都知事選、なんと憂鬱な民主主義か
- 2011年 4月 11日
- 評論・紹介・意見
- ポピュリズム東京都知事選田畑光永石原慎太郎
暴論珍説メモ(102)
東京都知事に石原慎太郎氏が4選された。なんともむなしく、憂鬱な結果である。NHKの選挙番組では、昨夜午後8時という開票開始を待たずに同氏の当選確実を報じた。出口調査でそれははっきりしていたのだそうだ。実際の開票でメディアのそのような無意味な先走りに鉄槌を下す結果出れば痛快だったのだが、そんなことにはならなかった。
投票率は前回を上回ったというが、いったい都民はなにを考えて投票したのか。石原氏はいったん今回の選挙には出馬しないと明言したのだ。それがどういう事情かは知らないが、前言を翻して立候補した。この人物のご都合主義は今に始まったことではないので、それを非難する気にもならないが、もうやめると言った人間がどう気を取り直したにせよ、意欲を持って仕事を続けられるものだろうか。どうしてそれが見えないのか。はがゆくてならない。
これで石原氏は4選である。鈴木俊一氏と並ぶ最長期間在任知事となる。その間、都財政を再建したということを同氏の功績に数える説もあるが、東京のように1000万を越える住民を擁し、日本の基幹組織、企業、団体が集中しているところでは、特段のへまをしなければ財政が苦しくなるはずはないのだ。福田内閣時代に都の財政収入から4000億円を国が取り上げるようにしたのがけしからんと、昨夜の会見でも口を尖らしていたが、東京の優位性を考えれば、そのくらいのことは当然なのだ。
むしろ石原都知事といえば「新銀行東京」の失敗こそ痛烈に批判されねばならないはずだ。一体いくらこれまでに東京都はこの銀行につぎ込み、これからもつぎ込まねばならないのか。この一事だけでも同氏は都民に謝罪し、責任を取らねばならないのだ。それをあたかも他人が悪いように言い募り、頬かぶりを続ける破廉恥を都民は知らないのか、忘れたのか、それとも許すのか。
石原氏は1975年に故美濃部亮吉氏と都知事を争い、破れてからしばらくなりをひそめていたが、1999年の都知事選挙に際して、数こそ多いもののこれという候補者がいないのを見定めてから、最後に立候補を表明した。そしてその記者会見での第一声は「石原裕次郎の兄の慎太郎です」というものだった。選挙戦では石原プロの芸能人を総動員した。
それでいて、最近は口を開けばポピュリズム批判である。もともとポピュリズムに一番寄りかかっているのが自分であることを忘れているとすれば、すでに正常な判断力を失っていると見なければなるまい。昨夜の記者会見でも、「パチンコ屋と自動販売機が年間に1000万キロワットも電力を使っているのがけしからん」と言っている内に自分で興奮して、声を荒げていた。最近はよく見かける症状である。老人性痴呆への第一歩であろう。
今度の震災でも3月14日の会見で「この津波をうまく利用してだね、我欲をいっぺん洗い落とす必要がある。積年たまった日本人のこころのあかをね。これはやっぱり天罰だと思う」と発言した。そして、この「天罰」が問題になると、その日の夕方には「被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかも(しれない)、と言ったじゃないか」と開き直った。ところが実際にはそんな前置きはなかった。言ったことを言わないといい、言わなかったことを言ったという、常に自分を正当化する痴呆の一種である。結局、翌日には「発言を撤回し、お詫びします」と頭を下げて、選挙への「我欲」だけは忘れなかった。
こんな人間を首都の知事にぬくぬくと4選もさせてしまった最大の責任は候補者も立てられなかった民主党にある。最近の支持率(と評判)の悪さから勝てないとあきらめたのだろうが、選挙は直接国民に話ができる絶好のチャンスではないか。いい結果が出そうにないと、戦う前に投げてしまっては、形勢を逆転することなどできるはずがない。
世界には専制から脱却するために、自由な選挙をもとめて命を的の戦いをしている国もあれば、選挙のたびに政治の混迷が深まる国もある。
「民主主義、投票日の夜は憂鬱」は贅沢なのかな。
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