自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(7)
- 2018年 4月 1日
- 時代をみる
- 童子丸開
バルセロナの童子丸開です。ご無沙汰しておりましたが、新しい記事ができましたのでお知らせします。
カタルーニャ前州知事カルラス・プッチダモン氏がドイツで逮捕されたことは、日本でもニュースになっていたのでご存じだと思います。しかし、その前後にあったスペイン国内と国外の複雑な動きについてはほとんど知らされないことばかりでしょう。それらの出来事の流れを詳しく見れば、この逮捕劇でカタルーニャ独立運動もこれで終わりか、などといった観測が大きな間違いであることが明らかになると思います。逆に、今からが本当の「ドラマの開始」となるでしょう。
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http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-3/Suiciding_nationalism_in_Spain-7.html
自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(7)
2018年1月末までのカタルーニャとスペイン国家との戦いについては、私が当サイト《凍りつくカタルーニャ政治》と《凍りつくスペイン中央政治》で記録したとおりである。カタルーニャ州議会もマドリード中央政府も、共に身動きの取れない状態でにらみ合いと罵倒のし合いだけが続いた。2月から3月半ばまでは基本的には同じ状態が続き、細かい断層のきしみと地割れは絶えず起こってはいたが、目を剥くような激変が起こることはなかった。もちろんそれは、文字通り嵐の前の静けさに他ならなかったわけだが…。
2018年3月31日 バルセロナにて 童子丸開
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●小見出し一覧
《独立派を袋小路に追い詰めたはずだが…》
《点から線へ》
《「コップの中」から飛び出した「嵐」》
【写真:ベルギー「亡命」中のプッチダモンが突然引っ越した、多くの謎に包まれるワーテルローの豪邸】
http://www.eitb.eus/multimedia/images/2018/02/02/2243682/20180202151914_puigdemont-casa-efe-_foto610x342.jpg
《独立派を袋小路に追い詰めたはずだが…》
2月に入っても、カタルーニャ独立派にとって《凍りつくカタルーニャ政治》に書かれている身動きの取れない状態が続いた。ベルギーにいるカルラス・プッチダモンを州知事として合法的に再任する手段は尽きていたし、JxCat(ジュンツ・パル・カット:民族主義右派連合)とERC(カタルーニャ左翼共和党)との間にあった亀裂が広がり、むしろ状況は徐々に悪化していった。ERCは、プッチダモン以外の者を知事として立て彼にはブリュッセルにとどまったまま「象徴的」知事となってもらうという道を探り始めた。しかしJxCatと支持団体のANC(カタルーニャ民族会議)は「プッチダモン知事」にこだわった。とはいえ、どうすればそれが実現できるのかの具体的な筋道を語ることはできなかった。
一方で反資本主義で独立強硬派のCUP(人民連合党)は、「合憲、合法」の枠に縛られずに共和国樹立を目指す方針を堅持していた。検察庁から告発され2月14日にマドリードの最高裁判事パブロ・ジャレナの前で陳述を行ったCUPの前州議会議員ミレイヤ・ボヤは、カタルーニャ州議会が昨年10月27日に行ったDUI(一方的独立宣言:こちらの当サイト記事参照)が、象徴的なものでも形式的に取り繕ったものでもない、実効力を持つものだと語った。しかし判事ジャレナは容疑の軽いボヤを刑務所に収監することなくバルセロナに戻ることを許した。しかしこのCUPの態度は、何とかして「合憲・合法」の形式を守りながら独立運動を進めようとするJxCatやERCに冷や水を浴びせるものだった。
