「今はむしろ背後の鳥を撃て」(吉本隆明)
- 2018年 1月 11日
- 交流の広場
- 一人負彦
箒川様 御回答承りました。ありがとうございます。申し訳ありません。加藤周一はきちんと読んだことがありません。今度機会があればぜひ読みたいと思います。
さて、前回の投稿ですが、問題提起の積もりでいささか挑発的な文章になっていました。今回はストレートに一人負彦自身の意見を述べようと思います。
1 オバマは広島で「死が降ってきた」と原爆を自然現象に喩えました。これは諦め好きの日本人の感性にピッタリ来るものでした。しかし、「唯一の」被爆国の国民は「絶対悪」としての原爆の実行国を相手が謝罪するまで告発し続ける義務があるのではないでしょうか。将来「最後の」被爆国となるために。
2 自衛隊が有事においてアメリカ軍の指揮下に入ることはすでに明白です。日本への攻撃は在日米軍基地への攻撃と同義であり、日本の安全保障の責任は日本政府ではなくアメリカ政府にあるというべきです。1952年の「主権回復」はフィクションです(ちなみに私はこの年に生まれました)。沖縄にとっては未だにドリームです。占領体制がまだ続いていると見れば全て辻褄が合います。占領下に制定された現憲法9条の戦力の不保持は、捕虜が武器を持てないのと同じで単なる禁止にすぎず、それを理想として敬うのは欺瞞です。日本人は根性を自覚すべきです。奴隷根性を。オバマは先の言葉の次にこう続けたかったに違いありません。「けれども日本よ、そのあとに民主主義と平和が降ってきた」と。
3 天皇自身が象徴の務めとして韓国の元従軍慰安婦の所へ訪問すべきだと思われているとするならば(おそらくそうだと信じたいです)、日本国民はその壁になるのではなく後押しをすべきではないかと考えます。
4 明治憲法が帝国議会で廃止の議決を受けた事実はありません。定義の問題ではなく事実の問題です。なお、憲法学会の通説として8月革命説がありますが、現憲法は前々回に書いたとおり明治憲法の改正規定に基づいて天皇が発議しており、8月のポツダム宣言の受諾により革命が起きたとみなすなら天皇の発議自体が不可能のはずです。
5 政府だけでなく天皇も学者もジャーナリズムも一様に戦争の「反省」を口にしてきましたが、あくまでも「先の大戦」に限定されて語られています。しかし、現憲法前文の「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という精神を尊重するなら、琉球処分、台湾割譲、日清・日露戦争、韓国併合、満州建国等の「政府の行為」は当時の国際法上合法か否かに拘わらず「反省」しなくて良いのでしょうか。
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