Robot-Proof: Higher Education in the Age of Artificial Intelligence (MIT Press) 「ロボット時代を生き抜くための高等教育」
- 2018年 1月 7日
- 評論・紹介・意見
- ロボット村上良太
未読だが、こんな本が話題になっているという意味で紹介したい。ビジネスインサイダーというビジネス関係情報のウェブサイトが、ハーバード大学の教授たちに大学生が必読の本を紹介してもらう特集をしており、その何冊かの推薦書の1冊。以下は映像による本書のPR。著者も登場している。テクノロジーの飛躍的進歩を前にして高等教育は変わらなくてはならない、というのが中心的テーマだ。
https://www.youtube.com/watch?v=K1v16COphQM
”Robot-Proof”(ロボット・プルーフ)とは聞きなれない言葉だが、”Water-Proof”(ウォーター・プルーフ=防水)の時計という言葉が人口に膾炙しているように、直訳すればロボットを防ぐ、という意味合いになる。その意味から考えると、ロボットが人間の労働を奪う時代が本格的に訪れても、それに耐えられる労働者を育てるための基礎となる高等教育とは何か、ということを論じているらしい。
ロボットがどの程度、人間の仕事をこなすかは未だはっきりとした数字はなく、様々な論が出ている。しかし、はっきりしているのは大きな変化が起きる、ということと、人間とは何か、ということが逆に問われる時代が来るだろうということである。現代の先進国を見ると、基本的には単純作業の累積なのだが、それらを大量に素早くケースバイケースで処理しなくてはならないタイプの最低賃金的な仕事が少なくない。これらの分野はロボットに代替されるのだろうか、それとも引き続き人間が作業するのだろうか。ロボットと言えば一見、単純作業を割り当てられるように思われてきた。たとえば切符に穴をあけるようなタイプの作業である。だが、むしろ、こうした単純作業の分野よりも人工知能(A.I.) の飛躍的発展によって今後は熟練工とか、教職員、職人、翻訳家・通訳、高度技術者のようなより労賃の高く専門的な分野の作業が少なからずロボットに代替されるのではないだろうか。だから、そうした場合に人間はロボットとどう共生すればよいのか。そしてそのためにはどんな教育を受ければいいのか。
以下はAmazonの本書の紹介文。膨大なデータを処理するためのデータリテラシーとか、テクノロジーリテラシー、さらにそれと並んでヒューマンリテラシー(人間とは何か、コミュニケーションとは何か、デザインとは何か)と言った3分野の新しいリテラシーの教育がロボット時代の高等教育において大切になると言っているようだ。出版はマサチューセッツ工科大学(MIT)出版による。
著者のジョセフ・アウン(Joseph E. Aoun)は言語学者で、ボストンにあるノースイースタン大学の学長だそうだ。本書で彼は未来の世代を大学で育成するにあたって社会が求めているものをどうつかんでそれを創り上げるかといった創造性や需要を感じ取るセンスと言ったものを磨く必要があると考えているようだ。つまり、それこそがロボット・プルーフな労働の領域だという事だろう。さらには大学という社会の機構が単に若者が学位を習得する、という役割を超えてあらゆる年齢の人々がその時々の必要を満たすために何度でも戻って来る場であるのだという。というのもロボットは日進月歩で進化するからだ。人間が努力をしなくなればロボットとの差は縮まるばかりだ。
Lifelong learning(生涯教育)という言葉は日本でもよく耳にするが身近なところで本当にこれをやっている人はほとんどいない。日本での意味合いはほとんど定年退職後の趣味という意味でしかない。現役時代に繰り返し学びなおす、という習慣はまったくないに等しく、そのことが日本が他の先進国に商品開発力や新発明、あるいは新たな制度設計などで大きく差をつけらている原因になっている。たとえば都立大学を都民の多くが通うことが難しい地域に移転させる、と言ったように知的な環境をこの40年来、壊し続けてきた。書店も多くの町から消えうせた。そのつけは今後、さらに広がっていくだろう。つまり日本がロボットに弱い国家に向かっているということである。日本は一見ロボットに強そうな国家に見えるが、それは一握りのロボット開発者の話であり、多くの労働者は脆弱になりつつあるようだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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