大分での運動状況について ~ちきゅう座総会報告~
- 2018年 5月 31日
- 時代をみる
- 安岡正義
ここ数年間の、私も関係している大分での運動状況について、ご紹介する。
3年前に、立憲主義・平和主義を掲げて無党派の市民団体「ホワイトセージクラブおおいた」(ホワイトセージはもともとハーブの名前だが、ブラックな政治と戦う、との趣旨の命名)が結成され、当面の目標として2016年参議院選挙での野党統一候補擁立の実現に向けて活動した。九州の一人区では唯一、大分選挙区で、民進党の足立信也候補が1090票の僅差で当選した。投票日の一週間前に、自治労の元副委員長である福山真劫氏が大分市に乗り込んで野党共闘を強く訴え、これを大きなきっかけに各団体が結束したのが勝因とされる。
大分には「大分方式」と呼ばれる独自の体制があり、参議院選挙で社民党と民主党が協議のうえ交代で候補を立ててきたが、11年前の選挙で、社民党が候補を立てる順番にも拘わらず当時の民主党が一方的にこの方式を無視して独自候補を立てたために共倒れに終わり、自民党候補が漁夫の利を得て当選した。来年の参議院選挙で野党統一候補を実現するのが当面の大きな課題である。
昨年の衆議院解散総選挙を予想して、野党統一候補の実現のため、社民党大分県本部を訪れ、当時の吉田忠智党首に面会した。この時点では衆議院の解散時期が未定のため、とりあえず安倍政権の下で改憲の発議ができないような議席数減に追い込むことを狙っていた。吉田前党首からは、野党連携についての協力の意が表明された。その後、7月の都議会選挙で自民党が惨敗したため、我々としては、改憲勢力を三分の二未満に追い込むに留まらず安倍政権退陣をも視野に入れることができるか、と期待していたところ、連合大分が早々と大分一区で民進党候補の推薦を組織決定したのちに、この候補が「希望の党」に鞍替えしたので、一区での野党共闘が実現できずに共産党は独自候補で戦った。結果として、一区は希望の党、二区は社民党、三区は立憲民主党の棲み分けとなり、各候補はいずれも比例区で復活当選した。
私の見るところ、大分では共産党が野党連携に非常に真剣に取り組んでおり、少なくとも社民党と共産党との連携はかなり密接である。2年前に結成された組織「平和をめざすオールおおいた」もその一つの表れで、無党派の市民団体や宗教団体(合計約30団体)をも糾合して活発な活動を続けている。去る4月30日には、この団体の呼びかけで「安倍9条改憲NO!県民集会」が開かれた。二区の社民党衆議院議員、三区の立憲民主党衆議院議員、それに大分県議会の共産党議員が来賓として挨拶したほか、各団体がスピーチ・リレーを行い、私も「ホワイトセージクラブおおいた」の共同代表として大略以下のようなスピーチを行った。
例えば戦争中毒に罹った人間の使いたがる言い訳に、次のようなセリフがある。即ち「戦争を避けるために色々と努力したが、効果が無かった或いは先方が非協力的だったので、残念ながら最後の手段として、戦争に訴えるしかない」とのセリフである。しかし、かつて19世紀にプロイセンの将軍、クラウゼヴィッツは「戦争とは政治の継続である、但し政治とは異なる手段(=軍事的な手段)を利用するのだ。」と述べたが、我々としては反対に、戦争とは政治の継続ではなく、むしろ政治の破綻に他ならない、そして戦争とはまさに外交の無能を暴露するものだ、と言わねばならない。少し振り返ると、2003年のイラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を隠し持っているという、でっち上げの理由に基づいて、アメリカが無理やり始めたものである。その戦争開始の直前に、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の特使として、イラクの首都バグダッドに派遣されたエチェガライ枢機卿は西側の報道陣に向かい「戦争は最後の手段ではなく、最悪の手段である。」と述べた。戦争を、場合によっては使うことのできる手段であると見做す限り、戦争を避けることは不可能である。昨年9月、国連総会でのトランプ大統領の脅し発言ののち、日本の河野外務大臣は機会を捉えては北朝鮮との断交を各国に訴え続け、また「対話のための対話には意味がない」という、無責任な言い逃れを安倍首相は行った。このセリフは、自分がそもそも必要な意志も能力も持っていないことをさらけ出すものに他ならない。しかしながら、意味とは、天から降ってくるもの、或いは誰か他の人によって与えられるものではなく、自分の意志と力で、作り出すものである。即ち、意味のある対話の実現に向けて努力する、それこそが政治の責任である、と我々は言わねばならない云々。
