「日本の福島化」:法的クーデタと評される集団的自衛権の行使容認の閣議決定(2014年7月)も原発事故後のどさくさ紛れの法的なクーデタに比べれば屁の河童
- 2018年 2月 11日
- 評論・紹介・意見
- 柳原敏夫
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311以後の、秘密保護法の成立、集団的自衛権の行使容認の閣議決定、安保関連法(いわゆる戦争法)の成立、共謀罪の成立‥‥と次から次へと政府の強引な政治運営に対し、
一般市民から、《私たちの社会は、 原発事故後 、 人が助け合えず、力でもって脅かされる、 そんな方向へ向かっている。 》という感想が寄せられ、
学者から、《従来の憲法解釈の変更と称して、集団的自衛権の行使ができる場合があるとした2014年7月1日の閣議決定は法的なクーデタである》(毎日新聞記事)というコメントが寄せられています。
これらは冷静な人なら誰もが眉をしかめるような異常な出来事の連鎖です。しかし、3.11の原発事故の2度目の事故(※)から見たら、これらはむしろこの事故時の必然の展開なのだと合点が行きます。
日本政府は、平時であれば法治国家として決してできないことを、事故時という緊急事態の中で、様々な政策決定を、超法治国家としてどさくさ紛れにアクロバットとしてやってのけたのであり、原発事故がもたらした政治経済体制の危機を前にして法的なクーデタというルビコン川を渡ったからです。一度、犯罪に手を染めた者にとって、二度目、三度目の犯罪は容易に実行可能に変貌するように、一度、法的なクーデタを犯した政府にとって、二度目、三度目の法的なクーデタは屁の河童である。
その法的なクーデタの典型が原発事故から1ヶ月余りが経過した4月19日、文科省は福島県の学校の放射能安全基準を20倍に引き上げる通知です。その通知の冒頭に書いている通り、文科省の安全基準変更の根拠は、国際放射線防護委員会(ICRP)(※1)の2007年勧告に基づくものです。
しかし、もともと国際放射線防護委員会(ICRP)は国連の公的な機関ではなく、民間の一団体にとどまります。そうした民間団体の勧告が日本国内で正式に取り入られるためには、日本政府が取り入れるかどうかを審議して正式な決定を経る必要があります。ところで、ICRPの勧告は1990年に公表された勧告が1998年に放射線審議会で審議の末、正式な決定を経て、日本国内に取り入れられました。しかし、文科省が今回の通知で根拠にしている2007年勧告は、2011年4月時点で(現在も同様ですが)、日本国内に取り入れるかどうか審議している最中で、まだ正式な決定に至っていません。従って、このような勧告を国内の法秩序として盛り込むことは法治国家としては許されません。しかし、文科省は法治国家として許されないことを重々承知の上で、日本国内に取り入れられていないICRPの2007年勧告に基づいて通知を出したのです。これは法的クーデタ以外の何物でもありません。
その上、文科省はICRPの2007年勧告に基づいて通知を出したと言いながら、2007年勧告の重要な内容となっている「防護の最適化の原則」(※2)と「正当化の原則」(※3)は今回の通知では無視しました。つまり2007年勧告に基づいたと言いながら、文科省にとって都合のいいところだけツマミ食いしているのです。都合のいいところだけツマミ食いすること自体も法治国家として許されることではありません(以上の詳細は、子ども脱被ばく裁判の原告準備書面29参照)。
第2に、文科省の今回の通知は「安全基準値の引き上げに関する大原則」にも違反します。「安全基準値の引き上げに関する大原則とは、
「危機管理の基本とは、危機になったときに安全基準を変えてはいけないということです。安全基準を変えていいのは、安全性に関する重大な知見があったときだけ」である(昨年11月25日「第4回低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」での児玉龍彦氏の発言〔21分~〕)
つまり、
基本原則1: 危機になったときに安全基準を変えてはいけない。
基本原則2:安全基準値の変更が許されるのは、「安全性に関する重大な知見があったときだけ」「安全についての新しい知見が生まれた」(甲120号証。児玉龍彦VS金子勝「放射能から子どもの未来を守る」157頁)ときだけ。これは、今まで法学者は取り上げてこなかったものですが、人々の命と健康を守るための人権上の大原則を意味します。
しかし、文科省の今回の通知は、「安全性に関する重大な知見があった」訳ではないことが通知を読めば明らかです。従って、この点からも文科省の今回の通知は、人権の大原則を踏みにじった重大な人権侵害行為です。戦後70年近く、民主主義国家・法治国家の一員として歩んできた文科省がこんなアクロバットのような通知を出したことは一度もなかったと思います。 もし裸の王様をわらう子どもが文科省の今回の通知を見たら、この子はどう言うでしょう。きっと、--それは空中四回宙帰りのアクロバットだ。正真正銘の法的なクーデタと呼ばなければ、どう呼んだらいいの?」
この311直後の法的クーデタが、その後に秘密保護法、集団的自衛権行使容認の閣議決定、戦争法、共謀罪‥‥と次から次へと出現する法的なクーデタのパレードの「源泉」となっています。一度、ルビコン川を渡り、法治国家としてタガが外れてしまった日本政府は、政治経済体制の危機を前にして半ば焼けクソで放置国家として邁進中で、容易にあと戻りしないからです。
その結果、非人間的な扱いを受け、いわれのない苦しみの中に置かれて来た最大の被害者は、言うまでもなく、自主避難したか、しないでとどまったかを問わず、汚染地の子どもたちと住民です。
この事態に対し、私たちは何が必要なのでしょうか。その答えは単純明快です。
311以後、事実の闇と法の闇に覆われた日本社会に再び真実と正義を回復し、光を取り戻すことです。
そのためには、311以後の法の闇の諸悪の「根源」に立ち戻り、この根源を断ち切ることが必要です。そして、その重要な1つがチェルノブイリ法日本版という人権法の制定です。
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(※1)国際放射線防護委員会(ICRP)がやってきたことを知るには、以下が有益。中川保雄著『放射線被曝の歴史』→その目次と「序にかえて」
(※2)防護の最適化の原則とは、
《被ばくする可能性,被ばくする人の数,及びその人たちの個人線量の大きさは,すべて,経済的及び社会的な要因を考慮して,合理的に達成できる限り低く保たれるべきである。この原則は,防護のレベルは一般的な事情の下において最善であるべきであり,害を上回る便益の幅を最大にすべきである,ということを意味している。」と説明し、その重要性を強調している》(2007年勧告(203))
(※3)正当化の原則とは、
《放射線被ばくの状況を変化させるいかなる決定も、害より便益を大きくすべきである。この原則は、新たな放射線源を導入することにより、現存被ばくを減じる、あるいは潜在被ばくのリスクを減じることによって、それがもたらす損害を相殺するのに十分な個人的あるいは社会的便益を達成すべきである、ということを意味している。》(2007年勧告50頁(203))
初出:「柳原敏夫のブログ・壊れゆく日本 日本捕囚」2018.01.28より許可を得て転載
http://darkagejapan.blogspot.jp/2018/01/blog-post_50.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion7347:180211〕
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