また2月17日に、同じく検察庁からの告発によって最高裁に召喚されたERC総書記のマルタ・ルビラは、昨年10月1日の独立を問う住民投票(こちらの当サイト記事参照)を中止するようにプッチダモンに進言したが拒否されたと陳述した。これに対して判事ジャレナは6万ユーロ(約780万円)の保釈金でルビラを解放した。一方で、同様に最高裁の召喚を受けたJxCatの主体であるPDeCAT(カタルーニャ・欧州民主党:民族主義右派政党、旧CDCカタルーニャ民主集中)の幹部であるマルタ・パスカルは、同党が常に法的規則と憲法を順守してきたと陳述した。これらの陳述は法の枠内で裁判闘争を有利に進めようとする弁護団からの入れ知恵だろうが、独立運動をひねりつぶすことしかかんがえていない国家権力を前に何の効果ももたらさないだろう。単に足元を見られ運動をなし崩しにするだけである。
なお、いまのマルタ・パスカルの背後には、あの卑劣な政治詐欺師アルトゥール・マスがいる。こちらの当サイトシリーズにあるように、空想的な独立運動を煽りたてた挙句に、昨年10月以来のカタルーニャからの銀行や企業の撤退を前にして態度を豹変させた人物である。マスの人脈は腐れ果てたジョルディ・プジョル(当サイトこちらの記事参照)の系統であり、いまだにPDeCATの中で大きな勢力を占める。CUPがマス一派を蛇蝎のように嫌うのも無理はない。プッチダモンは現在はマス一派とは距離を置いているようだ。
その後、JxCatとERCは、昨年10月16日に逮捕され刑務所で拘留中のジョルディ・サンチェス(ANC元代表、JxCat指名順位2位)を知事候補にして3月12日の州議会総会に諮ろうとしたが、サンチェスの仮保釈が認められないことは明らかであり、この計画はとん挫した。サンチェスを諦めたJxCatは3月20日に、昨年11月2日に逮捕され現在は保釈金を払って仮釈放中の前州政府閣僚の一人ジョルディ・トゥルイュを新たな知事候補として押すことを決めた。州議会総会は3月26日以降の3月最終週に召集される予定だった。
ところがその翌日の21日にスペイン最高裁は、トゥルイュを含む仮保釈中の6人の独立派幹部に召喚状を出した。3月23日に出頭せよということである。これは明らかにカタルーニャ州議会が新知事を決定できないようにさせる政治的判断である。裁判所は、カタルーニャに独立はおろか自治権すら与えることを望まない国家意思を代表して動いているのだ。「三権分立」など国家意思の下ではお飾りの値打ちすら持たないものとなる。
州議会議長ルジェー・トゥレンは緊急の州議会総会を22日に開くことを決め、トゥルイュが収監される前に知事を決めようとした。しかしこのトゥルイュはアルトゥール・マスの人脈であり、それを忌み嫌うCUPがトゥルイュ知事就任に賛成するはずもなかった。3月22日の緊急州議会総会で、第1回目の知事指名投票ではJxCatとERCがトゥルイュ推薦に賛成したものの、CUPが棄権して協力を拒んだため議員総数の過半数に届くことなく、またしても新知事誕生には至らなかった。
そして翌23日、最高裁判事ジャレナは、前州政府閣僚のジョルディ・トゥルイュ、ラウル・ルメバ、ジュゼップ・ルイュ、ドロールス・バサと前州議会議長カルマ・フルカデイュ、ERCの総書記マルタ・ルビラをマドリードの最高裁に呼び出した。しかしマドリードに着いた一行の中にマルタ・ルビラの姿は無かった。彼女の動向については後述したいが、他の5人は予定通りそのまま刑務所送りとなり、バルセロナに戻ることはなかった。彼らには、国外にいるプッチダモンや既に拘禁されているウリオル・ジュンケラス前副知事たちと同様に、国家反逆罪で最高で懲役30年の可能性が待ち構えている。