「ホワイトセージクラブおおいた」独自の企画としては「モリカケ追求 全国ツアー2018」の一環として、加計学園問題で活躍している今治市の黒川敦彦氏を2月18日に大分に招いて講演会を開いた。また、同じ日の午後には「安保法制の廃止を求める学者の会・大分」の主催で、立命館アジア太平洋大学教授の綛田芳憲氏が「最近の北朝鮮問題について」と題して講演した。最近、彼の論考がいくつかまとめて「ちきゅう座」サイトに掲載されており、今後の活躍が期待される。
また、ご承知の方も多いと思うが、アフガニスタンで用水路建設のために長年に亘り活躍している中村哲という北九州出身の医師(本年、アフガニスタン大統領から表彰された。)がいる。昨年、県内各地の9条の会や、平和と人権を守る諸団体が実行委員会を結成して「中村哲医師講演会」に取り組み、JR大分駅に隣接する施設、ホルトホール大ホールの収容人員1200名を超えるほどの参加者(大半は中年女性、あとは男性高齢者)を集めた。この成果を継承する新たな枠組みとして、同実行委員会は今年の一月に「憲法9条キャラバン大分」という組織に移行して、キャラバンの名称のとおり、県内くまなく平和憲法を語り合い、学び合う活動を行うことを決めた。関連する映画を活用しながら講演会を開催する予定で、弁護士を中心に約20名の講師リストが作成されつつある。私も講師として登録されているが憲法を直接に論じる能力がないので、カントの歴史観と平和論、戦後の独仏の和解と友好促進の歴史(1963年1月のエリゼ条約締結後、独仏の首脳会談の定例化、独仏青年局の創設、1989年には独仏合同旅団が編成され、この歩兵旅団はその後ヨーロッパ合同軍に編入され、1994年7月14日のフランス革命記念日には、ヨーロッパ合同軍に属する200名のドイツ人兵士もまたシャンゼリゼを行進した!更に2003年の独仏青少年議会の提案を受け、高等学校上級クラスのための独仏共通歴史教科書全3巻が2006年から2011年にかけて出版される。これは、世界的に見て最初の、二国間で同一の内容による教科書である。勿論これは、独仏二国間の諸関係の記述ではない。)などを講演テーマに予定している。
最近の活動として、5月3日には「平和をめざすオールおおいた」と会員的に重複する組織である「平和憲法を守る会・大分」による第48回憲法記念日講演会が開かれた。前山口大学副学長・現明治大学特任教授の纐纈厚氏が、「改憲めざす安倍政権のゆくえ~問われる護憲運動のこれから~」と題して、約400名の聴衆を前に安倍政治の意味と反安倍運動の踏まえるべき視点について語った。また去る24日には伊方原発差し止め仮処分申請裁判で第9回目の口頭弁論が行われた。反原発裁判の草分けである河合弘之弁護士も東京から駆けつけてくれた。この裁判では514名の大原告団が結成され、40名近い弁護団に支えられている。
また地元で人権派弁護士として有名な徳田靖之氏は、上記の伊方原発裁判で訴訟代理人を務めるのみならず、安保法制の廃止を求める裁判で弁護団ではなく原告として活躍しており、先日、大分地裁で口頭弁論を行ったほか、4月8日には「おおいた・津留9条の会」(当会のニュース最新号にメッセージを寄せたのは社民党県議、共産党県議、共産党市議それに大分メノナイト・キリスト教会牧師等の諸氏)で「平和を語る~憲法9条に自衛隊を加えたらどうなる?~」と題して講演を行った。
なお大分では女性の活躍が目立ち、「赤とんぼの会」という、女性中心で運営されている団体が毎年8月15日に新聞の一面全体を使って9条擁護の意見広告を掲載しており、今年はその36回目となる。この意見広告には毎年約3000名が参加し、賛同者リストの冒頭、一番目立つところにいつも、評論家の澤地久枝さんの名前が挙がっている。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4395:180531〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。