紅林進著『民主制の下での社会主義的変革』を読んで――ユーゴスラヴィア社会主義の経験――
- 2018年 4月 22日
- 評論・紹介・意見
- 千葉大学名誉教授岩田昌征
紅林氏から『民主制の下での社会主義的変革』(ロゴス、2017年・平成29年)を贈られた。紅旗を林立させて前進するイメージを喚起させる筆名である。
「社会主義」なる4文字が社会批判運動の諸潮流から姿を消して久しい。そんな情況においても、アソシエーション概念や協議経済論を軸に社会主義を説く少数者はいるが、そのような社会主義が旧ユーゴスラヴィアで試行実現された事実に全く触れない。紅林は何ヶ所かだけで旧ユーゴスラヴィアの社会主義に言及している。それに反し、スペインのモンドラゴン共同組合の経験については、同書で二論文を書いている。労働者自主管理の実践の重みを見れば、全く不均衡である。
本書で紅林がユーゴスラヴィア社会主義に論及している行数を合計しても1ページに納まるであろう。ところが、彼が構想する「新たな社会主義像」は、ユーゴスラヴィアが1963年憲法、1974年憲法、1976年連合労働(Associated Labour、Udruženi Rad)法で展開して来た社会主義の理念論と制度論にすっぽり納まるのである。
そんな読後感をいだいていると、旧ユーゴスラヴィアの首都、セルビア共和国の首都の日刊紙『ポリティカ』の投書欄に社会主義時代を追想する二つの文章を発見した。要約紹介しよう。
第1投書は「第2ユーゴスラヴィアの死」(シニシャ・コリツァ、旧連邦政府成員、2018年1月7/8日)である。
――第2ユーゴスラヴィアの死のプロセスを長い間考えて来た。二つの方向で。第1の方向は社会主義経済の諸問題。①戦争勝利直後の社会的エネルギーは巨大であって、熱狂が戦争の廃墟を片付けた。その結果、古典的市場経済をとるどの国よりも高い経済成長。②ソ連圏を追放された。アメリカは我々をソ連から引き離そうと多量の無償援助。③ソ連と復交して、ソ連はユーゴ製品に市場を開放してくれた。イタリア製より低い品質の靴をイタリア価格で、イケア製より低い品質の家具をイケア価格で輸入してくれた。④チトーの非同盟外交のおかげで、アジア・アフリカ諸国に諸製品を輸出でき、ユーゴ諸企業が建設工事に従事できた。⑤その結果、諸工場は労働者達に住宅を配分し、30日の年次有給休暇等々の高福祉を提供することが出来た。⑥熱狂が静まりつつあった頃、戦後大学教育卒の第一世代が登場。彼等は革命戦争から受け継いだ倫理的諸価値に立って、社会有経済に新しい専門的内容を持ち込んだ。⑦自主管理は企業の労働者自主管理の領域を超えて、社会的リーダーシップ全域へ拡大し、その結果、企業と社会の作動効率に害を与えた。⑧東の体制は動揺し、西からの援助はすでになく、かわりに債務返済の圧力がやって来た。――
第2の方向は民族主義的情熱の再現にかかわるが、紹介ははぶく。
ベオグラード郊外や中小の地方諸都市に林立する高層建築のアパート群は、社会主義時代の社会有無償勤労者住宅であった。資本主義への移行が遂行されて、勤労者達は格安でアパート住宅の私有者となった。しかしながら、社会有企業の解体、そして私有化・民営化された企業の倒産等で失職した多くの人々は、自己所有の住宅の維持が困難になっている。投書者のシニシャ・コリツァは、「失ってはじめて善さがわかる。」と書く。
第2投書は「ユーゴスラヴィア最高の金属工逝去する」(2018年4月4日)である。投書主は、個人ではなく、旧ユーゴスラヴィアの機械製作会社「イヴォ・ローラ・リバル」前現従業員会である。要約紹介する。
――ジェレズニク(ベオグラード郊外)の「イヴォ・ローラ・リバル」の労働者、金属工リュウビヴォイェ‐ローラ・イェフティチが亡くなった。1952年以来この重機械製造工場で働き続けた。1974年にザグレブ(クロアチア共和国の首都)で開かれた全ユーゴスラヴィア金属工技能大会で首位に選ばれた。西ヨーロッパの工業先進諸国から引き抜きがあったが、ローラ・イェフティチは自分の工場に忠誠を貫き、自分の知識と経験を若い労働者世代に伝えた。「イヴォ・ローラ・リバル」の数千の金属労働者達の間で最高の威信を獲得していた。「イヴォ・ローラ・リバル」が一機械工場からセルビア機械製造業の巨人へ発展する道程のリーダーであった。ベオグラードのチゥカリツァ・オプシティナ(ジェレズニクの位置する区=オプシティナ)における共産主義者同盟オプシティナ委員会の議長に選出されて、都市交通の仕事にたずさわった。しかしながら、党や行政の役職に伴う住宅その他の諸特権を拒絶した。任期が終了すると、工場へ戻り、自分の愛用の機械に向かった。2018年3月10日、静かに世を去った。質素な年金生活をおくり、セルビアの機械工業の崩壊を嘆きながら去って行った。葬儀はジェレズニクの旧墓苑にて。――
社会主義の時代が続いていたならば、このような労働英雄の死亡記事は、投書欄に小さくひっそりとではなく、社会面に大きく報じられたに違いない。それでも、労働者自主管理の時代を体験した旧労働集団の人々は、全国紙の『ポリティカ』にあえてかかる投書をなし、また今の編集部もそれを載せる。
ところで、イヴォ・ローラ・リバルは、1916年に生まれ、1943年に対独抵抗戦争で戦死したコムニストである。1948年にチトー等の音頭で全ユーゴスラヴィアから集まった青年達の労働奉仕でその土台がかためられた土地にこの革命英雄を記念して創建された工場が「イヴォ・ローラ・リバル」である。最盛期には旧ユーゴスラヴィアに14工場を展開していた。21世紀初に私有化・民営化されたが、やがて倒産した。投書の文面には銘記されていないが、イェフティチの「嘆き」は、単に「セルビアの機械工業の崩壊」だけでなく、労働者自主管理の解体にもかかわっていたに違いない。
ここに大きな難問がある。第1の投書者が書くように「失ってはじめて善さがわかる」社会有社会の主体であったたずの労働者達は、自主管理社会主義の解体と資本主義の全面的復活に何故に殆ど抵抗しなかったのか、である。
その一要因は、以下の事情にある。近代以前からの歴史的・宗教的諸制度・諸慣行で近代化の試練に耐え抜いて生き残った諸部分、そしてまた近代化の諸民族形成過程で指導的役割を果たした諸人物、それら、そして彼等は、社会主義時代の勤労者常民の心性において生き、親しまれていた。例えば、宗教行事、伝統的祝祭、旧時代の歌謡や画像、民族形成をリードした王族の記憶等々。フランス革命の理性神の伝統を受け継ぐ社会主義・共産主義は、自己の理念・信念に調和しない反理性的・非合理主義的伝統を拒絶し、抑制しすぎた。社会主義的政治生活・経済生活が好調から逆調に転じた機会に、それら抑制されていたが故に高圧化していた社会的エネルギーが一挙に爆発した。その爆発の中で資本主義化が過剰に猛進し、社会主義が過剰に解消してしまったのである。
平成30年4月18日(水)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7578:180422〕
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