米国の戦後外交を踏みにじるトランプ - 大使館移転に次ぎ難民支援凍結を宣告 -
- 2018年 2月 6日
- 評論・紹介・意見
- イスラエルトランプパレスチナ坂井定雄
昨年12月に、イスラエルが要請し続けてきたテルアビブからエルサレムへの米大使館移転を宣言したトランプ米大統領は、世界各国とくにパレスチナ人の激しい抗議行動に対抗して、70年近くにも及ぶUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)予算の約3割を占める米国の拠出分担金支払いを1月から凍結すると発表した、これについてUNRWAトップのピエール・クレヘンビュール事務局長は1月19日、次のように朝日新聞との会見で述べたー「米国の決定は有害であり、深く失望した。UNRWAは過去最大の財政危機だ」「約50万人の生徒がUNRWAの学校に通い、年間数百万人がUNRWAの診療で治療を受けている」「政治的な対立があっても、人道支援の拠出金を圧力に使うべきではない」
UNRWAは、1947年の国連「パレスチナ分割決議」の直後のイスラエル建国宣言、第1次中東戦争によって発生した多数のパレスチナ人難民を支援するため、49年に国連が設置した機関。分割決議の成立、イスラエル建国と戦争支援には米国が大きな役割を果たした。その後の第3次中東戦争(67年)ではイスラエルが東エルサレム、ヨルダン川西岸まで占領地を拡大、新たな難民が発生した。さらに第4次中東戦争(73年)の停戦交渉も米国が調停した。
その後イスラエル占領地では、パレスチナ人の抵抗闘争が激化する一方、政治解決をめざすパレスチナ人の政治機関PLO(パレスチナ解放機構)への国連はじめ国際的認知が拡がった。そして93年、ワシントンでクリントン大統領の下、ラビン・イスラエル首相とアラファトPLO議長がパレスチナの暫定自治宣言に調印した。パレスチナ側は将来独立後のパレスチナ国家の首都を、第3次戦争でイスラエルが占領した東エルサレムを返還させ、首都とすることを表明した。
このように、第2次大戦後のパレスチナ紛争の経過では、米国はイスラエル支援では一貫しながらも、紛争の調停役をつとめた。また増え続けるパレスチナ難民対策でUNRWA経費の各国別負担では第1位を担い続け、パレスチナ紛争への発言力を確保してきた。国連はエルサレムをイスラエルの首都とは認めず、テルアビブを首都としてきたし、米政府もエルサレムを首都とは公認せず、イスラエルの強い要求にもかかわらず、テルアビブからエルサレムへの大使館移転を引き延ばしてきた。
しかし、トランプ大統領は就任1年を期すように、エルサレムを首都として公認宣言し、1年以内の大使館移転を発表したのだ。それに対し、パレスチナでは直ちに激しい抗議デモが拡がり、世界各国にも拡がった。パレスチナ自治政府は、トランプが派遣したペンス米副大統領との会談を拒否した。トランプは逆に、UNRWAへの拠出金の支出凍結を発表したのだ。
UNRWAは、パレスチナ(難民登録ガザ130万人、東エルサレムと80万人)のほか、パレスチナ難民が多く住むヨルダン、レバノン、シリアを含め合計約530万人の難民支援活動を続けている。食料、医療、電気代など生活支援、学校運営費など。やっと生きていけるだけの援助だが、パレスチナ人の子供たちは熱心に勉強している。
UNRWAによると、昨年1年間の援助の総額は、約12億4千万ドル。うち米国の拠出額は1位で、約3億6千万ドル。米国に続くのは、その半額以下のEU,サウジアラビア、ドイツ、英国。日本は7位の4千万ドルだった。米国が拠出停止は、直ちにパレスチナ難民の生活に深刻な影響をもたらす。UNRWAは、EU,サウジアラビア以下の拠出国に支援を求めるしかないが、まだ、拠出増を表明した国はない。
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