多文化主義国家カナダの教育から学ぶ:原京子 Learning from Canada’s Multiculturalism: Kyoko HARA
- 2017年 12月 29日
- 評論・紹介・意見
- 「ピースフィロソフィー」
『月刊 イオ』は、在日コリアンの「1、2世同胞の祖国、民族を想う心を受け継ぐとともに、在日コリアン同胞社会をネットワークしたいという気持ちを込めて1996年に創刊され」た雑誌です。
その『イオ』の10月号に掲載された、バンクーバー9条の会の一員である原京子さんの文を、許可を得て転載します。この記事は、朝鮮学校が高校無償化の対象外とされている差別に対する訴訟が続く中、「民族教育権」についての特集が組まれた一環としてカナダでの体験を原さんが寄稿したものです。
原さんはこの記事で、カナダの「多文化主義」の中で暮らし学校に行く子どもたちのことを綴り、日系の子が弁当にもってきた海苔をからかった子どもが停学処分を受けるといった、レイシズムを防止する教育の徹底ぶりも紹介しています。
カナダの日系人、日本人は全人口の1%ぐらい、カナダにいる多数の民族の一つです。日本に暮らす圧倒的多数派の日本人は、自分たちを「民族」と認識することは日常的にないかもしれませんが、民族教育といえば、日本人こそ民族教育を世界で行ってきています。日本人学校、補習授業校、日本語学校といわれるような学校のことです。文科省が関与していたりプライべートなものだったり、フルタイムの学校だったり週末だけの学校だったりいろいろ形態は違いますが多くは日本のカリキュラムを使用し、日本の教科書を使って勉強して、運動会や文化祭、季節の行事など日本の民族的風習を実践しているわけです。私の住むバンクーバーにも補習授業校がありますが、州の公立学校の一角を借りて運営しています。賃貸料を支払っていると察しますが、カナダの公的資産からも恩恵を受けて日本の民族教育が成り立っているわけです。他の民族教育をやっている少数派民族と同様、その権利は保障され、迫害を受けたり襲撃を受けたりカナダの公的施設を使わすなといった運動が起こったりすることは聞いたことがありません。
もちろん日本における朝鮮学校はカナダや他国における日本人学校や日本語学校とは歴史的背景が全く異なります。世界中にいる日本人や日系人はもともと自分たちの選択でそこに来た人や企業の関係者であることが多いでしょうが、日本にいるコリアンの人たちの多くはかつて、日本による朝鮮半島の植民地支配の歴史の中で生活や仕事のために日本に来たり日本に強制連行で連れてこられたりした背景があるわけです。だから現在の日本においては朝鮮学校は他の民族教育にも増して尊重し、手厚く扱う必要があるのではないかと私は思いますが、実際に日本政府や日本社会が行っているのは、他の民族教育にも増して差別や迫害をしてきているという有様です。日本は朝鮮に対する植民地主義を乗り越えておらず今も続いているということです。本当に恥ずかしいことと思います。
原さんがここでいうようにカナダも完璧とは言えないですが、カナダの多文化教育や、差別をなくす教育の試みが、日本の現在に示唆するものは大きいのではないかと思います。
前文、後文は @PeacePhilosophy の乗松聡子でした。
初出:「ピースフィロソフィー」2017.12.27より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2017/12/learning-fro-multicultural-canada-kyoko.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7228:171229〕
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