3月22日のトゥルイュの知事指名投票は第2回投票の前に「中断された」わけであり、「終了して結果が出なかった」のではない。したがって、今後のカタルーニャの政治日程を言えば、指名投票にはもうあと2か月の猶予が与えられる。つまり5月22日が最終期限であり、それで知事が決まらない場合には、7月前半の日曜日に州議会議員の再選挙が行われることになる。しかし、たとえ誰が議会の議長になり誰が知事候補になろうとも、それが分離独立派である限り、国家権力が許すことはありえないだろう。独立派が分裂し衰退して無力になってしまうまで、憲法155条の適用を延ばして自治権を奪い続けることが国家の意思である。実際に2月12日にスペイン政府は、「国家と合意できる」つまり中央政府に恭順の意を示す州政府ができるまで憲法155条が適用され続けるという声明を発表していたのである。
結局、スペイン国家は分離独立主義者が州政府を握ることを決して許さず、たとえそれが合法的な選挙の結果であっても、いかなる手を使ってでも妨害し破壊し続けるはずだ。政府、司法当局、警備当局、マスコミの全てを通して、国家の意思がそうするものだ。これは最初から目に見えている。「民主的手続きを踏んだから通用する」などということは、泣こうがわめこうが、根本的にありえないのである。分離独立は「権力の問題」なのだ。国家権力を上回る権力を持つか、さもなければ味方につけるかしない限り、カタルーニャ独立の動きは袋小路に追い詰められるだけである。実際にマドリード中央政府も、これで独立派の動きを完全に封じ込めることができると思っているのだろう。
確かに、スペイン国内だけを見ればそういうことなのだが…。さてここで、このようなスペイン内部でのスッタモンダの一方で、スペイン国外で起こっていたもう一つの流れを見てみたい。
《点から線へ》
上記のようにバルセロナでトゥレン州議会議長が悪戦苦闘している最中のことである。2月1日に一つのニュースがスペイン中を驚かせた。ベルギーにいるカルラス・プッチダモン前州知事がホテル住まいをやめ、ブリュッセルから20キロメートルほど離れた超高級住宅地ワーテルローの、建坪550平方メートルで1000平方メートルほどの庭を持つ豪邸を借りた、というのである。あのナポレオンの最後の戦争で有名なワーテルローなのだが、家賃は4400ユーロ(約57万円)と言われる。だがブリュッセルのホテルにいる他の前州議会議員たちも一緒に住むことができるほどの広さと設備を持っていることを考えれば、その方が「安上がり」なのかもしれない。しかしそれにしても、なぜこんな郊外の広い庭付きの豪邸を借りる必要があったのか、誰が仲介したのか、ここをどんな活動の拠点にしようというのか、これらの費用はどこからきているのか、謎が多い。しかも2月20日にGoogle Mapsにあったこの豪邸の写真がかき消されてしまった。
続いて2月17日、CUPの幹部で前州議会議員アンナ・ガブリエルが突然スイスのジュネーブにその姿を現した。彼女はプッチダモンの反逆に連座した容疑で、同月21日に最高裁からの呼び出しを受けていたのである。その喚問を拒否することは明らかであり、いずれにせよ逮捕状が発行されるだろう。19日にCUPは「これは基本的に国際的な次元のものである」という声明を出した。その通り、このガブリエルの「亡命」が「カタルーニャ独立運動」を真に国際舞台に引き出すものとなったのだ。当然だがスイスにも法律専門家を含めたカタルーニャ独立派の支援組織がある。おそらく表に現れないそれ以上の人脈もあると思われる。もちろんそれ以前にプッチダモン一行のバルセロナからブリュッセルへの逃避行もあったが、それはまだ「点」が増えたに過ぎなかった。しかしこれ以降、カタルーニャ問題は「点から線へ」という国際的な広がりを持つものに、急速に変化していくのである。
