再度、志位和夫氏に問う~「日韓合意」をめぐる談話の撤回が不可決~
- 2018年 1月 7日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2018年1月6日
日本共産党も同調圧力に飲み込まれたのか?
「日韓合意」から2年目にちなんだ一つ前の記事で、「こと日韓・日中の歴史問題となると、日本の『進歩的』論者やリベラル政党さえも、日本社会に垂れ込める『同調圧力』に飲み込まれてしまうのか?」と書いた。
この点で、私が今なお、大変不可解に思うのは、「日韓合意」が発表されて以降、今日に至るまでの日本共産党の態度である。
日韓合意が発表された翌日2015年12月29日の『しんぶん赤旗』に志位和夫委員長の談話が掲載された。私が驚いたのは志位氏が談話の末尾で、今回の合意において日本政府が「慰安婦」問題につき、軍の関与を認めて謝罪したことを挙げ、「合意」は「問題解決に向けての前進」と評価したことである。
しかし、「日韓合意」で示された日本政府の謝罪は本当に「問題解決に向けての前進」と評価できるものだったのか?
(1)「日韓合意」から1週間後に『中央日報』が行った世論調査(2016年1月5日の同紙に掲載)で、「安倍首相の謝罪に誠意はあるか」という問いに対し、「ある」が21.5%(内訳:「非常にある」 1.7%、「ある程度ある」19.8%)だったのに対し、「ない」は76.6%(内訳:「あまりない」39.6%、「全くない」37.0%)だった。
志位氏はこのような韓国での世論調査の結果をどう受け止めるのか? 韓国市民の理解不足とみるのか? それとも「そんなはずではなかった」なのか?
(2)「日韓合意」に関して韓国内で反発が強まる中、日韓の市民の間から安倍首相に対して、慰安婦被害者に手紙を送るよう要請されたのに対して、安倍首相は前記のように、「毛頭そのようなことは考えない」と拒否した。
これでも志位氏は「日韓合意」に盛られた日本政府の「謝罪」を問題の解決に資するものと評価するのか? 安倍首相の発言は「問題の最終的解決」にそぐわないと考えたのなら、なぜ抗議なり批判なりを表明しなかったのか?
(3)日本政府からの強い要求で「少女像」の移転に関する一項が「合意」に盛り込まれた。しかし、上記の『中央日報』の世論調査によると、20代では86.8%が移転に反対し、30代でも76.8%、40代では68.8%と、若い世代を中心に移転に反対が圧倒的に多かった。その後の世論調査でもこうした傾向は一貫している。
この点を志位氏はどう受け止めるのか? それは談話を出した後の調査結果なので関知しないということなのか?
そもそも、志位氏は「少女像」が韓国内でどのような経緯で設置されたかを知らなかったのか? 外国公館の近辺にあのような像などを設置することは類似の先例に照らして「ウイーン条約」に抵触するものではないという事実認識が志位氏にはなかったのか?
(注)これについては筆者作成の次の資料(13~14ページ)を参照いただきたい。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kurogen_shozyozou_siryo.pdf
(4)志位氏は、戦争犯罪の反省と継承に「最終的不可逆的」解決~ある時点を以て戦争犯罪を語り継ぐことを封印するという了解~があると本気で信じるのか? そんなことは断じてないというなら、「最終的不可逆的」解決という文言がキーワードになった「日韓合意」を十分吟味もせず、なぜ、早々に「問題解決に向けた前進」などと評価したのか?
(5)河野談話(1993年)では、「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と謳われた。
しかし、日本の高校の歴史教科書では2011年の検定で「慰安婦」関連記述がすべて消え、2015年の検定で「強制連行を直接示す資料は発見されなかった」という日本政府の見解を併記することを条件に、かろうじて1社の教科書に「慰安婦」関連の記述が復活したにとどまる。
これは、日本政府が2014年1月に「教科書検定基準」を改定して、「閣議決定(閣僚会議議決)など政府の統一された見解がある場合には、これに基づいて記述すること」を要求したことの帰結と考えられる。
志位氏は、河野談話とも相容れない、こうした日本政府の歴史教科書検定方針を不問にしたままで、従軍慰安婦問題の「最終的不可逆的解決」があり得ると考えているのか? そんなことはないというなら、慰安婦問題の記憶と継承を封印しようとした「日韓合意」は真の問題解決に向けた「前進」どころか、「逆行」だとなぜ批判しなかったのか?
良心の「北斗七星」を自負するのなら
私は2016年1月28日にこのブログにアップした記事の中で、「日韓合意」に関して「日本共産党への4つの質問」を書いた。
「誤った12.29談話とのつじつま合わせに陥っている日本共産党への4つの質問~『従軍慰安婦』問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(8)~」
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/122948-2d17.html
長くなるので、再録は控えるが、末尾に「日本共産党が今回の日韓合意後も、正しい見地に立って『慰安婦問題』の解決に貢献する運動に取り組むには、合意を『前進』と評価した12月29日の志位談話を撤回することが不可欠である。あの談話の誤りに頬かむりしたまま、合意後に示された韓国の世論、元『慰安婦』の意思とつじつまを合わせようとするから、我田引水の強弁に陥るのである」と書いた。
志位談話を撤回する意思があるのか、ないのか
ここで、改めて志位氏に問いたい。
日本共産党が今回の日韓合意後も、正しい見地に立って『慰安婦問題』の解決に貢献する運動に取り組むには、合意を『前進』と評価した12月29日の志位談話を撤回することが不可欠と私は今でも考えている。
志位氏はあの談話を撤回する意思があるのか、ないのか、ぜひ、答えてほしい。
日本共産党は、戦前の日本共産党の一貫した立場を、自らの立ち位置を測る「北斗七星」にたとえた鶴見俊介氏の言葉を紹介してきた。
また、かつて自民党が党内用の教科書で、「終始一貫戦争に反対してきた・・・・共産党は、他党にない道徳的権威を持っていた」と認めていたとも語ってきた。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-07-15/2013071502_01_1.html
私は道徳に権威は要らないと考えているが、厳しい弾圧と圧迫が吹き荒れた戦中も、天皇を頂点にした国家権力に抗って、非戦と平和、人権と市民の生活擁護のために戦った党員の献身に畏敬の気持ちを持っている。
現在の日本共産党がそうした伝統を自党の「強み」と自負するのなら、戦時に国籍を問わず、無垢の女性を従軍慰安婦に駆り出し、彼女らの人間としての尊厳を極限まで蹂躙した国家犯罪の解決を軽々に扱ったとしか言いようがない志位談話を撤回するのが不可欠である。それをしないで、良心の「北斗七星」を自認できるはずがないし、「他党にない道徳的権威」を自負する資格もない。
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4276:180107〕
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