公共の空間は公共のもの。過剰な規制に異議あり
- 2018年 1月 25日
- 評論・紹介・意見
- ちきゅう座会員村尾知恵子
去る1月8日の土曜日は成人の日であった。私の近所の武蔵野市民文化会館でも、着飾った新成人が集う成人式が行われた。参政権はすでに付与されているが、新たな権利やら義務やらあれこれと行使できるようになるのだからひとつの節目であることには違いない。そこで一言「おめでとう。がんばってね」と声をかけたいのと同時に、この20年間、日本の若者(15~24歳)の自殺率が上昇を続け世界トップになり、非正規雇用ばかり増えて不本意な働き方を強いられ、さらに戦争をあおるようなきびしい現実にも目を向けてもらいたいという強い思いにかられて、「軍事費より福祉や教育に税金を!」「武器輸出反対」「実質賃金は右肩下がり!」などのプラカードを掲げて友人ら3人でスタンディングを行った。どんな言葉なら若い人に届くのか分からず不安も大きかったが、まずは伝えようと心に決めて行動した。
開会までの30分ほどの短い間だが、会館の前には大勢の来場者でごった返していて、歩行者や自転車も通るためガードマンが交通整理をしていた。私たちは会館正面の車道に最も近い歩道に立ってささやかにアピールしていたのだが、正直それほど気に留めてもらえたわけではない。
それでもプラカードをカメラに撮ってくれた若い人も二人ほどいたことに自己満足しつつ帰ろうとしたその時、会館の管理責任者がやって来ていうには、「ここは会館の敷地だからこういうことはやらないでもらいたい」とのこと。この予想外の言い分には驚かされた。こちらは歩道でスタンディングしているつもりだったからだ。確かに建物の周囲には塀とか門はなく、車道までが敷地だと言われてみればそうかもしれないのだが、片側1車線の車道に歩道も両側についた街道で、会館の前もふだんから普通に歩行者も自転車も行き交っているので立派な公道としての歩道が機能しているし表示板もある(一番下の写真)。全くおかしないいがかりであったが、こちらも帰るところだったので一応抗議するにとどめて引き揚げたのである。
しかし納得できないことをそのままにしておけず、後日、会館側と話し合いを持つことにした。そこでの説明は「車道まで会館の敷地であり、車道側から何メートルかまでは歩道として利用できるようにしている。しかし、敷地内として管理するので歩行者と自転車の通行以外の行為は許可していない。ひとつを認めるとあれはどうかこれはどうかとなり判断が難しくなって困るので認めていない。今回の行為の内容や主張を問題にしているわけではない」といったものであった。
だが、敷地の管理権があったとしても、公共の用に供する「歩道」として提供している限りは、世の中一般に公道上で認められている行為を規制したり排除したりすべきでなく、公共の空間として自由に表現したり、訴えたりできる場として保証しなければならないだろう。公道でのビラ配りや街宣行動、あるいは路上ライブなどは、著しく通行に支障をきたさない限り許されるのは社会通念上当然で、判例もあるはずだ。もしこれを不当不正に規制すれば、市民活動の抑圧となる。まして会館は公共施設であって多くの市民が集う場所である。
「敷地内では勝手なことはさせない」といった全く浅薄な管理者的発想、機械的な反応で市民活動を圧迫されては困るのだ。公共の歩道として広く認知されている場所で、これまた広く認められている行為を安易に排除することは許されるものではないだろう。むしろ公共施設の周辺は人々の集まる広場的な空間として意識的に育てていく発想が必要なのではないか。
人々が行き交い集う場所で多様なアピール行為、表現行為が発生するのは全く自然なことで歓迎すべきことであり大切にされなければならない。これを抑圧すると社会全体に閉塞した状況が生まれかねない。そうしたことが回り回って若者を死に追いやっていく状況につながっているのではともいえるだろう。
そうした趣旨で縷々説明したものの、その場では十分納得してもらえず物別れに終わった。また、後で市役所とも電話で話したところ、会館と同様に歩道部分は通行するだけの場所という答えでラチが明かなかった。そう言っているのが市民活動推進課という部署なのだからあきれてしまうが、これからもあきらめず主張していきたいと思っている。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7297:180125〕
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