2月26日、スペイン中央政府は、欧州議会に対してカルラス・プッチダモン前カタルーニャ州知事を受け入れないようにという異例の要請を行った。翌日の27日に国連人権理事会の専門委員アルフレッド・デ・ザヤがアルメニアとアゼルバイジャンの国境紛争に関連して訪れる事になっていたのだが、このザヤは昨年10月1日のカタルーニャ独立住民投票およびカタルーニャ独立運動による「政治犯」に対するスペイン国家の弾圧を厳しく非難し続けている人物なのだ。政府はプッチダモンが欧州議会の場で国連人権理事会と合流する可能性に神経をとがらせていたのである。結局、プッチダモンが欧州議会に出席することはなかったが、スペイン中央政府にとっての懸念は続いた。
3月10日、プッチダモンと一緒にブリュッセルに滞在していた元カタルーニャ州政府教育委員長のクララ・ポンサティーが、突然、英国のスコットランドに居を移した。彼女は州政府に加わる以前にスコットランドのセイント・アンドリュース大学で教鞭を執っており、同大学に復職したわけである。しかし、この時点ではスペインの司法当局が欧州逮捕状を引っ込めているといっても、いつ何時また逮捕状を出すとも限らない。それでも同大学が彼女の復職を認めたということは、大学当局には、たとえそのような事態になっても英国政府がスペインへの身柄引き渡しをしないという明らかな見通しがあったのだろうか。
一方、スイスのジュネーブで国連人権理事会の第37回定例会議が2月26日に始まっていたのだが、ジュネーブに入ったCUPのアンナ・ガブリエルがこの組織と接触することは確実だった。それを妨害することは不可能である。しかもそのガブリエルと合流してプッチダモンと前州政府幹部のマリチェイュ・セレーがジュネーブに向かい、3月18日にカタルーニャについての映画祭と国際人権フォーラムに出席し、さらに21日には国際・開発研究大学院の主催による自治に関するイベントにも参加することとなった。慌てたスペイン検察庁は3月15日に内務省を通してスイス当局にこの3人の逮捕を問い合わせたが、即刻、「根拠が無い」と断られたのである。
バルセロナの州議会で独立派が知事候補を巡って大混乱している間に、3月18日にジュネーブ入りしたプッチダモンはアンナ・ガブリエルと共に、国連人権理事会の本部で行われたイベントで、スペイン政府による人権と政治的権利への抑圧を告発する活発な活動を行った。続いてプッチダモンは3月22日にジュネーブからフィンランドのヘルシンキへ向かうこととなった。これはフィンランドの国会議員の団体「カタルーニャの友人たち」の招待によるものだが、同国のMikko Kärnä議員によると、プッチダモンは24日までフィンランドに滞在し、議会を訪問した後にヘルシンキ大学でのカタルーニャ問題に関する討論会に出席する予定だった。しかしここから思わぬ展開が待ち構えていたのだ。
《「コップの中」から飛び出した「嵐」》
欧州各国や米国の政府は、カタルーニャ問題について今まで、基本的に「スペインの国内問題」としてきた。英国、フランス、ベルギーなど、自国の内部に分離独立の火種を抱える国もあり、できる限り火の粉をかぶらない「他人事」にしておいた方が無難なのは言うまでもない。そしてスペインにとっても、カタルーニャ分離独立運動が「スペインの国内問題」である限りはしょせん「コップの中の嵐」であり、いまも書いたように、カタルーニャが国家権力よりも大きな権力を持ちえない以上、「嵐」の封じ込めにさほどの困難はないだろう。しかし2018年3月に、形勢が激しく逆転し始めたのである。
先に述べたとおり、3月21日にマドリードの最高裁は前カタルーニャ州幹部たち5人に召喚状を出したのだが、23日にその中のマルタ・ルビラERC総書記だけが出廷しなかった。「スイスに行く」という置手紙を残して姿を消したのだ。彼女はSNSでスイスにいると連絡してきたのだが、その姿はまだスイス内でとらえられていない。しかしもし無事にスイス入りしているのなら、ガブリエルやその支援者たちと連絡を取り合っているだろう。激怒した最高裁判事パブロ・ジャレナは、即刻、カルラス・プッチダモン、クララ・ポンサティー、マリチェイュ・セレー、アンナ・ガブリエル、マルタ・ルビラ、アントニ・コミンとリュイス・プッチに対する国際逮捕状(欧州逮捕状)を出した。
