続・日本国憲法前文を改正すべき5大ポイント
- 2018年 6月 14日
- 交流の広場
- 一人負彦
熊王信之様、御批判ありがとうございました。「誤読」を深めるささやかな刺激になりました。では、早速反論させていただきます。
1 前文冒頭の主語が三人称の「日本国民」では、主語と実際の発話者が一致しているという保証はなく、発話者は事実上の憲法制定権力者であった占領者GHQであり、被占領下にあった日本国民を代行していたという解釈が成り立つということです。したがってそれを受けた「われら」もGHQに代行された日本国民としての間接的な一人称に過ぎなくなります。そのような「誤読」の余地が「日本国民」だけでは残るのです。必要なのは、実際に宣誓する当事者の直接性ではないでしょうか。だからこそ冒頭の主語は、代行の可能性がある三人称ではなく、当事者としての「われら日本国民」という一人称にすべきなのです。ちなみにアメリカ合衆国憲法の前文は「われら合衆国人民は」で始まっております。
2 前文の基本的精神は過去の戦争の反省であり、ここに天皇を明記することによって、なぜ天皇が象徴になったのかがわかるようになると思います。前文の精神を具体化したものが各条文であってその逆ではないと思います。
3 「詔勅」については、残存しているものは主権在民を宣言した時点ですでに無効化されていて、失効確認すれば済むレベルのものであり、排除という権力行使の対象にはなりません。将来のものについては、そもそも存在する可能性のないものをどうやって排除するのでしょうか。
4 「政治道徳の法則」とは、具体的にはパリ不戦条約や国連憲章の戦争違法化のことを指していると理解しています。その上で「無視」を9条1項に、「敵視」を9条2項に対応させることができるのではと考えました。「無視だけでは戦争は起こせない」は「無視しないだけでは戦争は防げない」ということです。
5 「……理想と目的を達成することを誓ふ」と言ってしまった以上、その責任を明確にする覚悟が求められるのではないでしょうか。「時限憲法」で良いのです。戦後100年経った時、唯一の被爆国である日本が「国際社会において名誉ある地位を占め」、核なきテロなき世界の実現にどれだけ貢献して来たかを、新たに宣言できるようにするために。
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