キューバ再訪記 - 社会主義最後の「改革・開放」はどこまで?(上) -
- 2018年 4月 10日
- 評論・紹介・意見
- キューバ田畑光永
私はさる2014年春、初めてキューバを訪れる機会を得て、かの地を踏み、その顛末を本欄に書かせてもらった。それからまもなく4年、その間の変化を知りたくて、昨17年10月に再訪した。いささか遅くなったがこれはその報告である。
なぜキューバに関心を持つか。前の一文にも書いたが、100年前のロシア革命でこの世に誕生し、その後数十年間、地上のかなりの部分に確かに存続した社会主義という社会体制が、1990年代に至って実質的にほとんど姿を消してしまった中で、ひとりキューバのみがともかく社会主義体制を維持しているからである。
同時に、そのキューバも世の大勢に逆らえずということか、中国がかつて改革・開放路線に踏み切ったような形で自己変革に乗り出したというニュースに接し、なにはともあれ、今のうちに見ておかねばという焦りにもかられたのであった。
キューバ共産党が「社会経済体制の抜本的転換」を決定したのは2011年4月の第6回党大会である。その転換とは社会主義の基本原則(たとえば「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」とか、「計画が支配する中で市場の諸傾向が考慮される」など)は維持しつつも、自営業の範囲の拡大、住居や車の売り買いの自由化、外国資本の導入、開発特別区の設置といった「改革・開放」策の導入である。
前回の訪問は転換がスタートしてからすでに3年になろうという時であったが、われわれの受入れ団体「キューバ諸国民友好協会」のコルデラ・アリシア副総裁によれば、「改革は全体として思うようには進んでいない。意識を変えなければだめ、何が欠けているかを認識することが大事」ということであった。
では、さらに3年が過ぎた現在はどうか、である。しかもこの間、国の内外に大きな変化があった。
まず1959年のキューバ革命以来、激しく対立してきた米政府が方針を変えた。14年12月、オバマ大統領が対キューバ関係改善方針を打ち出し、それによって翌15年7月、55年ぶりに対米外交関係が復活した。16年3月にはオバマ大統領がキューバを訪問した。
国内では16年11月、キューバ革命の象徴ともいえる指導者、フィデル・カストロが90歳で死去した。キューバと言えば反射的にカストロの名前が浮かぶほどに影響力の大きな指導者の死はこの国の大きな変化を予感させた。
ところが時を同じくして、何事につけ前任者の路線を激しく非難してやまないドナルド・トランプが米大統領に当選し、オバマの手でせっかく改善したはずの米キューバ関係に再び暗雲が兆している。在ハバナの米大使館に音波攻撃がかけられたという正体不明の理由で、現在は双方の大使館には館員が1人ずつしかいないという異常事態に陥ってしまった。オバマ時代に緩和に向かっていたキューバに対する経済制裁も逆に強化されつつある。変化を求めるキューバに逆方向の力がかかっているような状況といえる。
3年経って・・・
さてそこで今回の見聞である。第一印象は「3年経っても、たいして変わっていないではないか」というものであった。勿論、変化がなかったわけではない。例えば、前回びっくりした「トラック・バス」がどうやらハバナからは姿を消したようだったこと。トラック・バスというのは、トラックの荷台の後ろにはしごをかけて、人が乗り降りできるようにした公共乗物で、一応、布張りの屋根とベンチ式椅子があるとはいえ、いかにも不便で乗り心地の悪そうな代物であった。馬車はまだ見かけたが、こちらは観光客用に特化したようであった。地方ではどうなのかは分からない。
それから観光客は確かに増えた。ハバナの名物ともいえる何十年も前の古い骨董アメ車のタクシーに何人も若者が乗り込んで騒ぎながら走っているのはまずアメリカ人である。その骨董タクシーを尻目に新しい小型のタクシーが急速に増えていたことは観光客増加の反映であろう。
それなのに、なぜ「たいして変わっていない」と感じるのかと考えてみたら、目にしているキューバの姿を、私が勝手に40年もの昔、毛沢東の革命路線から鄧小平の改革開放路線へと転換した当時の中国と比較していることに気がついた。
1978年末の中国共産党第11期3中全会というのが、中國の変身のスタートだったが、これは本当に変身であった。当時、私はテレビ局の特派員として北京に駐在していたが、仕事上接する中国の放送関係の人たちが、それまでの大所高所の友好万歳路線から、簡単な素材の提供を頼んでも突然「お金第一」に態度が急変し、こちらは勝手が違って面食らった。
おかっぱ頭にズボン姿が定番だった娘たちは、パーマをかけスカートをはいたとたんに人が変わったようだったし、男たちはそれまで関心がないような顔をしていたのが、急に「あんたの月給はいくらだ」とか「東京では自家用車を持っているのか」などと、あけすけに懐具合を聞いてくるようになった。
たいして変わっていない、という私の印象は、そういう当時の中國の変身ぶりと比較してのことであるから、客観的ではない。それではキューバ自身の目指すものが、この間にどれほど実現したかを、乏しい見聞からではあるが探ってみたい。その上で社会主義をやめるとはどういうことか、をあらためて考えてみる。
