立春寒波 -新宿連絡会おにぎりパトロール
- 2018年 2月 9日
- 評論・紹介・意見
- ちきゅう座会員村尾知恵子
4日のおにぎりパトロールには、在日ベトナム人尼僧が、在日ベトナムコミュニティーに呼びかけて集めたシュラフを、数人の在日ベトナム人の人々と共に30個ほど持ってきて路上の人達に提供してくれた。あまりの寒さに路上生活者を気遣ってのことで、山谷や上野でもすでに実施したとのこと。また、日本の貧困問題に関心を持つフランス人の研究者も参加した。彼女がこれまで日本の貧困問題を見てきての感想は、生活困難の人ほど自分の力でなんとかしようと考えすぎており、例えば生活保護の申請をためらう人が多いのは、社会保障が権利として定着しているフランスからみると理解しにくく、つらくてとても残念だとのことである。
ところで、いつも路上の人に手渡している呼びかけチラシ(後掲)では、札幌の火災で亡くなられた方を仲間として追悼している。1月31日に、日雇い労働者や生活保護の受給者、高齢者の暮らす札幌市の自立支援住宅の火災で11人もの入居者が亡くなった。あ~あ~また・・・言葉を失う。昨年も5月に北九州市小倉区で6人が、8月には秋田県横手市で5人が亡くなっている。いずれも築50~60年の老朽化した木造住宅で、障害者、足の不自由な高齢者らがまとまって暮らしているアパートだ。火災の度に安全な住居の確保が急務とされるが、しっかりした造りの公営住宅を増やしたり、必要な生活支援サービスの提供など具体的な政策は全く提示されない。
賃貸住宅全体の数は減少傾向にある中で、とりわけ生活困窮者、生活保護利用者は一体どこに住まうところを見つけられるのかと不安を訴えている。
札幌の火災が起きた翌日のNHKクローズアップ現代では、「高齢者の住まいの貧困」が報道された。建て替えなどで大家さんから退去を求められ、途方に暮れている高齢者の実際の話だった。貸し手が孤独死を回避したがるとか、保証人を立てられないなどで低家賃のアパートは容易に見つけられない。80歳男性は「首でも吊っちゃおうかなと思った時もあった」という。他の男性は、一時は自動車で暮らしていた。ホームレスになるのかとも思ったが、支援団体に繋がり日常生活を取り戻した。88歳の女性は退去時期を猶予され、今も不動産屋さんを回っては次の住まいを探しているが、条件に合う物件はなく断られ続けている。「長生きしたのが悪かったのかなとつくづく思っちゃう」と、繰り返し自分に向けて問う。見ているのが辛く息苦しくもなるが私たちに問われていることでもある。
以下は、当日のパトロールで手渡したチラシの写真と、本文の書き起こしである。
『立春寒波』
引き続き低温の冬が続きます。無理せず、防寒もしっかりと。今度の日曜日は鍼灸相談会が高田馬場事務所であります。
仲間たち。
今季二度目の大雪注意報は、一度目に比べれば、そう積もることもなく、軽いものであったが、深夜の冷え込み、深夜の雪と云うのは、外で寝ていれば体力を確実に奪っていく。今期は雪が降って、気候が少し緩むと云うことはなく、今度は、「立春寒波」などと呼ばれる寒波にすっかりと日本列島は包まれ、今週もまた最低気温は氷点下近く、最高気温も10度に届かずの真冬日が続く。引き続き最大限の警戒心を持ちながら日々を過ごしていこう。
そんな緊張感の中、札幌では木造3階建ての生活保護施設が焼け、11名も逃げ遅れ亡くなると云う大惨事のニュースである。管理者側の防火体制の不備が指摘されているが、木造は火の手が早い。いざと云う時に、どう逃げるのかを常に意識して行かないと命もまた短くなる。俺らが住める場所なんて、「安かろう悪かろう」の「場所」であったり、「施設」であったり、「アパート」でしかない。高齢者施設の整備は一時期に比べれば進んでいるが、単身であるとか、低年金や、生活保護であると、極端に受け皿は少なくなり、すぐに奪い合いになる。なので、自分の命を守るためには自分の収入の範囲内で色々と苦労や出費をしなければならない。そんな時代である。顔も知らぬ、遠い地の出来事であるが、俺らと同じ立場で亡くなられた方々を、心より追悼したい。
ダンボールやブルーシートもまた火の手は早い。20年前の西口地下広場の事故では4名が逃げ遅れ、亡くなっている。自分が生き残るための、「自主防衛、自主避難」の意識をどこで住もうとも、持っていてもらえたらなと思う。
●新宿農場「いろりん村」便り
ご無沙汰です。寒い冬ですね。東京でも-4度とかのニュースを聞いていると、野宿の人には冗談抜きで凍死せぬよう気をつけて欲しいと願うばかりだ。
越後の山中にあるいろりん村はすっかり雪。現在の積雪は約3メートル。雪国を知らない人にはウソのようだろうけどホントの話。そんなところで一体どうやって暮らしてるんだ?ってよく聞かれるけど、備え有れば憂いなしのたとえのとおり、毎年のことだからそうは困らない。地域の除雪体制は行き届いていて、行動は大型の除雪車がやって来るからバッチリだ。でも積雪が4メートル近くになると家はすっぽりと雪に埋もれてしまう。そうなったら家を掘り出すしかない。だからこのあたりでは「雪かき」ではなく「雪堀り」と言うんだそうだ。昔はもちろん人力作業だったけど今では部落に共有の投雪機があるからそう大変でもない。
昨年に完成となったいろりん村の宿泊棟の雪堀りに先日、勇気ある三名が来てくれた。二名はそれなりに楽しんだようだけど、一名は「二度と冬は来たくない」と言っていた。それでも「雪景色は本当にきれいだね」とも言ってくれた。そう、家も田んぼも森も山も一面を真っ白に埋め尽くした雪景色はいいもんだ。それにさ、春の来なかった冬なんて今まで一度もないんだな。春は必ずやってくる。いろりん村にも、新宿の路上にも。また今年も会いましょう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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