住居(すまゐ)をめぐる階級闘争――ブルガーコフ『犬の心臓』解説者に問ふ――
- 2018年 2月 18日
- 評論・紹介・意見
- 千葉大学名誉教授岩田昌征
去年の11月20日と11月21日に「評論・紹介・意見」欄で論じたテーマをここであらためて再論したい。
ミハイル・ブルガーコフ著『犬の心臓』の訳書が手元に二種類ある。一冊は新潮文庫の増本浩子他訳、平成27年・2015年。もう一冊は河出書房新社の水野忠夫訳。初版は昭和46年・1971年だが、平成24年・2012年に沼野充義の解説が新しく付けられて、復刻新版初版が出ている。
本書から空想医学小説的・メディカルサイエンスフィクション的面白さを除いて、社会的・経済的・政治的内容を取り出せば、それは、絶対的無産者が有産者に仕掛けた住居(すまゐ)をめぐる階級闘争である。
1920年代初めのモスクワ、超一流外科医プレオブラジェンスキー教授がカラブホフハウスと呼ばれる豪華アパートに7部屋を所有し、仕事をし、生活している。当時のモスクワは十月革命後の内戦後遺症が重く、ゴーリキーの『どん底』様の集団生活も保証されなかった多くの路上生活者・ホームレスがいた。小説では野良犬で表象されている。ある時、教授は、研究材料として、また慈善心もあってか、一人のホームレスを自分の住居に連れて来て、食事を与え、住まわせる。シャリコフ(あるいはコロフ)と呼ばれるこの極貧の人物は、大変に感謝感激する。
時代はまさに内戦に勝利したボリシェヴィキがボリシェヴィキ流の社会経済政策を強行し始めていた。その一つが住宅政策である。彼らは大邸宅に住む富裕者に強制して、何部屋かを供出させ、そこに赤の他人の数家族が居住するようにさせた。そのような住宅政策をカラブホフハウスの現場で遂行している人物がシュヴォンデルなるボリシェヴィキ活動家である。
シャリコフ(コロフ)は、教授の好意で路上生活から脱出出来たにもかかわらず、活動家シュヴォンデルに感化されて、ボリシェヴィキ化し、教授の恩を忘れ、当然の権利として一区画を自分の占有として要求するに至る。「ほら見てくれ。おれはこの住宅組合の一員として認められているんだよ。プレオブラジェンスキー教授が世帯主になっている五号室におれの居住権が認められていて、8平方メートルがおれのものなんだ。」(新潮文庫、p.170)
住宅無産者が住宅有産者に仕掛けた階級闘争は、差し当たり、無産者の勝利で終わったか
にみえる。しかしながら、小説『犬の心臓』では、プレオブラジェンスキー教授は、果心居士さながらの幻術、摩訶不思議な医術を用いて、シャリコフ(コロフ)を元通り教授に恩を感じる「真」人間に戻すのに成功する。
教授は7部屋の防衛に成功する。シュヴォンデル等ボリシェヴィキの目論見は挫折する。『犬の心臓』は1925年に書かれ、発禁となり、ペレストロイカの始動後、1987年にソ連で公刊された。
私=岩田が21世紀的関心をもって読んだのは、両書の訳者解説である。両解説に共通するシャリコフ(コロフ)への拒絶感がある。同時に明記されてはいないが、プレオブラジェンスキー教授への共感が感じられる。
増本の解説に言う。「善良な犬のコロ(シャリク:岩田)から悪党のコロフ(シャリコフ)が誕生する。・・・。・・・。革命によって無数のコロフたちが登用され、権力の座についていたのに対して、プレオブラジェンスキー教授のような人々は粛清されるか、コロフたちの支配下に置かれることになってしまったのだった。」(pp.381-382)
沼野の解説に言う。「『犬人間』(シャリコフ:岩田)は粗野で下品このうえなく、革命政権の手下であるアパート管理委員会のシュヴォンデルとともに、旧体制インテリのプレオブラジェンスキー教授と対立する構図がくっきりと描き出される。」(p.216)
両者ともにシャリコフ(コロフ)を悪党であり、粗野で下品であると拒絶感を表明している。それはシャリコフ(コロフ)を感化したボリシェヴィキのシュヴォンデルにも投影されよう。
このような人間論が1989-1991年のソ連東欧党社会主義体制大崩壊以前に執筆されたのであれば、私=岩田もまた納得出来たであろう。実際の所、2015年と2012年に書かれている。国公有住宅の私有化と再私有化が開始されてから、すでに20年余過ぎている。その過程でポーランドでもセルビアでも、――また私が研究対象としていないロシアでも、おそらく――大邸宅を回収出来た人々とそれまで長年慣れ親しんでいた住まいから追い出された人々との両端的社会状況が出現した。『犬の心臓』で描き出されたとは反対方向の社会的事件である。全国の居住面積を一定とすれば、路上生活者や地下蔵生活者の数が減る方向から増す方向へ、住居を持てる者の人数が増す方向から減る方向へ、一人当たり居住面積が減る方向から増す方向へ、従って、居住空間の質の向上する方向へ。かつては、シャリコフ(コロフ)やシュヴォンデルが悪党、粗野、下品であったとすれば、21世紀のはじめは、プレオブラジェンスキー教授一党が悪党、粗野、下品とならざるを得ない場面が出て来た。ポーランド文学の研究の大家でもある沼野は、とっくに承知だと思うが、今日、ポーランドの再私有化は、ポーランド民衆から「粗野な再私有化」と呼ばれ、「粗野な再私有化」は再私有化ビジネス「悪党」を無視出来ない数で生み出している。
流石、ブルガーコフは、プレオブラジェンスキー教授が時処位が異なれば、悪党として振る舞う可能性を『犬の心臓』の中で明示している。例を出しておこう。こんな言葉を吐く人物にもまた悪党の、すくなくともかけらを見ずばなるまい。
「往復書簡集だ。あの、エンゲルスとあいつ(カウツキー:岩田)との・・・。かまどにくべてしまえ!」(新潮文庫、p.163、 強調:岩田)
「シュヴォンデルのやつ、真っ先に縛り首にしてやる!本気だぞ!」(p.163、強調:岩田)
「シュヴォンデルのやつ、必ず撃ち殺してやる。」(p.171、強調:岩田)
かくして、再私有化に抵抗しつづけた主婦ヨランタ・ブジェスカが2011年3月1日にワルシャワ郊外の森で生きながら焼き殺される悲惨事さえも起こることになる。
現在、ポーランドにおいてワルシャワの「現代劇場」と小都市グリヴィツの「市立劇場」で二劇団がドラマ『犬の心臓』を競演している。文学的・芸術的関心だけによってではなく、アパート・マンション等不動産の旧所有者と正統な相続者への返還、いわゆる再私有化がポーランド民衆にもたらした悲惨に対してようやく湧き上がって来た社会的抗議に対抗する再私有化受益層による自己正当化弁明、すなわち「住宅を失った奴等は元来シュヴォンデルやシャリコフ(コロフ)の子供達や孫達なのだから、追い出されて当然だ。」と言う形の正当化意図によっても、ドラマ『犬の心臓』が競演されている可能性は、有りや無しや。
平成30年2月16日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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