GDPと為替
となると、まずはやはり経済状況は好転したかどうか、したとすればどのくらい好転したか、である。
今回も前述の「キューバ諸国民友好協会」が準備してくれた講師(国際関係研究所のニディア・アルフォンソ教授)のレクチュアを受けたが、氏によれば「昨年(2016年)のGDPは890億ペソ」ということであった。
この数字がじつは厄介である。キューバは外貨不足から、外貨経済と現地通貨経済の二重通貨、二重為替の二重構造をとっている。具体的には外貨を現地通貨に交換した際に渡されるのは米ドルと等価の兌換ペソ(CUC)の通貨、一般のキューバ人が使っているのはキューバペソ(CUP )の通貨である。政府間の公式レートでは1ペソ(CUP)=1米ドルであるが、国内では1CUC=24CUPと決められている。
こうした政策は珍しいものではなく、改革・開放初期の中国では「外貨兌換券」と称する外貨と交換する専用通貨を発行したし、北朝鮮では現在、公式為替レートでは自国のウォンをほぼ日本円と等価に設定しているが、実勢と大きくかけ離れているために外国人が外貨を自国通貨への両替することを認めず、外国人には外貨を受け取る特別の商店や食堂で買い物や食事させる。当然のことながらそこでのモノの値段は外貨に合わせて高く設定されている。
キューバの場合、890億ペソ(CUP)を公式レート通り890億ドルとして、1人あたりGDPを計算すれば、人口を1124万人(2015年・国家統計局)として7918ドルとなる。立派な中進国の水準である。しかし、国内レート(1ドル=1CUC=24CUP)で計算すれば330ドルにしかならない。貧困国と言っていい。
実体はこの間の、それも中間からだいぶ330ドルに近いほうであろうと推測するところまでしかできない。
それでは経済活動の量の動き、つまり成長率の推移はどうか。公式レートのGDPの推移は明らかにされているので、それによるとキューバ版「改革・開放」がスタートした2011年の689億ペソから16年の890億ペソまで5年間で200億ペソ(約30%)の増加であり、悪い数字ではない。ただ2015年は4.4%成長という好成績であったのが、16年はハリケーンの直撃を受けたために0.9%へと落ち込み、昨17年の前半もアルフォンソ教授によれば1.1%の伸びにとどまったということなので、ハリケーンの痛手はかなり大きかったと言える。
観光から民営化
GDPはGDPとして、もっと目に見える変化はないか。アルフォンソ教授も指摘していたが、その1つに観光客の激増が挙げられる。改革スタートの2011年の外国人訪問者数は271万人、それが14年にやっと300万人と、ここまでは動きは鈍かったが、その後、15年には352万人へ伸び、16年には400万人に到達した。米国からの観光客は制裁の復活のおかげで伸び悩んでいるが、その他の国からの観光客は増え続け、17年は7月までですでに300万人を超え、通年では500万人にも手が届くかという勢い、という話であった。
確かにこの分野が改革の先兵の役割を果たしているように見える。外貨と同じ価値を持つCUCを入手できる業界に人が殺到するのは必然である。先ほど改革の具体例として、自営業の範囲の拡大、住居や車の売買の自由化を挙げたが、観光客向けの民営のレストラン「パラダール」が増加している。キューバの普通のレストランのサービスがとくに悪いとも思えないが、民営レストランのよりきめ細かいサービスが人気を呼んでいるという。そこで、当初はお客の座席数を20人程度に制限していたのが、最近では50人程度まで認められるようになったと聞いた。
内向けと外抜けの二重為替レートが人々を外貨のあるところに引き寄せる例としては、観光客の通訳として1日働けば大学教授1月分の給料に匹敵する報酬が得られるそうで、外国語を使える教授、医師といった知的職業から観光業界への転職する人が続いているそうである。社会全体としては喜ばしくない風潮であろう。
また、宿泊施設として日本流にいえば民泊が大流行している。街を歩けばそこここに「HOSTAL」という看板とカタカナの「エ」を逆さにしたような小さな標識をつけた民家が目につく。外国人が泊まれる民宿である。キューバのホテル全体を云々することはできないが、中には社会主義の悪い点を引きずったままのところもある。われわれもサンタクララという街のホテルがそれにあたってしまい、暗い、汚い、クーラーがうるさい、お湯が出ない・・・とたちまち不満が噴出した。しかも2泊しなければならない。
そこで街に出た時に、何人かで民宿を見学しようとその一軒を訪ねた。部屋数は4つくらいで、各部屋には小さい前室と寝室、それにテレビ・洗面所・トイレ・シャワー室がついている。食事はスペイン風の中庭を囲むようにそれぞれの部屋の前のテーブルで摂る。全体的にすこぶる清潔で、快適そう。期せずして「次は絶対民泊だ」という声が上がった。宿泊料金は1泊20~30CUC(=ドル)といったところが多いようだ。(未完)
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion7547:180410〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。