プッチダモンはフィンランドに、ポンサティーはスコットランドに、ガブリエルとおそらくルビラはスイスに、セレーとプッチはブリュッセルにいる。スイスが国際逮捕状に応じることはまずあるまい。ベルギーは以前にスペイン自身がカタルーニャ人たちの欧州逮捕状を取り下げた経緯があり、ベルギー当局がこの逮捕状をどう取り扱うのか、現在のところ明らかではない。しかしブリュッセルのセレーとプッチの弁護士であるゴンサロ・ボィエは3月26日に次のように語った。「スペインの司法当局は、ベルギー、ドイツそして英国が望み通りの返答をしないのを見るときに、大きな驚きに包まれるだろう」と。これが単なる強がりかどうかは、時間がたてば分かることだ。
24日にプッチダモンがフィンランドにいないことが確認されたが、しかしまだブリュッセルに戻っていなかった。後に明らかにされたところによると、彼はフィンランドで車に乗ってフェリーでスウェーデンに渡り、スウェーデンを横切ってデンマークに入り、そこから北ドイツを通ってベルギーに向かおうとしていたのだった。そして3月25日、プッチダモンはデンマークとドイツの国境線を越えたところで、ドイツの警察によって逮捕された。実はCNI(スペイン中央情報局)のスパイたちがすでにフィンランドでプッチダモンの身辺に張り付いており、自動車に取り付けた発信装置と携帯電話の電波から、逐一フィンランド脱出後の動向をキャッチしていたのだ。そしてデンマークを抜ける際にドイツの警察に連絡したのである。
しかし、驚くべきことが次々と明らかになった。この自動車はベルギーのナンバーであり、それを運転していたのは二人のカタルーニャ州警察の警察官だったのだ。また、プッチダモンの友人であるバルセロナ大学の教授と一人の企業家も同乗していた。フィンランドの支援組織が彼らを手伝ったものと考えられるが、フィンランドを出てこのルートを通ることはおそらく予定の行動だったのだろう。23日にスペイン最高裁がプッチダモンに逮捕状を再発行することは十分に予想できた。とすれば彼らの行動もまた非常に計画的なものだったのではないか。つまり、ドイツで逮捕されることもまた計算済みのことではなかったのか。
スペイン当局から逮捕要請と身柄引き渡しの要請を受けたドイツ司法当局は、最短で10日、長ければ2ヶ月か3ヶ月かけて要請の内容を検討して対応を決めることになる。その間、プッチダモンの身柄を刑務所で拘束するのか、あるいは保釈金やパスポートの差押えと監視付きで保釈するのかの判断はドイツの検察当局が行うのだが、プッチダモンは北ドイツのNeumünsterの刑務所に収監された。しかし27日に彼を取り調べたドイツの裁判官は身柄引き渡しの要請が拒否される可能性があることをその調書に書いた。
3月27日に国連人権理事会は、3月1日にプッチダモンが提出していたスペイン国家によるカタルーニャの政治家に対する政治的・市民的自由の抑圧の訴えを認めた。スペイン国家当局は半年以内に国連に対する調査報告を提出しなければならない。それ自体に強制力はないものの、大きな国際的圧力になるだろう。また同日、英国のタイムズ紙が、スペイン当局はカタルーニャとの対話を開始し拘束中の政治家を開放しなければならないという内容の社説を発表した。さらに28日に米国ニューヨークタイムズ紙がその社説で、ドイツにカタルーニャ問題の調停者となるように求めた。このような「外圧」に対して、スペイン政府はEUに「法を破ることは欧州連合に対する攻撃である」と訴えて、逮捕状・引き渡し請求の正当性を主張している。しかしこの主張は少々筋が通りにくそうだ。
