な使用価値だけでなく、こういう社会的な使用価値をもつ物となる。スーパーに積まれた大量の商品群の裏には以上の行動をする人間の群がいたのである。時にコピーライターが出てきて、川崎徹や糸井重里などは広告を商品の使用価値の宣伝から自立させて勝手な創作活動に入ったが、それはこの時代のエピソードである。また欧米では19世紀以来、労働者は労働力商品の生産者としてだけでなく、「人間」としての発達のために労働時間の短縮を要求して階級闘争を展開してきたが、そして20世紀前半のケインズの頃になると獲得した余暇をどう使うかその中身が問題となっていたのだが、日本では時短よりも賃金等の労働条件の改善を要求し、余暇時間を得ることは遅れた。また高度成長下で産業構造が農業・軽工業から重化学工業や自動車・情報産業へと変化していくが、その変化に適合できない労働者は一時的であっても失業する。失業はそのまま命と健康に関わる。内田はこれも後でも取りあげるが、資本主義が以上のように豊かさをもたらすなかで精神的にも物質的にも(!)貧困を生むことを見逃さなかった。これは今日の問題でもある。
経済成長の一方で、経済人のエコノミックアニマルぶりと企業内の労務管理の強化が進行する。日本は欧米との間で貿易摩擦を生むが、企業内では安くて良い物を作って競争し、その結果勝つことがなぜ悪いという雰囲気が生まれる。テーラー科学的管理法やフォード式流れ作業はアメリカのものであったが、日本ではさらに極端になって、工場内での部品在庫ゼロをめざすトヨタ式看板方式が開発される。加えて日本的経営が普及し、本来企業外で得るべき福祉が企業内に取り込まれ、労働組合は労働条件の改善よりも生産性の向上に協力する企業内組合となる。こうして労働者は社会人でなく会社「人間」になることが求められ、そのための管理技術が開発されていったのである。
D
産業での生産力の上昇は地球環境や地域生活・家庭生活を壊した。公害の頻発、街並みの破壊、女性の家事負担の増大と教育の荒廃、等々。それに対して「生活者」を自覚した消費者は命と健康の回復を要求する。消費者はこんな商品の購入や消費生活でよいかを問い、生産者農民もメーカーや農協の言うままに農薬と化学肥料づけの生産をすることでよいかを問い、これではいやだと双方が企業の資本循環から自立し、協同の形を追求していく。また企業の方でも公害対策に費用を出すことは企業自身にとっても利益であることが経験されていく。
以上のA~Dの疎外状況のなかで内田は「労働疎外」を疎外の中心問題とし、「人間」の本来を問うたのである。それに対してマルクス研究者のなかにはそんな「人間」なるものは実体的には存在しない、マルクスの経済学は初期の哲学意識を清算して客観的な科学に向かうことで成立した、実際にあるのは人間関係のアンサンブルだ、歴史的に規定された社会関係だけだと反論した。その批判は今日でも変わらないだろうが、それは正しさの一面であって、それが資本主義という特定の時代を他の時代と比較した正しさになるには、まずはどの時代にも通じる面を捉えることが必要だろう。違いは共通面をつかんだうえでこそ彫りのあるものとなる。また内田は人間の本来を求める姿勢でもって疎外の克服に主体的に関わろうとしたのである。以下、前回に問題にした体系の一部を使って現実をみる実験が行われる。内田は『資本論』から「労働過程」という小さな一節を取りあげた。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study912:171124〕
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