経済主体抜きの経済思想論議
- 2018年 3月 30日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
新自由主義云々という論題に期待して出かけては、まるで雑誌の中吊り広告のように、大きな論題にささやかな内容でがっかりして帰ってくる。ときには欧米の著名な学者の話題の本の批評のような話だったり、地域社会というのか町おこしや、地域コミュニティの活動報告だったりで、掲げた新自由主義がどうのという論題はどこにいったのかと揶揄したくなることさえある。
先生によって多少視点の違いはあるにせよ、どれも似たような内容で、グローバリゼーションという言葉から始まって、それが生み出している見えた問題の、現象としての話から一挙に地域社会の町おこしに話がとんで、あげくのはてがコミュニティ活動でグローバリゼーションの問題解決をという話で終わる。
それは、せいぜい新自由主義が生み出している問題を云々するまでで、新自由主義などという経済思想が生まれざるをえなかった歴史的経済背景――それを必要とした経済主体の話がない。その視点なしでは、新自由主義という景色を遠くから眺めたぼんやりとした理解までで終わってしまう。そんな話、いくら聞いても、それで?という問いが続くだけで、あらためて何か分かったという気がしない。
巷の一勤労者としての社会経験しか持ち合わせていないものには、不勉強を棚に上げての話しで恐縮だが、国際経済学と地域コミュニティから新自由主義を説明されても(説明しているのか?)、ピンとこない。
新自由主義は経済学者や研究者が彼らの理論展開から思いついたことでもなければ、政府が発案したものでもない。それは、資本主義の発展によって至った経済的、社会的行き詰まりを打開しなければというある特定の経済界の必要に応えるかたちで、御用学者が創作した経済思想の一つにすぎない。
その経済思想を必要としたのは、アメリカの(特定の)経済界であって、ヨーロッパでもなければ日本でもない。まして中国をはじめとする中進国でもなければ発展途上国でもない。アメリカの経済界が自分たちの都合のいい新しい金儲けのルールを言い出して、それを、御用経済学者が経済政策や金融政策から人々の日常生活に至るまでを包括した社会通念や文化として一つの経済思想体系に作り上げて、世界中に押し付けてきたもの(Globalization)でしかない。
新自由主義が時の言葉として社会的な影響を持つようになったのは八十年代ではないかと思うが、そんなことが言われだすはるか前から地球規模でビジネスを展開していた巨大産業がアメリカ経済の中心にあった。石油メジャーはすでに多国籍化して世界を支配いたし、経済規模は小さいにしてもアメリカの映画産業や娯楽産業はアメリカ文化を世界標準の地位に押し上げていた。もっとも製造業の雄であるアメリカの自動車産業は必要にして十分な北米市場のなかで安穏としていて、ヨーロッパもアジアも重要市場とは考えていなかったが。
あらためて新自由主義など必要としない産業界も多いなかで、アメリカのどの産業界が資本主義の古代帰りのような経済体系を必要としたのか。アメリカの産業構造の変遷をみれば説明がつく。戦後ヨーロッパと日本が復興して、アメリカの一般大衆消費財(民生材)の製造業が市場競争力を失っていった。テレビを例にみればわかりやすい。アメリカの企業がアメリカでテレビを生産するより、メキシコで生産した方が儲かる。ただしそれは製造拠点の海外移転までで、製造業が製造業であり続けようとする意思があった。ところが日本やヨーロッパと競争しえないところまで追い込まれて、自社での設計製造をあきらめて、同業に製造委託するか相手先ブランドで調達して生き延びるしかなくなった。本来製造業であったものが製造業の体面を保ちながら、資本を製造業から流通業へと移動していった。クライスラーは自動車産業のいい例で、自力で小型乗用車をラインアップしきれずに、三菱自動車の乗用車をクライスラーの車として販売していた。
経済活動の主体が製造業から流通業に変わった状態が八十年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」まで続くが、流通業として物やサービスを提供するよりも地理的制約を受けることなく利益を出しやすい金融業へと市場のメインプレーヤーが変わっていった。物やサービスの収支決算では恒常的な赤字を続けていたアメリカにおいてすら金融業は成長を続けていた。製造業の衰退に反比例するかたちで成長していった(資本の移動)アメリカの金融業が、アメリカという広大ではあるが限られた市場の枠を超えて、全世界市場への進出を必要とした。戦後GATTやWTOで国際貿易の自由化を進めてはきたが、それは物(製造業)に限定されていた。アメリカの金融業が物に限定されない世界共通の、各国の政府による規制の少ない世界の金融市場を必要としていた。
金融資本が世界中で自由にビジネスを展開できるようにというところまで推し進めて、主権国家の要である財政、金融政策まで取り込んだ自由化にくらべれば、物やサービスの自由化など周辺事項でしかなくなる。そこでは製造業や流通業で額に汗して働く人たちの労働の成果の多くを、労働の場から国境すら越えて遠く離れた金融資本が我が物にする。
新自由主義における経済主体といえば、即国際金融資本、たとえばGoldman Sachsなどの投資銀行やCitiなどの巨大銀行を思い浮かべるが、製造業から流通業、そして金融業へと資本主義の経済主体が移動していった経緯も含めて分析しなければ、新自由主義の全容は把握できない。経済主体の標準サンプルとしていくつかの営利企業を取り出して、企業の経営の視点からの分析を、全体像の分析と突合せる作業なしでは、歴史的経緯まで含めた新自由主義の理解は難しい。
標準サンプルとしては、金融資本の金融資本ではなく、もともとは製造業でもありエンジニアリング会社でもあったものが、製造業の事業体を持ちながらも、リーマンショック時にはアメリカで十番目に大きな金融事業を展開していたGEが最適だろう。業態のはっきりしているサンプルを分析して、その分析結果を特定の産業界に、そして広範な産業界へ適用すれば、概観までで終わっていた新自由主義の本質を経済主体まで含めて見えてくるのではないか。
新自由主義を推し進めている経済主体であるアメリカの巨大資本の事業形態を分析には伝統的な経済学が扱ってきた領域を超えた、国際金融論から企業経営、特に会計学の知識が欠かせない。となると、経済学、それもマクロ経済学やマルクス経済学を専門とされてこられた先生方は、ミクロ経済学のご専門でも似たようなものだろうが、ご自身の専門分野に留まってか、そこからつま先を出した程度で見える全体像の景色をみて新自由主義云々といっているのかもしれない、と素人にはみえる。
そんな素人が聞いて、「そうか、そういうことだったのか、やっと分かった」という話を期待するのは素人だからということではないと思うのだが。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7518:180330〕
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