一方、スコットランドのクララ・ポンサティーに対して当地の警察当局は逮捕せずに自主的に出頭するように求め、彼女は28日にエディンバラの警察署に向かった。その際に、ポンサティーとその支援者が、保釈金と弁護士費用などを賄うために、4万ポンド(約600万円)を目標として英国内でカンパを募ったところ、たちまちのうちにその倍の8万ポンドが集まり、最終的には20万ポンド(約3000万円)を優に超える事態となった。英国内で、特にカタルーニャ同様に独立気運を持つスコットランドで、どれほどカタルーニャが注目されているのかを示す実例となっている。彼女は大勢のスコットランド人支援者に取り囲まれており、ロンドンの英国政府は対応に苦慮しそうだ。
そして28日に、スコットランドの裁判所はポンサティーを拘留せず保釈金とパスポートの差押えだけで身柄を解放した。また同日、スイスの当局者は、アンナ・ガブリエルに対する「政治的犯罪」による逮捕・引き渡し要請を正式に拒否した。一方、プッチダモンのドイツ人弁護士が29日にドイツ連邦政府に対して、プッチダモンの引き渡しの拒否を明らかにするように要求した。スペインの「反逆罪」はドイツの法律にある「重度の裏切り(売国?)」に相当すると言われるが、その内容にはかなりの違いがあるようだ。ドイツの「重度の裏切り」は大規模な暴力を伴うものであり、カタルーニャの場合に適用が困難だと思われる。ドイツの裁判所当局が引き渡し拒否の可能性を語るのは当然のことだろう。
「暴力」といえば、外部の目から見ると、スペイン国家がカタルーニャに対して行ったことの方が暴力だろう。しかしスペイン内相フアン・イグナシオ・ゾイドは、おそらくドイツ法務当局の対応を意識してのことだろうが、26日にカタルーニャ独立主義は重大な暴力だと断言してみせ、さらに3月31日には、独立を支持するジュゼップ・グアウディオーラ(英国のサッカーチーム、マンチェスター・シティ監督)に対して「独立主義を信奉しない人をうるさく悩ませることは暴力だ」と、すばらしい「暴力」の拡大解釈をしてみせた。
しかし、もしこれでプッチダモンの身柄がスペインに引き渡されるようなことがあれば、それはそれで、司法権力に対する政治圧力として、ドイツ国内での深刻な問題を作ることになる。スペインとは異なり、ドイツは三権分立の民主主義の建前が非常に重要視されるからだ。3月31日にドイツ検察庁は、4月3日にプッチダモンの扱いについての結論を出すという希望を述べた。どのような結論にせよ、もはやドイツがこの問題を「スペインの国内問題」にできなくなってしまうことだけははっきりしている。
このように、カタルーニャ独立運動の「嵐」は、スペインというちっぽけな「コップの中」から飛び出た。そして「EUの首都」ブリュッセルから、ドイツと英国という欧州の大国、そして常に国際謀略の要となるスイス、米国さえ黙れば象徴的ながら大きな圧力となりうる国連を、その「暴風圏」に巻き込みつつある。先に私は『分離独立は「権力の問題」なのだ。国家権力を上回る権力を持つか、さもなければ味方につけるかしない限り、カタルーニャ独立の動きは袋小路に追い詰められるだけである。』と述べたが、いまカタルーニャ独立派は「国家権力を上回る力」を味方とすべくたぐり寄せつつあるのかもしれない。
しかしこれらの動きが、昨年11月にプッチダモンたちがブリュッセルに移って以来の5カ月足らずの期間で、カタルーニャ人の小グループによって画策できたものとは、私には到底信じられない。彼らの政治能力は当サイトこちらの記事で書いた通りのレベルなのだ。外部の国際的な勢力の中に「立案者」と「コーディネーター」がいるのではないか、そのような気すらしてくる。その一方でスペイン国家は、というと、ますます自滅の道に向かって自暴自棄的に突き進んでいるようだ。次回には、カタルーニャ問題の外で進行するスペイン国内の事態について述べてみたい。
【『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(7)』 ここまで】
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