「自由と民主主義」と核
- 2018年 5月 11日
- 時代をみる
- 岡本磐男核
数ヶ月前に米国大統領トランプ氏は、自国の核兵器を使用可能な核兵器として改良して実践配備するようにしたいと宣言した。私はこの宣言を聞いて大層驚いた。例えば同氏以前の大統領オバマ氏の在任の頃は、オバマ氏は核兵器は大変残虐な兵器であるから実戦に使用不可能であると述べていたし、また先進国の要人の間でもこうした空気が支配的であったと思われたからである。だが、6,000発もの核兵器をもつ米国の大統領がこのように宣言したことで、私は自分もいつかは核兵器によって殺戮されるかもしれぬという脅威を感じた。米国は、かつてのブッシュ大統領が自由と民主主義を守る国であると強調したように、この理念を大切にする国であると思っていたが、核を保有しない国民に脅威を与えるというのは、真の意味で自由の国といえるのか、との疑問をもった。ここには明らかに矛盾がある。にも拘わらず、日本の外務大臣河野太郎氏が、このトランプ氏の宣言に賛同したということを聞いてさらに驚かされた。いったい河野大臣は25万人以上の犠牲者を出した73年前のヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の惨劇についていかに捉えているのだろうか。果たして氏は被爆国の国民なのだろうか。
自由と民主主義を強調しながら、実際は米国のトランプ氏に追従の姿勢しかみせない日本の安倍総理も、核・ミサイル開発に専念する北朝鮮に対して、単に圧力を強めるというのみで1年前から強硬姿勢は変えていない。しかし日本の平和憲法の理念は、本来はいかなる国に対しても平和的、友好的関係を保持せねばならぬというのであって、当然に中立主義を主眼とするものである。安倍総理の姿勢は平和憲法に違反するものではあるまいか。もっと平和を導くような柔軟な姿勢が求められる。単に圧力を強めるのみというのではいつかは戦争に至るのではあるまいか。しかも安倍総理の強気な姿勢は、米国の核の傘に依存したものといわざるをえない。だが今後のそのような姿勢を貫きうるかといえば、きわめて疑問である。ここで私は北朝鮮の核・ミサイル開発を是とするものではない。むしろ問題は多々あることはある程度承知している。さらに強調したいことは北朝鮮は、米国とは違って核兵器によってまだ人命を奪ってはいないということである。単に脅かしのために核・ミサイル開発を行ってきたのである。だがこの姿勢も限界に達したとみて、核開発を休止する方向へとかじをきったとみられる。
安倍政権の側の政治家たちは、もし北朝鮮に対して圧力をかけ続けていく結果、北朝鮮が反発して日本の本土の米軍基地のある都市に核攻撃を敢行し一発の核爆弾によって100万人の日本人が死去したとする場合、どうしようと考えていたのだろうか。もしそのような大惨事生じたとするなら、平和憲法を遵守し絶対平和を誓っている平均的日本人の遺族は、国家に対して賠償請求をすることは目にみえて明らかなことでないか。何年か前に、第2次大戦中の1945年3月10日の東京大空襲で焼夷弾攻撃によって死亡した10万人の遺族達が、政府を相手どって賠償請求を行ったことは有名な話である。あの時は、戦争中の事案であり、軍国主義時代のことであったので日本の裁判所はとり上げなかったが、しかし今日では全く政治情勢は異なっている。戦争放棄を約束した平和憲法下の事案であるかぎり、もし核爆弾の爆発によって日本人の死者が発生した場合、国家によって賠償が拒否されることは法理論上からも困難であるといえよう。100万人の人が死去すれば賠償額は1人当り1億円としても100兆円という膨大な金額となろう。とても国家の財政負担で賄なえる金額ではない。政府財政は破綻せざるをえない。この点をどう考えるか。
それに保守党の国会議員達は戦争を知らないくせに、敵基地攻撃論等々の戦争の準備体制を万全にしうるような議論を展開するが、戦前の軍国主義の時代とは今日は全く異なっていて大部分の国民は、戦争には反対の立場であるから、もし通常兵器による戦闘が起きても逃げまどうばかりであろう。いざ戦争となれば、国会議員のような政治家も同様の対応をするのではあるまいか。私達のような戦争体験者は、会合を開けば戦争体験の昔話はするが、国家のために生命を捧げる等といったことは、今日では無理であろうと思っている。政治家達が国家は国民の生命・財産を擁護すると叫んでも、殆どの国民は信用しないだろう。第2次世界大戦中の日本国民はそのような処遇を受けなかったからである。
