故西部邁『保守の遺言』への二、三の批評――辞世の不在とフラテルニテ(博愛)――
- 2018年 4月 10日
- 評論・紹介・意見
- 千葉大学名誉教授岩田昌征
三月のある日、黄泉の国の著者から『保守の遺言』(平凡社新書、平成30年・2018年2月27日)が送付されて来た。それからしばらくして、3月29日(木)、都内某所、故西部邁氏と半世紀以上昔には思想・行動をともにしたことのある人々が集まった。『正論』から『週刊金曜日』に至る諸雑誌にのった故人を追憶する多くの文章がコピーされて配られた。
執筆者の名前をアトランダムの順で挙げておく。佐高信、寺脇研、中島岳志、森田実、長崎浩、青山恵子、北村肇、佐伯啓思、保阪正康、浜崎洋介、舛添要一、加藤尚武、東谷暁、藤井聡、佐野眞一。私が「ちきゅう座」に書いた西部に関する二つの文章も配布された。
この会の組織者篠原浩一郎の西部観は、この集まりで配られただけであり、どこにも公表されていない文であるから、彼の了承を得て、ここに紹介する。
――酒癖悪く、ブントの仲間を罵倒するような西部が生きている間は彼の書物を読む気にもならなかったが、必死な死に方から彼の言っていたことに耳を傾けなくてはならない気になった。いくつか読んでみると、焦燥感にかられたような文章から、まともな議論をすることを知識人に求めてやまない姿勢そのものは納得できたし、保守という考え方を一つのベースにすることに違和感はない。日本にとって重要な発言者を失ったのだと思う。
諸氏の諸文章を一読して、私=岩田と他の人々の間に大きな差がある事に気付いた。私の文は挽歌が主である。それに対して、諸氏の文章には挽歌が無い。私ははっとして、『保守の遺言』を読み返してみると、300ページに及ぶ長い長い遺言書の末尾に辞世が無かった。伝統保守に心血を注いだ文筆の人が、自分の死をあれだけ用意周到に計画した意志の人が何故に辞世の一首さえ残さなかったのか。『保守の遺言』で「保守思想が保ち守ろうとするのは『実体としての慣習』そのものではないのだ。」(p.275)と書いている。西部氏にとって、辞世は失われてもいたしかたがない「実体としての慣習」の一つにすぎなかったのであろうか。それ故、挽歌のない追悼文の方が西部氏にふさわしかったのかも知れない。
私のような日本の独立社会主義者、大和左彦は、「実体としての慣習」の中にも社会主義的実生活において生き生きと息吹くものがあるであろうと直感する。その一つにやまと歌があり、辞世の、また挽歌の伝統がある。かと言って、故西部氏にかわって私が辞世の歌を代作するわけにゆかない。そう思って『新葉和歌集』(岩波文庫)を読んでいると、次の一首を見付けた(p.147)。集いが雑談になった折、二、三の人に読んで聞いてもらったら、納得されていた。
《見立て辞世》
せめてただ身をはなれ行くわが魂も
これなむそれとしられだにせよ
《挽歌》
ファシスタたらんとした者入りにける
かはたれ多摩の川波悲し
かの人の荒(あら)和(にぎ)御霊(みたま)聞こゆらし
水鳥うかぶ多摩の川面ゆ
故西部氏がこんな歌を辞世として『保守の遺言』の末尾に詠んでいてくれたなら、私の挽歌も生きたのに、残念だ。ところで、『新葉和歌集』は、南朝、吉野朝の和歌集である。「親房の神皇正統記は文の新葉和歌集であり、新葉和歌集は歌の神皇正統記である。」(p.3)と戦前は評価されたそうである。一介のレフティストがそんな集中の一首を辞世に見たてたとしても、黄泉の国の住人は怒らないであろう。
集まりの翌々日、3月31日(土)、掛り付けの歯医者に行った。この壮年の歯科医は、MXテレビ西部番組の熱烈は視聴者で「西部先生の心酔者」を自認している。治療中でさえ西部論を展開することがある。前回、一ヶ月前は、彼の自死に心の奥底にとどく衝撃を受けていた。「自分が世の中を見る指針が消えてしまった。」と悲嘆にくれていた。今回は、「西部先生は自死ではない。殺されたのかも知れない。左翼党の誰かに。」「僕の知っている限り、左翼に西部関心はあまりない。ましてや憎西部はないよ。」「それなら、右翼にも西部先生に反撥し、憎んでいる人達がいるから、・・・。」「僕の知っている民族主義の人達は親西部だ。」「西部先生がいなくなって、くやしい、本当にくやしい。」まさに、「くやしい。」を絶叫した。
著作や発言がこれほど全人格をもって受け止められているのを知ってか、知らずか、故西部氏は『遺言』で「言論は虚しい。」とも書いている(pp.210-221)。西部が喧嘩相手に設定した西部定義のレフト達だけでなく、彼の熱心な読者達もまたオルテガ/西部の規定するマスマン=大量人であり得るからだ。付言すると、私見によれば大衆は、マスマンに集約しきれず、勤労者性がエッセンスである。彼らはそこを見失っている。
そこで、私は歯科医先生に彼の西部像を若干相対化してもらいたくなり、私の西部批評を語るはめになった。
西部は「歴史を通じて残る言論あるとすれば、正確なロジックと上出来のレトリックをつらぬいた文章に限られるであろう・・・。」(p.211)と断言している。私=岩田ならば、ここで「上出来のレトリック」にかえて、「重い重いファクト」とする。「正確なロジックと重い重いファクト」で考え続け、その過程と暫定的結論を伝達しやすくする言語技術が「レトリック」である。
