「非核ネットワーク通信」が終刊 - 非核自治体運動の推進役を果たす -
- 2017年 12月 27日
- 評論・紹介・意見
- 「非核ネットワーク通信」岩垂 弘核
日本における非核自治体運動の推進役を果たしてきた「非核ネットワーク通信」が、10月末に発行された第200号で終刊となった。同誌の創刊は1988年だから、29年続いてきたことになる。この間、同誌が非核自治体運動で果たしてきた役割が大きいだけに、終刊を惜しむ声が強い。
非核自治体運動とは、地域住民と自治体か協力して非核運動を展開し、核のない世界を実現しようという運動だ。1950年代半ばから日本で始まった原水爆禁止運動は主として平和団体や労組など組織が中心だが、非核自治体運動は地域の市民と自治体が中心だ。
非核自治体運動はまず、1980年代に英国で盛んになり、他の国にも波及して84年4月にはマンチェスターで第1回非核自治体国際会議が開かれた。
日本にもこの運動が生まれ、87年7月には、東京の法政大学などを会場に第1回非核自治体全国草の根交流会が開かれ、参加者は延べ250人にのぼった。
こうした盛り上がりを背景に、88年3月、「非核自治体全草の根ネットワーク」(略称「非核ネットワーク」)が結成された。設立の狙いは「究極的には核兵器の廃絶、差しあたっては東北アジアの非核平和地帯の形成を目指すとともに、チェルノブイリ大原発事故を受けて『脱原発』をも掲げ、『超党派』(あらゆる党派から独立し、あらゆる党派に働きかける)・『対等・平等』(あらゆる組織やグループの間に上下の関係を作らない)・『草の根』(地球の運命を考えながら、地域で行動する、あるいは地域から行動を起こす)の3原則の下に、市民の立場から日本における非核自治体運動を推進すること」にあったという(「非核ネットワーク通信」第200号)。
非核ネットワーク世話人会は、運動を市民の間に広げるための情報誌として、88年5月に季刊「非核自治体インフォーメーション」を法政大学西田勝研究室と共同で創刊する。。これが、93年6月から、凖月刊の「非核ネットワーク通信」に衣替えする。B5判。以来、これを全面的に支えてきたのが「西田勝・平和研究室」だった。西田勝氏が法政大教授を定年退職したのにともなって設立した研究室である。
非核ネットワーク結成から29年。この間、日本の非核自治体運動は着実に発展してきたと言っていいだろう。
非核ネットワークによれば、2017年9月末現在、非核宣言自治体は1630道府県市町村に及び、全国自治体数の91・2%に達する。日本非核宣言自治体協議会の加盟自治体はいまや328を数える。核兵器廃絶を求めて誕生した広島・長崎両市長を会長とする「平和首長会議」(1982年創立)も、2017年10月1日現在、加盟自治体が162カ国の7453に達している。さらに、東電福島第1原発の事故後、「脱原発をめざす首長会議」が2012年に誕生し、参加者は100人(うち元職58人)を数える。
こうした非核自治体運動の発展に「非核ネットワーク通信」が大きな役割を果たしてきたのはいうまでもない。終刊に際して、田上富久・長崎市長が、次のようなメッセージを非核ネットワークに寄せていることからも明らかだろう。
「貴団体におかれましては、29年もの長きにわたり、核兵器の廃絶、東北アジアの非核地帯の形成等を目指すために、市民の立場から日本における非核自治体運動を展開されたばかりでなく、『非核ネットワーク通信』を通じて様々な情報を発信していただきました。長きにわたる活動に敬意を表します」
第200号には、「紙上終刊記念パーティ」欄が設けられ、会員や寄稿者からの手紙が多数掲載されている。それを読むと、同誌の存在が非核自治体運動関係者に力を与え続けてきたかがうかがえる。
「『非核ネットワーク通信』。それは時代に鋭く切り込む上質な専門家の論説であり、一方で名もない市民の汗のにじんだ小文ありで、その調和が何とも親しみやすく、しかし妥協することなく、あるべき市民運動の方向を指し示してくれる信頼のおける羅針盤そのものでした」(水戸喜世子・「子ども脱被ばく裁判)を支える会共同代表)
「『通信』は、私にとって世界的視野に立って物事を考える数少ない出版物の1つでした」(山本良子・元佐倉市議会議員)
「永い期間に一貫して権力側が知らしめないもの、若しくは私たちが知らないことを数多く教えていただきました」(下関市・小野寿夫氏)
「購読を続けるうち、反原発はもとより、反戦、反権力、侵略の歴史などの内容に、だんだん手放せない『通信』となりました。そして、いたるところに人民の側からの真っ当な志を持った方々が居られるのだということが嬉しく、そこに自分の心がつながっていくのを感じました」(下関市・沢村和世さん)
「世の中、反核・反戦・反原発のニュースは多々ありますが、『通信』ほど内容のすぐれたものはありません。いつも、いつもその努力に感謝感激してきました」(飛鳥井佳子・京都府日向市議会議員)
まさに、「非核ネットワーク通信」は非核自治体運動にとって羅針盤のような、あるいは灯台のような存在だったということだろう。
これらの手紙とともにこの欄にあふれるのは、この『通信』の編集・発行を主として担ってきた西田勝氏と、谷本澄子さんへの感謝とねぎらいの言葉である。歴史家の色川大吉氏は、こう書く。「いまや全国各地の市役所、町役場に『非核自治体宣言都市』の看板が立てられるようになりました。私が住む山梨県北杜市の役場のまえにも堂々たる看板が立っています。それを見るたびに貴兄の顔が思い浮かびます」
「九条の会発起人9名の内物故者が6人を数え、また戦前戦中の暗黒日本を知る多くの人が消えんとし、安倍、小池、前原など戦時日本さえも賛美する輩が大手を振るい、この国の先行きが懸念される今日、本誌が200号を以て幕を引く由、残念!」
「紙上終刊記念パーティ」欄 に載っている村上達也氏(元東海村村長・脱原発をめざす首長会議世話人)の言葉だ。
なのに、終刊である。第200号に掲載された「終刊の辞」は「私たちのネットワークも、日本をおおう少子高齢化の大波を避けることができず、残念ながら縮小を続けています。そのような現実に立ち、近い将来、より創造的で、より強力な草の根ネットワークの出現を期待して、ここに幕を閉じるに至りました」と述べている。会員ばかりか、編集・発行スタッフの高齢化が原因ということなのだろう。
近い将来、「より創造的で、より強力な」非核ネットワーク通信は出現するだろうか。ここは、若い人たちの奮起に期待するほかない。
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