今こそ「脱原発」の提起を -福島原発事故でジャーナリズムに問われていること-
- 2011年 3月 27日
- 時代をみる
- 岩垂 弘脱原発
東日本を襲った巨大地震・津波で東京電力福島第一原子力発電所で事故が起きてから2週間が過ぎた。この間ずっと新聞(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙)の社説・主張に目を通してきたが、日を追う毎に歯がゆい思いを強めている。こんどの原発事故は、日本の原子力開発史上未曾有のものであり、世界における「原発三大事故」の一つに位置づけられる大惨事でありながら、各紙の論調は旧態依然で、そこには政府にエネルギー政策の根本的転換を迫る論調が皆無だからである。
事故はまだ収束せず、原子炉や使用済み燃料プール内の核燃料を冷却するための作業や放水が続けられている。このため、各紙の社説・主張はほとんど連日、原発問題に紙面を割いている。
その内容はどうかといえば、大まかに言って各紙ともほぼ同様の内容と言っていいだろう。それは、見出しを見ただけで分かる。例えば――
まず、朝日。13日「大震災と原発事故 最悪に備えて国民を守れ」、14日「原発情報、的確に早く」、15日「原発また爆発 大量被曝を回避せよ」、16日「原発危機 『最悪』の回避に全力を」、17日「原発との闘い 現場を十分に支援しよう」、18日「原発との闘い 最前線の挑戦を信じる」……
毎日。13日「原発制御に全力尽くせ」、14日「情報は危機管理の要だ」、16日「高濃度放射能漏れ 住民守る体制に全力を」、17日「的確なリスク情報を」18日「冷却にあらゆる手段を」19日「原発の危機 現場を全面支援したい」……
読売。13日「原発事故の対応を誤るな」、16日「放射能拡散を全力で阻止せよ」、18日「あらゆる冷却手段を活用せよ」……
産経、日経、東京の各紙も似たり寄ったりだ。
つまり、各紙が多大な紙面を使って強調してことには共通点がある。それは、まず住民の安全を第一に考えよ、正確で的確な情報を早く提供せよ、原子炉と核燃料プールの冷却に全力を尽くせ、現場で原発を冷やす作業にあたっている人たちを支援しよう――などといった点だ。今回の事故の性格と事故がもたらす危険性の高さを考えれば、的を得た主張であり、提言といえる。
しかし、これだけで果たしていいだろうか。いうなれば、これらの主張や提言は、緊急対策、いわば対症療法と言えるものだ。重大な事故であればあるほど、適切な緊急対策を素早く提示することが必要だが、同時にもっと根本的な“療法”すなわち本質的な解決策を提案することが求められるのではないか。
もちろん、各紙とも改善策を提起している。例えば、「全原発の点検を急げ」(13日付朝日)、「直ちに全国で原発の安全性の再検証を進めねばならない」(13日付産経)、「現在運転中の原発のどこを改善すべきか、住民の安全と信頼の確保には何が足りなかったのか。一つずつ検証していくことが求められる」(14日付東京)、「地震に対する原発の備えを根本的に考え直すべき事態だ」(13日付毎日)、「原発事故を防ぐ体制を強化すべきだ」(13日付読売)、「原発の最悪事態も想定し万全の対応を」(17日付日経)といった具合だ。
ただ、これらの主張は、いずれもこれまでの原発推進政策をこれからも維持してゆくことを前提とした主張だ。そこには、国が進めてきたエネルギー政策(原発推進政策)を根本から見直すという視点はない。そこには「原子力なくして今の暮らしも産業も成り立たない。温暖化防止時代の欠かせぬエネルギー源でもある」(14日付東京)、「日本にとって安価で安定的な電力の供給源である原発の意味は大きい」(13日付産経)といった認識があるからだろう。
しかし、今回の福島第一原発の事故は、25日付朝日新聞によれば、原子力施設事故の国際評価尺度(INEA)で「レベル6相当」とされる大事故である。原子力開発史上最悪とされるチェルノブイリ原発事故(旧ソ連)はレベル「7」、米国のスリーマイル島原発事故はレベル「5」とされているから、今回の事故は、「スリーマイル島」を上回る規模になったのだ。
しかも、日を追う毎に事故による被害が拡大している。原発周辺地域の多数の住民が避難、あるいは屋内待避を余儀なくされ、今後その数がさら増える見通しであるほか、原発から放出された放射性物質による汚染が農畜産物、水道水、海水にまで広がり、広範な地域の住民を深刻な不安に陥れつつある。一部の野菜、原乳については摂取制限、出荷制限の措置がとられ、東京都では乳児に水道水を飲ませない方がいいとしてミネラルウオーターのペットボトルが家庭に配られるまでになった。原子炉や核燃料プールの冷却作業中に被曝する作業員も増えつつある。
事態は日ごとに深刻度を増していると言っていいだろう。
電力会社と政府はこれまで「原発は絶対安全」と国民に言ってきた。その「神話」はもはや崩れたと言っていいのではないか。
それに、使用済みの核燃料からプルトニウムとウランを取り出すとともに、残った高レベル放射能廃棄物を処分しやすいように固形化し容器につめることを目指している「核燃料再処理工場」(青森県六ヶ所村)は2000年の操業開始を予定していたが、トラブル続きで操業開始を繰り返し延期している。さらに、使用済みの核燃料から取り出したプルトニウムを利用するために造られた高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)は度重なる事故のために運転休止となり、運転再開のめどは立っていない。
現行の原発は安全性に問題があることが明らかになり、核燃料再処理工場も高速増殖炉も操業や運転の見通しがたたない、ということであれば、原発開発の前提である核燃料サイクルが破綻したに等しい。ならば、日本と日本人は今、本質的な問いかけを投げかけられているのではないか。つまり、原発が安全でないと分かってもなお原発を推進する道をこれからも歩むのか、それとも原発に依存することを止め、あるいは原発への依存を減らして、原発に代わるエネルギーを追求するかの選択だ。要するに、こんどの原発事故によって、日本はパラダイムの転換を求められていると言ってよいのではないか。
今回の事故は世界にも衝撃を与え、報道によれば、ヨーロッパでは原発見直しを打ち出す動きが相次いでいる。シュレーダー前政権の脱原発政策を転換して原発継続の可能性を探っていたドイツでは、メルケル政権が当面の原発延長方針を凍結。スイスは原発計画を一時凍結した。また、イタリア政府は、閉鎖している原発の再開に関するすべての計画を1年間停止する方針を固めた。
さらに、朝日新聞によれば、英国で世論調査会社が国際NGOの依頼で18日~20日に1千人に電話調査したところ、原発の新設に「賛成」は35%、「反対」は28%。昨年11月の別の世論調査会社の調べでは「賛成」が47%で、「反対」の19%を大きく上回っていたという。
こうした実態であれば、ジャーナリズムには、事故への緊急対策にとどまらず、日本のエネルギー政策の今後のあり方についての本格的な論議を提起してもらいたいと切に思う。今こそ「脱原発」に向けての論議を巻き起こしてほしいと望むのは無理な注文だろうか。
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