写真展「抗う島のシュプレヒコール」に参加して
- 2018年 7月 18日
- 評論・紹介・意見
- ちきゅう座会員村尾知恵子
7月6日、山城博明さんの写真展「抗う島のシュプレヒコール OKINAWAのフェンスから」を見た。沖縄のおかれている状況を復帰前後から現在まで現場にいて撮り続けてきた写真家の視線とカメラがとらえた瞬間瞬間の映像が切り出す現実の厳しさに改めて身がすくむ思いだった。
また、あわせて沖縄国際大学米軍ヘリ墜落で校舎内にいたという田仲康博さん(国際基督教大学教授)の講演を聞いて、いかに戦後日本の矛盾が沖縄に凝縮されてきたか、押しつけられて来たかを知ることができた。沖縄をみれば、日本がそして世界がわかる、そういわれることの意味の何であるか具体的に示され、事柄の本質に少しでも近づくことができたように感じた。
以下に、田仲さんの講演の中で、印象に残った事柄をいくつか書き留めておきたい。
また、山城さんの同名の著作(岩波書店、2015年刊)から写真をいくつか紹介したい。
●沖縄の「抗う声」は誰に向けられているのか
米軍と日本政府は直接的加害者として、出て行ってほしい、これ以上負担の押しつけはやめてくれと怒りをぶつける対象として当然である。また、本土のメディアは意図的に沖縄を小さく扱うことで、現状を維持するような機能を果たす。さらにそのメディアが情報を届けている先に本土の「日本人」がいるのだろう。この数年は意識的に無視を続け、考える対象としない、日本とは別個の存在としての沖縄にとどめておこうとしている。あるいは明確に差別者としての本土が登場する関係が露になりつつある。植民地としての位置づけともいえるその意識が表面に露出したのが機動隊員の「土人」発言なのだ。
本土決戦の前の沖縄戦、戦後が終わっても米軍占領が継続、復帰しても「基地の島」が延々と続く。ビル・クリントンが来て、「崇高な犠牲を払いながら極東の平和に寄与してきた沖縄県民・・」と演説した時、沖縄戦の死者たちは、二度殺されたといえる。川満信一が「我々は生きながらにして殺されている」というのもそことつながる。
●現状はなぜ変わらないか
戦後の政治構造が、憲法よりも日米安保、安保よりは地位協定が上位におかれている。だから、沖縄という米軍にとって最も便利な、太平洋の要石的存在が憲法の外部に置かれ続けてきた。例えば沖縄では米軍の施設が返還といって必ず別途、新しいより便利な施設が建設されてきた。あるいは、米軍の住宅は米国標準のだだっ広いスペースを持つが、その上さらにエアコンは24時間つけっ放しが普通なのは、電気代が思いやり予算で日本政府負担になっているからだという。
本土の日本人は、基地がないと沖縄経済が成り立たないという図式に意識的に囚われているようだが、今はほとんど根拠がなくなっている。依存度は5%ほどだ。沖縄振興予算といっても実際には多くない。そもそも、全軍労は基地撤去を掲げながら解雇反対を闘っていたことをもう一度思い返すべきなのだろう。
1970年1月 全軍労のデモ隊 1971年5月 ゼネストのデモ隊
1971年12月 コザ暴動 焼かれた 1972年5月15日 復帰当日のデモ行進
米軍関係車両
普天間飛行場(2002年) 2004年8月13日 米軍ヘリ墜落現場
また、国を守るために基地は必要だから仕方ないというが、基地があればそこが戦場になるのは沖縄戦が教えている通りだし、戦争放棄を憲法に明記している国になぜ攻撃部隊の海兵隊が必要なのか、米国においてさえもう海兵隊は不要だという議論が出ているのに。日本政府が、海兵隊に出て行かないでとお願いしていたことは、駐日大使だったモンデールが2004年に証言している。
●理想を語り続けることの大切さ
県外移設を主張した政治家もいたし、「東京に基地を」という主張の運動もあるが、軍事基地そのものが本当に必要なのかどうかという議論にふたをしてしまいかねないのが気になる。一番喜ぶのは政府と米軍かもしれない。そもそも日米地位協定は、日本のどこにでも基地をおけることになっている。現にオスプレイは日本中を低空で飛び回っている。本土の沖縄化は米軍にとっても都合が良い。沖縄の要求は、普天間基地の即時全面撤去であり、「移設」を要求などしていない。かつて毒ガスの撤去運動をやって、沖縄からはなくなったが、先住民の島であるジョンストン島に持っていかれ、そこで環境や健康被害を生んでしまった。
「抑止力」が殺し文句のように使われている。軍事基地が、あるいは軍隊そのものが本当に必要なのか。
沖縄の抗う声は、「ただ、普通に平和に生きさせてほしい」という単純なことから生まれているのだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7838:180718〕
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