12月24日(掲載の)柴垣和夫論文にたいする疑問
- 2017年 12月 26日
- 評論・紹介・意見
- 染谷武彦
「労働力商品化の止揚」の旗印を下ろさないのは、実は不可能なる共産主義に夢を託せということと表裏一体で誠実さに欠けるのではないか。
労働を結合しかつ個人の自律性を尊重する普遍的制度とは、事実上市場機構以外にはないのではないか。氏自身も、「計画的生産が、原燃料や鉄鋼・機械装置やパンなどの基礎的・規格的財貨の場合には効果を発揮できても、生活水準の向上によって個人の趣味・嗜好が多様化し、また流行によって需要が変化する時代が到来しますと、そうした需要に供給を計画的に適応させることは、およそ不可能だったということです」と、社会の経済活動をすべて網羅的に計画することの難点を指摘してはいる。しかも他方で計画は管理を必至とし、管理は強制を必至とする。なるほど、計画の決定とその遂行において、管理されるすべての成員が自身の要求が十分に反映されたと感得しえれば、ここでの強制はなくなろう。しかし、こうした統合が可能なのは個人が社会の全成員を見渡せるごく限られた小規模集団・社会に過ぎない。計画が首尾良く達成されるにしても、そこには常に「強制」が付随してくる。そうした矛盾に目をつぶったまま完全に統合された社会を志向して夢を託すのは、リアリティに欠ける。計画化が無理であれば、それに代わる機構は市場機構しかない。市場機構を普遍の制度として出発する以上、労働力商品化の止揚を宣揚するのは理路が通らないのではないか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7222:171226〕
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