しがらみのない生活
- 2018年 7月 6日
- 評論・紹介・意見
- ビジネス傭兵藤澤 豊
住むというと、引越しになる可能性があるにしても、当面はそこに居つづけることを意味している。その当面というのがどのくらいの期間になるかは状況しだいで、死ぬまでのこともあれば、一年も経たずにまた引越しということもある。死ぬまでというとずいぶん先の話に聞こえるが、明日は誰にも分からない。ただ分からないにしても、普通半年やそこらで引っ越しというのは、普通はない。それは、もう住むというよりちょっと長めの滞在といったほうがあっている。
引越しは面倒だし、できればしたくない。そのしたくはない引越しを、仕事の都合や子供の教育や通学、毎日の生活の便をということで繰り返してきた。それでも、まさか引っ越して半年足らずでまた引越しなど考えたこともなかった。
引っ越して、一ヶ月も経てば大まか荷物もかたづいて、ダンボール箱も随分へってくる。とりあえずにしても普通の日常生活に戻る。日常生活にさしたる不便を感じなくなると、当分使いそうもないものは、不精も手伝って、梱包を解かないでそのままにしておいた方がいいだろうと思いだす。
お世話になった引越し業者のダンボール箱から、その多くが随分前の引越しからのもので、どこに引っ越しても解かなかったのがわかる。中には田無からクリーブランドへ、そして南行徳に、そこからボストンに行って、新浦安に帰ってきて、そこで落ち着くかと思ったら、震災で横浜港北ニュータウンに、そして調布にとダンボール箱に入れたまま持ってまわっているものがある。
ちょっと短いものから中程度の長さのリール竿と親父の形見のようになってしまったへら竿なんか、もう二十年以上使ってない。
捨ててしまえばいいじゃないかと思う。そうは思っても、親父も一時期そうだったように、そのうち暇になって、日がな一日釣り糸を垂れてという日がくるような気がして、ええーいと思い切れない。
ただ、こんど引っ越す先にはそんなに収納スペースがないから、若いときに集めたレコードも、あれこれ読んできた本も……、もう持ってはいけない。自分の青春と職業人としての歴史を、まるで航行中の船が荷を軽くするために投げ捨てるかのように捨ててきた。そこまで捨てるかと思うほど捨ててきたのに、まだまだ捨てきれないものが残っている。
家族の目にはどうでもいいものでも、ものによっては捨て切れない思いがある。それでもずっと後ろに引いてみれば、脱皮した古皮のようなものででしかない。落ちきらないとでもいうのか、しぶとくこびり付いている自分の歴史の残渣のようなもので、目にするたびに、そのうちさっぱり捨ててやろうと思う。そんな残っているもの、思い入れがあればあるほど、捨てることが新しい自分への始まりのような気さえしてくる。えぇーいと思わなければと思う一方で、不精も手伝って、次の始まりのために、当面とっておくのも悪くないかと思いだす。
引越しの理由というのか原因の多くは転職にある。ノンキャリアの技術屋上がりが、チャンスがあればチャレンジしなければと声がかかるたびに外資と日本の会社を渡り歩いてきた。仕事はきつい。結果を出さなければ来年がないかもしれないという強迫観念が付きまとう。個人の生活を削ってでも知識と能力を引き上げる作業が当たり前の毎日になる。そんな生活を可能にするには、多少家賃は高くても便利なところに住まなければならない。下手にマンションでも買ってしまったら、その場所からどこまで出れるかという移動範囲の制限が生まれる。住む場所を固定してしまうと、目の前に転がってきたチャンスに手をだせないこともあるのではという不安がある。なんにしてもなんとかしなきゃという気持ちが抜けない。ノンキャリアの宿命なのだろう。制約の少ない人生をと思えば、住む場所の自由度は保っておきたい。
仕事や家族の事情で住まいを変えるヤドカリ生活が普通になってしまうと、家を買って落ち着かなければという昔からの思考の慣性から自由になって、落ち着かない良くも悪くもしがらみの少ない生活になる。近所隣がうっとうしければ、教育や勉強に不便なら、なんでもいいがこれは困るということになったら、困らないところに引っ越せばいいと考えだす。
一介の職業人にすぎないが、というよりすぎないからかもしれないが、会社にも土地にも組織にも縛られたくない。何をどうしたところで何らかの規制が働いて、拘束されることのない自由などありはしないのだが、それでもできるだけ「しがらみ」の少ない自由な生活をと思う。その思いから根無し草になってしまった。
東京の下町で生まれて郊外で育ったが、どこにも故郷という感慨がない。普通の感覚で故郷と呼ぶところに戻ったところで、再開発できれいになってしまって、昔の面影など何も残っていない。今住んでいるところが帰るところで、今の故郷、引っ越せば引越し先が今の故郷になっていく。
よく年をとって引っ越すと新しい環境に慣れずにボケが進むというのを聞く。何も考えることなく、その通りだろうと思っていた。ところがこう頻繁に引っ越していると、何年かに一度は違う環境への適応を迫られる。迫られる生活を繰り返していれば、新しい環境になれることが生活の一部のようになってしまって、年をとってから引っ越すとというのが、必ずしも正しいとは思えない。
昨年五月末に横浜港北ニュータウンから調布に引っ越した。子供の生活も含めた家庭の事情から十二月には豊島区の雑司が谷に引っ越す羽目になった。目白駅からも池袋駅からも歩いて十分程度。目白駅周辺は静かな地域でこれといった刺激はない。ところが池袋駅周辺は東京でも何番目かの繁華街で、文化的なものから猥雑なものまで大方はそろっている。まったく知らないところではないにしても、何もかもが目新しい。雑踏のなかを歩いていれば、多すぎる刺激の処理に困る。ボケるどころの話ではない。年をとって調布あたりのゆったりした郊外でのんびりすごすより、都心の雑踏のなかにいたほうがいいのではないかと思いだす。
都会の雑踏は人と人との係わり合いの薄い、自分で出ていかないかぎり、しがらみに困ることもない。適度なしがらみまでに抑えて、気ままな人生といえないこともない。
なんにしても、いつまでも変わらないものなどない。変わらなければならないとき、変わりたいときに変われるしがらみの少ない人生がいい。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7797:180706〕
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