ポスト3.11―原発震災後の日本―を考える ①はじめに
- 2011年 3月 27日
- 評論・紹介・意見
- 安東次郎
「原発震災後の日本を考える」というと、「まだ早過ぎる」と言われるだろうか。「いまはまだ国民が一致協力して危機に対処すべき時だ」と。
しかし、そんな「時」は終わった。昨日の三つの報道がそれを知らせている。
その一つは、原発20~30キロ圏についての「自主的な避難を促す方針の表明」。
政府が20~30キロ圏居住者に屋内退避を指示したのは、15日午前。14日にはすでに3号機が大量の放射性物質とともに大爆発しており、この指示自体がまったく不適切なものであったが、なお悪いことに、政府は事態の隠蔽と自らの体面を優先し、その指示を25日まで維持してしまった。その結果、多くの人たち――特に自力では避難困難な人たち――が汚染地域(現状では少なくとも40キロにまで及ぶ)にとり残されてしまった。
このような経過をみると、昨日の「自主的な避難を促す方針の表明」などというものは、政府の「体裁」を取り繕う以外のなにものでもない。そしてそれ自身の「体裁」のために存在する政府などいうものに存在価値はない。
しかし、それでも「多くの被災者の救援のためには、政府のもとに『一致協力』する必要がある」と言われるかもしれない。しかし現実の被災地での救援は「地方自治体」と「自衛隊」などの各組織、そして「民間」の協力のもとに進んでいる。それは国民相互の「協力」ではあるが、「一致協力」ではない。なぜなら国民の「一致協力」というものは、国民が自らの中枢機能をもってこそ言えることだが、いま国民は機能する中枢をもってはいないのだから。
二つ目の報道は、引き続く福島第一原発の危機にたいして、米国が――海水による冷却から真水による冷却への転換という――方針を日本に指示し、軍の本格的動員をはじめたこと。
この間、菅首相は、原発の危機的事態への対応に専念してきた、といわれる。この事項が米国主導で行われるようになった以上、この震災にあたって首相が判断する事項は―実質的に―もはや存在してはいない。
三つ目の報道は、25日の菅首相の会見。
菅首相は、まず原稿をよみ、その後「記者クラブ」記者の『質問』にたいしても、原稿をよんだ。原稿を読むだけの首相に存在価値はない。そんなことなら、原稿を書いた人が記者会見をすればよいのだ。
そういう次第で、3月25日、首相官邸の『機能停止』は蔽い難いものとなった。だからこそ今日は、もはや旧体制下での「国民の一致協力」ではなく、ポスト3.11―つまりこれからの日本―について、語り始めなければならない。
しかしポスト3.11を語るには、3.11とは何だったか?ということから始めねばなるまい。ここでは震災それ自体については論じない。ここで専ら問題にするのは『原発災害』だが、この『原発災害は何なのか』という問いに答えることは、なかなか難しい。
しかし人々が直感しているのは、今回の事態が昭和20年の敗戦につぐ、いわば「第二の敗戦」のようなものではないか?ということだ。
それはまず、私たちがあてにしていたものすべてが、じつはあてにはならないものなのだ、ということが直感されたという意味で。
さらに、今回の危機はまったく無責任な原発推進の帰結だが、このことは、かつての戦争がまったく無責任に始められたことを彷彿とさせる。そしてこの地震国での原発推進に、社会のほとんどあらゆる勢力――自民党と民主党、官僚と学界、電力産業など財界、マスコミ、労働組合――が巻き込まれたことは、かつての戦争での翼賛体制――体制翼賛会、産業報国会等々――を彷彿とさせる。
この「第二の敗戦」という表現は比喩ではあるけれど、しかしこうした比喩を通してしか、私は3.11の原発災害という事態を、実感をもって掴むことはできない。
いったい社会のほとんどあらゆる勢力が、『正気』を喪失するなどということが、どうしておこったのか。この問いに答えることなくして、私たちは3.11の原発災害を語ることはできない。そしてまた、敗戦後そうしたように、責任を一部の『明白な犯罪者』たちに押し付けて済ますわけにもいかない。
いまもわけ知り顔で語る政治家や『識者』たちは、自分たちの犯罪の重大さに少しも気づいていない、あるいはそんなフリをしているようだ。
私は、自分も無責任な人間のひとりだから、ひとの罪をあげつらうことは嫌いだが、3.11に帰結したような原発推進が罪でなければ、一体何処に罪というものが存在するのか、と思う。
人間が管理できるはずもない放射性物質―プルトニウム239の半減期は二万四千年である―を作り、貯め、あげくのはてに飛散させて、人を含むあらゆる生き物と土地と海と空とのすべてを汚して、死と病をもたらすこと、これ以上にどんな罪があるだろうか。
おそらく私たちの世代は、生まれ来る者たちからも、そしてすでに死んでいる者たちからも、繰り返しこう問われるのだ。
『なんでそんなに愚かだったのか』と。
2011年3月26日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0391 :110327〕
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