今年の5月から6月にかけて米朝首脳会談が行われることが決まったので、安倍首相は4月に米国のトランプ氏と事前に相談するために米国に赴いた。大まかな課題は二つあり、一つは北朝鮮への拉致被害者の救出のためトランプ氏がキム・ジョンウンに直接交渉するよう要請することであり、この点ではトランプ氏が承諾したので大きな成果がえられたと思われる。第2の課題は日米貿易不均衡(米国の貿易赤字)の解消のため、例えば日本の鉄鋼製品やアルミ製品の対米輸出を抑制するため一定の高い関税をかけるという問題である。日本はこれに対して反対したが、日本の要求は殆ど受けいれられなかった。安倍首相はゴルフ外交まで行ってトランプ氏に頼んだが冷たくあしらわれた。これでは日本の財界人ですら安倍政権に失望したであろう。ここにみられる日米貿易戦争は今後益々激化していくとみられるが、資本主義論も帝国主義論も殆ど理解していない安倍首相やその側近達の甘い姿勢は今後益々批判にさらされ、彼等自身が自己矛盾に陥り困惑することになろう。
4月下旬に南北首脳会談が開かれ、韓国の板門店で韓国の文大統領と北朝鮮のキム・ジョンウンが熱烈な握手を交わしたことは朝鮮半島情勢にとってきわめて有意義であった。南北が完全な非核化を目標としたことは、やはりこれまでとは一歩進展した平和体制が構築されたものと評価しうる。北朝鮮は、これまでも6ヶ国協議で他国をだましたり約束を破ったりしてきて、たしかに好ましくない非難されるべき国とされてきたが、体制-とくに社会主義体制―の建設のためには仕方がない側面もあった。今後は従来と同様の態度をとることはできないだろう。もっとも朝鮮半島の完全な非核化を達成するまではまだ相当の時間がかかることが予想される(北朝鮮は10年という)。これに対して超大国米国は6000発もの核兵器をもちながらなおかつ北朝鮮に強硬姿勢をとろうとしている。自ら保有する核を削減する目標や意図は全く示さず、身勝手で横暴な姿勢を堅持している。これによって米国のトランプ氏をほめることは決してできない。またトランプに全面的に追従するのみで自らの主体性を示すことのない日本の安倍政権も北朝鮮の核のみを非難するのみで他の国々の核保有を非難したことは一度もない。こんなことで世界的規模での核戦争を防止することができるだろうか。
北朝鮮がこれまで核開発と経済発展という並進路線をとってきたのは、そして体制保障を強く要求してきたのは、1917年以後のロシア革命のさいに、市場経済の6カ国(日本を含む)が生産手段の私的所有を金科玉条としてロシアのシベリア地域に出兵する(シベリア出兵)という理不尽な行動に出たことを知っていたからである。レーニン率いるボルシェビィキ党は私的所有とは異なる社会的所有をかかげていたからである。今回でも市場経済の国々は北朝鮮の経済体制がどうなるかに関心を抱いている。だが核保有国は、核保有の削減を目標とするといったことはなく身勝手でエゴイスティックである。
日本のマス・メディアはしばしば、北朝鮮がその他の国々で構成される国際社会と対立しているような構図を画いてきたが、決してそのようなことはない。国際社会は一致団結しているわけではない。むしろその内部では日米に対して中国・ロシアがあるように対立があり、核保有国もあれば非核保有国もある。そしてメディアは北朝鮮が非核の国をめざすとした機に乗じて、もっと身勝手な核保有国に対して核廃絶の立場にたって批判的なキャンペーンをなすべきであろう。北朝鮮にしても、現在のような国際的な核状況に対して不満であるからこそ、これまでのような政策的態度をとってきたのであろう。非核保有国は、そのために結束せねばならぬ。そのためにこそ国連も3年前から核兵器禁止条約の締結を世界の国々に呼びかけたのであろう。またこの立場こそ、天地の創造主たる神と神の子イエス・キリストが最も望まれる道であることは確かである。神は非人道的な大量破壊兵器たる核兵器の生産・所有等決してお許しにならぬであろう。
21世紀の今日、世界には朝鮮半島情勢以外にも紛争、戦争の火種は数多くある。その主要因は、昨年末にトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都であることを公式に認めたことである。これによりイスラエルとパレスチナとの対立は進み中東情勢はいっそう不安定化した。さらに今年に入ってからの新聞報道にもあったように米国のトランプ政権はシリアのアサド政権が反アサドの民間人、子供を多数化学兵器で殺害したとして、これに対する報復としてアサド政権側の大勢の人々に攻撃を加えた。ロシアの情報局によればアサド政権側が化学兵器で攻撃した事実はないと批判したがこれによって欧米側(米国、仏国)とロシアとの間の緊張関係が高まった。これに加えて既に述べたところの、最近の貿易戦争として顕在化しつつある資本主義国(中国を含む)間の厳しい対立・抗争である。これは今後益々激烈な形をとって顕在化することが予測される。
こうした紛争や抗争が第3次世界大戦に発展し核が使用されることのないよう、強く希求せざるをえない。
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