西部は、発言や著作においてfolk etymology 民間語源学と非難されるを厭わず、西洋語の語源分析や前置・語幹・後置の構成解析を説得レトリックとして多用する。あるいは多用しすぎる。それはそれで良いとしよう。「ヒューマニティの基礎をなすのは人間が言語的動物であり、そして言語がかならず過去からやってくるからには、歴史感覚によって形作られるといわなければならない。」(p.229)かかる歴史感覚を大切にする思想が西部の保守哲学である。従って、自分の思想を語るにetymology 語源学を多用するのは自然と言える。
だがしかし、彼は、自分の近代・モダン(西部用語では模流)批判の要め、「リベルテ(自
由)、エガリテ(平等)、フラテルニテ(博愛)の決まり文句」(p.100)、フランス革命の三理念を批判するに際して、フラテルニテを博愛と訳する流れに従っている。時として、フラテルニテを友愛とする場面が見受けられるが、博愛と同じ意味で使用している。フランス革命批判が西部の保守思想の芯である以上、このハイライト的批判において、彼は、何故か、フラテルニテなるフランス語の意味分析をしていない。英語のfraternityは仏語の借用である。英語ではbrotherhood、つまり「兄弟であること」を意味する。独語ではBrüderschaft、露語ではбратство、セルビア・クロアチア語ではbratstvo/bratimstvo、ポーランド語ではbraterstwo。すべて「兄弟性」である。「博愛」なる意味はない。
もう一つの訳語である友愛はどうであろうか。友愛も亦兄弟愛に等しくはないが、はるかに博愛よりも近い。漢字の世界では、元来、友は兄弟に親和する。例えば。教育勅語に「父母に孝に兄弟に友に」とある。論語の為政第二の21に「孝乎惟孝、友乎兄弟」とある。まさに教育勅語の「兄弟に友に」はここから来ている。従って、フラテルニテを「友愛」と訳した明治人はこの古典的章句が念頭にあったのであろう。「博愛」はミスリーディングな誤訳であり、「友愛」は名訳であろう。
西洋語の原義にこだわる人々が段々増えて、最近はフラテルニテ(友愛)が多くなっている。それにもかかわらず、自由・平等・博愛の三組がいまだ日本で使われるのは何故であろうか。それは、自由と平等が人類的普遍性を指向するのに対して、友愛は友達内の特殊親近性、兄弟愛は血縁者間の交際を指向し、この反対方向性と普遍・特殊の不調和が思想者の心にひっかかるからであろう。博愛とすれば、三組はすべて普遍性の世界におさまり、近代の三理念の高みから封建的中世を安心して砲撃できる。
ところが、西洋語の世界ではあくまで自由・平等・兄弟愛(友愛)である。ここでは普遍が特殊によって実質化する。すなわち、兄弟である関係を地縁血縁的にぎりぎりまで拡張して民族共同体、民族国家を創出する。その内側で自由も平等も近代的理念として生きる事ができる。その外側では不自由と不平等が当然とされ、自由も平等も近代欧州人の自画像にすぎない。アジア人やアフリカ人は、自分達の自由と平等を獲得するためには先ず自分達同族の外延を拡張確定し、内を充実させて、民族共同体を育成し、民族独立国家を創建しなければならない事を悟る。それなしに、たまたまあるアジア人個体やアフリカ人単体が自由・平等の思想に目覚めたとしても、結局、国家保護を有する欧州人個人の走狗になりかねない。このような事情は、ヨーロッパ世界の内部でも同様である。バルカン諸国や中東欧諸国、そしてロシアの人々が西欧人個人に対して18世紀末・19世紀初以来かかえて来た困難がここにある。
西部のように、リベルテ(自由)、エガリテ(平等)、フラテルニテ(博愛)なる三組を批判対象にすれば、かかる三組をモダン(模流)=レフティズムと見なし、その外に歴史感覚=保守を設定できる事になり、容易楽々とモダン(模流)=レフティズムを批判できる。しかしながら、フラテルニテを兄弟から民族に至る実態、すなわち最大拡張兄弟と見れば、それは言語共同体であり、歴史・宗教共有体である事になる。要するに、西部流の保守思想では、自由・平等・博愛を裁けても自由・平等・友愛(兄弟愛)は裁き切れない。
西部自身、「価値観なるものを何ほどか現実のものとして共有できるのは、ネーション・ステート(国・家)の限界内においてであろう。」(p.43)と書いている。これは。自由・平等・兄弟愛(友愛)であって、自由・平等・博愛ではない。
私=岩田は、西部が諸多の西洋語に関してはあれほど語源解釈レトリックを多用しながら、フラテルニテに関してはそれを利用しなかった謎の解はここにある、と考える。
最後に博愛に関して一筆しておこう。博愛は誤訳の翻訳語であるが、もともと私達の知的世界にいくつかの同類語がある。墨子に兼愛があり、論語の学而第一の6に「汎愛衆而親仁」、すなわち「汎く衆を愛して仁に親しみ」がある。また更に西郷南洲の敬天愛人がある。兼愛、汎愛、敬愛(愛人)は、一言にすれば、仁であろう。博愛を包む。人類社会はいまだ仁の社会制度を発見していない。それ故に、自由・平等・兄弟愛(友愛)のような緊張度の濃い時代が続く。日本常民、覚悟せざるべからず。
篠原浩一郎の言う通り、日本にとって重要な発言者を失った。
平成30年4月2日 岩田昌征/大和左彦
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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