リハビリ日記Ⅱ ③④
- 2018年 4月 16日
- カルチャー
- 日記阿部浪子
③音声入りパソコンと作品集
窓ガラスから田んぼが見える。水をたたえて、すがすがしい。苗が日ごとに成長していく。もう、こんな季節なのか。しばらく、わたしはつえを左手にたたずんでいた。毎朝、この場所にきて、かかと上げの練習をしている。
帰りに中川さんの個室によった。くりせんべいをいただく。なつかしい。ボリボリ食べはじめると、ストップがかかる。ちょうど廊下を通りかかった看護師が入ってきて、中川さんに〈他人に菓子をあげてはいけません〉というメモをわたしていった。
生物でもないのに。どうしてだろう。わたしは看護師に禁止の説明をもとめなかった。立場のちがうものどうしが対話することはだいじだ。しかし、わたしは気弱くなっている。保護者の妹が〈ここではおとなしくしていな〉と、うるさくいう。妹は世間体を気にしているのだ。こころの不満はたまっていく。
昼食の席で、わたしは午前中のことを話した。〈ここでは、はい、はい、といって従わないと、置いてもらえないんだよ〉。89歳の男性がこたえる。手と足が不自由で4年入所しているという。〈お菓子ぐらい。いいのにね〉。13年入所しているという女性が、長年の疑問をうちあける。郷里の鹿児島から東京に娘をたずねた。その帰途、とつぜん歩けなくなった。浜松に住む息子のせわで入所したという。
となりのテーブルから、鈴本さんの声がきこえる。〈ぼつぼつ帰らなくちゃいけない。お金が1銭もない。在所にもらいにいってこなくちゃ〉。〈ご飯食べておいしかったとだけ思ってればいい。あとはボケッとしてればいい。お金はいらない。だれもお金は持ってない〉。本木さんがなぐさめている。2人は施設のすぐそばに家がある。鈴本さんは、よく、テーブルに顔をふせて、眠っているときがある。午後4時になると息子が現れる。が、鈴本さんは、わが子のことを忘れているようだ。
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東京の片山郷子さんから本がとどいた。『目覚めよと呼ぶ声が聞こえる』(鳥影社)。片山さんの第6作品集だ。小説5編と詩1編が収録される。79歳の片山さんは視覚障害者である。60歳代半ば、目の難病にかかる。いらい音声入りパソコンで執筆する。パソコンは、東京盲人福祉協会の教室にかよい習得したという。
「あとがき」に書いている。「わたしはひたすら自分の想いをはき出したくて、指先でキーを打つ」と。パソコンは、キーを打つと音・声がでてくるしかけになっている。耳だけで書くのは大変だ。しかし、58歳のとき、「柿の木」で小諸藤村文学賞を受賞してからずっと作品を発表してきた。そこには片山さんの、自分の想いをはきだす、いわば、こころのリハビリが存在していたのだ。キーを打ちながら、内面の苦しみや喜びをつき放していく。こころの再生・回復をとおして、自身を客観化してきたのである。それは、ペンで文字を書くのとおなじ成果かもしれない。
著書のなかで感動的なのは「時のさかい」だ。愛のかたちを提起している。ひさしぶりに、弁護士のかれが彼女の家をおとずれた。2人は若いころに知りあうが、結婚しなかった。いまは2人とも独身だ。80歳にちかい。「結婚しよう。」「君を一人にしないって決心したんだ」とかれはいう。「駄目です。」「もう遅い。」「わたしの目はあなたを見ることができない。」「洋服の色が見えないのよ。花の色も消えてしまったのよ」。「もう何年もわたしは」「文字を読まない」と、彼女は訴えるのだった。彼女は片山さんの分身だと思う。読者の胸をゆさぶる迫真の場面だ。著者のやるせない思いが、ここには凝縮されていないか。
④ピンクのスーツ
毎日早朝、高齢の女性が野良仕事にやってくる。一般療養室のガラス窓からみえる。その畑に黄色のおおきな花が咲きはじめた。茎や葉から、それはカボチャの花だとわかる。たしかに花は大輪だが、はやくにしぼんでしまう。
『黄の花』といえば、一ノ瀬綾さんの著書があった。創樹社から刊行されている。一ノ瀬さんは上田市出身の作家だ。わかいころ、村評判の大恋愛をした。しかしかれに裏切られ、上京を決意。この著書で田村俊子賞をとり活躍する。黄の花には恋のはかなさも象徴されているのだろうか。カボチャの花をみながら、わたしは考えた。
午前10時になると、室内の掃除がはじまる。係の山野さんが、自民党の衆議院議員、豊田真由子の暴力・暴言事件をテレビでみた、と話してきた。わたしも知っていた。
山野さんは御前崎の池新田に生まれ、育ったという。拙著『書くこと恋すること―危機の時代のおんな作家たち』(社会評論社)に登場する川上喜久子の生家、篠田家のことを知っていた。おどろいた。山野さんは9時から13時まで、2階の掃除を1人で担当している。パートタイマーだ。6年つづけている。老後の経済的安定のために働くのだという。
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おやっ、見覚えのある風景だ。食堂で、わたしはテレビのワイドショーをみていた。画面には、あの豊田真由子事務所が写っている。となりの弁当屋が個人塾に変わっているが、なつかしい風景にどきどきした。
2016(平成28)年3月まで、わたしはこの新座中央通りに住んでいた。アパートから徒歩3分のビル内にある教室で、国語講師のアルバイトをしていた。豊田さんの事務所の真ん前にあった。彼女の事務所はいつも白いカーテンが閉められていたが、豊田さんの姿はよく見かけている。彼女はやせていて、たくましさが感じられなかった。魅力的な人ではなかった。豊田さんは、いつもピンクのスーツを着用していた。似合っていなかった。彼女は政治家に向いているのか、疑問にさえ思った。
豊田さんが、政策秘書の男性に「はげ」といったり、かれをハンガーでたたいたりしたと、テレビで報じられたときにはビックリしたものだ。政治活動5年目の42歳。埼玉4区は激戦区だが、豊田さんは自民党と公明党の支援をえて2012(平成24)年に初当選している。宗教団体の組織票が有力なのだ。豊田さんはとてもラッキーなスタートをきったのである。落選した、民主党の神風さんは政界引退をよぎなくされたのであった。
しかし、彼女のほんとうの自信にはつながっていなかったのであろう。自信の貧弱さが、政策秘書への暴力・暴言事件を招いたのではないか。
今回の事件よりまえに、彼女はこんなことをしている。赤坂御苑で開かれた園遊会に、招待されてはいない母親を強引に入場させたという。この強行突破には、議員という権力を行使する高慢さがあったのだと思う。
政治家はよく、国のため地方のため人たちのため誠心誠意働きたいという。豊田真由子もたしかにこう主張している。しかし、この事件をとおして、彼女の姿勢は如実にあらわれていた。個人的な欲望がみえみえだった。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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