中国に傾斜するネパール
- 2017年 12月 26日
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――八ヶ岳山麓から(245)――
ネパールの国政選挙は11月26日と12月7日に投票、12月13日現在下院選の結果がほぼ確定しました。統一共産党(UML)と共産党毛沢東主義派(マオイスト)が主導する共産系諸派同盟は、10月にできたばかりですが、116議席を獲得し、現在の第1党・親インドのネパール会議派(NCP、コングレス)の23議席に大差をつけました。すでに共産系諸派は首相候補選出に向け、協議に入ったといいます(時事2017・12・14)。
13日現在、州議会でもUMLは160、マオイストは69を確保し、コングレスは38議席しかありません。カトマンズ盆地の都市では11日早朝からすでにお祝い行事が始りました(中国新聞ネット2017・12・11)。
ちなみに、ネパールの下院は定数275名(小選挙区165名,比例代表110名。議員任期5年)、上院は定数59名(州議会議員,地方自治体首長等が選出する56名と大統領指名3名)です。また同時に行われた州議会選挙は定数550名(各州小選挙区330名,比例代表220名)です。
どういうわけか中国環球時報ネットは、わざわざ日本NHKのニュースを引用して、「ネパールの左派両党はともに中国寄りで、新年1月新政府が成立すれば中国との協力が強化され、これがインドの不満と反撃を引きおこすことは間違いない」と、この結果を伝えました。
1996年マオイストは、教師出身のP.K.ダハール(内戦時プラチャンダ)を指導者として王政反対の内戦を始めました。内戦は2006年春国王ギャネンドラ退位まで11年間続き、人口2600万のネパールで1万3000人という犠牲を出しました。しかも幼少のものを兵隊にし、拷問・虐殺の酸鼻を極めるものでした。
中国はマオイストが軍事的に優位に立つまでは、彼らが毛沢東主義を名乗るのを迷惑がったのですが、ギャネンドラ国王が打倒されて共和政が視野に入り、マオイストが権力に近づくとともにこれに急接近しました。
2008年の制憲議会選挙でマオイストが第一党になり、ダハールは首相に選出されました。彼の最初の外国訪問は中国でした。ところがダハールは武装勢力のネパール国軍への統合問題や、幹部の身びいき、その他の問題で軍上層と他党から十分な信頼をえられず政局は混乱し、マオイスト支持者は急減しました。
国会は当初4年の議員任期を大幅に延長して、ようやく2015年9月正式に新憲法が公布でき、ネパールは7つの州をもつ連邦民主共和国となりました。今回の選挙は新憲法下初の国政選挙でした。
ネパール国政選挙をめぐる中印のせめぎ合いは、中国に軍配が上がりました。この影響をもろに受けて、境遇が一段と惨めになる民族があります。チベット難民です。
ダハールは首相のとき、「ネパールは中国の国家主権、国民統一と領域統合への努力を強く支持し、いかなる勢力にもネパールの領内を反中国活動や分離運動のために利用させることはない」と、中国が敵視するチベット難民を取締る意志を明瞭にしました。
ネパールにはカトマンズを中心に、1958~59年チベット叛乱の際の2万人近い難民と、文化大革命後ネパールに逃れた数千人がいます。文化人類学者別所裕介氏によれば、2008年以後マオイスト政権は、中国の意向を受けて複数のチベット人が集まる集会・言論活動の禁止、難民認定証の発給停止、亡命政府首相選挙の妨害、仏教法会の停止という形で亡命チベット人の動きを厳しく管理しました。
2013年、抑圧に耐えかねたチベット人がボドナート仏塔で「焼身抗議」をしました。「焼身抗議」は元来は中国チベット人地域にかぎられていたものです(『体制転換期ネパールにおける包摂の諸相』中の別所論文)。
さらにいうと、中国は2010年以来、ネパール内務省宛年間147万ドルの「治安維持」名目の資金を供与し、この3月ダハールが訪中した際にも地方選挙に資金援助を約束しています。文字通りの内政干渉ですね。
ところで、インドのモディ政権は、ネパールで親中国派が台頭するのを黙って見ていたわけではありません。インドはカトマンズ・ニューデリー間バス便の開設に加え,国境付近の鉄道網の拡充計画、カトマンズとバナラシ,ルンビニとブッダガヤ,ジャナクプルとアヨダヤなどインド・ネパール間の友好都市関係の緊密化と交通インフラの改善などの計画を提示し、さらにインド人のネパール旅行を勧奨し、政府職員がネパール旅行をするときには休暇とチケット代を支給するということまでいいだしました。
このたびの総選挙直前の11月中旬, コングレスのデウバ首相は、モディ首相の意を受けたのか、中国国有企業に請負わせる予定だったブディガンダキ水力発電所建設・発電事業をネパール電力公社に担当させると発表しました。この計画はマオイスト主導で進めていたもので、1200メガワットというネパール最大級の発電事業で、すでに中国とは計画の覚書に署名していたものです。
その一方でデウバ首相はインド企業が中心となっているアルン3・上カルナリ水力発電事業の方は,そのまま予定通り推進すると決めました。もちろん中国は激しく怒りました。
習近平主席の「一帯一路」構想でも、ネパールを陸のシルクロードの一部と位置付けた「環ヒマラヤ経済経済協力帯」構想を発表しています。キーロン・シャブルベシ道路の開通とチベット鉄道のシガツェへの延伸が2014年に完成したことを背景に、ダム(樟木)・キーロン(吉隆)・プラン(普蘭)の三つの伝統的な交易地点を拠点として、ヒマラヤを越える国境貿易・ツーリズム・チベット薬・農牧業・文化産業を発展させる構想です。
中国の開発攻勢はいまのところ、自動車道路など物流関係のインフラ建設と観光開発です。ヒマラヤを南北に貫通するムスタン(二チェン峠やサンクワサバ(キマタンカ峠)、タブレジュン(オランチュンゴラ峠)に物流道路を完成させる。またシガツェに届いたチベット鉄道をキーロンまで延伸し、ネパールのタトパニとラスワディにつなげるドライポート建設、ポカラとルンビニの飛行場と四つの水力発電所建設を計画しています。
すでにチベットとむすぶタトパニ・カトマンズ間のコダリ道路は、大型輸送トラックで過密状態になっています。新ルートが完成すれば、中国からの消費物資がどっと流れ込み、ネパールの貿易構造に変化が生まれる可能性があります。
すでに中国人のネパール観光は急増していますが、中国の援助によるルンビニ観光開発は、最終的には、ラサからの鉄道、国際空港、115メートルという巨大な仏像、五つ星ホテル、国際仏教大学の建設をめざしています。
このたびの選挙で、親インドのコングレスが惨敗したのは、インドのモディ首相のネパールに対する覇権主義的ふるまいによるものが大きいと思います。
従来ネパールは輸出入の60~70%をインドに頼ってきました。ところが、15年9月から約半年、インド国境沿いに住む(ネパール人口の半分近い)ヒンズー系マデシ人の一部によってインド・ネパール国境が閉鎖され、消費物資の輸入がとまる騒ぎがありました。新憲法による新たな州区画がマデシ人にとって不利になると判断したためです。このためカトマンズでも長期間燃料や食材が不足しました。ところがモディ首相はマデシ人の行動を容認したうえ、なおネパールに新憲法の改正を要求したのです。
これがネパール大衆の反インド感情を燃え上がらせました。匹夫もその志を奪うべからずというところでしょう。
というわけで、このたびはネパール民族主義の矛先はインドに向かいましたが、中国もやり過ぎると、ネパール人の反発を買う時が来るかもしれません。
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